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季節はうつろう

昨日の朝だっけ、奥庭の妖精コーナー(笑)に行ったら、ふわっとどこかからいい香りがしました。でも正体がわからない。
キンモクセイかなあ。ちょっとちがうような気がしたけれど。

昼間に見たらさすがの夕顔も葉っぱが少し枯れてきていて、そろそろ盛りをすぎたかと思っていたら、ゆうべはまた一段と大輪の花がいっぱい咲きほこっていました。ばかにして、すまんかった。

これ、花が一部ボケてるのは、私の腕のせいじゃないの。風が吹くと、いっせいに、この白い花がゆらぐのよ。やんだ時をねらって撮すのだけど、かすかな風に数輪がゆらぐと、こうなるんです。

前庭で茂りっぱなしのヒメエニシダをちょっとかっこよく刈り込もうと思うのですが、まだ果たせない。というか、かなり以前に少し切った枝を適当に月桂樹といっしょに玄関の花びんにさしておいたら、これがまあ青々といつまでもみずみずしく衰えない。花がなくなったときには、これを飾っておけば相当いつまでもきれいだなと発見したのはいいが、今になってまた、上の前庭の赤いカンナも咲き出すし、どうにもこうにも、飾る場所がないという、ぜいたくなような変な悩み。

それでも秋の花がほしくて、金もないのに、安売り処分になっていた、ポーチュラカとコスモスとガーベラの苗を買ってきた。それでか何でかぐったり疲れて寝てしまい、暗くなってから、ほとんど手探りで、全部をあちこちに植えた。ふう、根づいてくれるといいんだけど。彼岸花もわが家もご近所も、時間差であちこち咲きほこっている。

母の日に買った鉢の苗をそのまま植えたカーネーションもまだ元気。ちらほら花をつけている。カーネーションだのガーベラだのって、昔は庭に咲くなんて考えもしない生活だったなあ。切り花でしか生活の中にないものと思っていた。何となく、夢みたい。

ずっと前にお知らせをいただいていたのだが、近世文学者の上野洋三先生が亡くなられたそうだ。七十九歳って、私とそんなにちがわないじゃないか。偉大な数々のご功績はもちろん比べるのも恐れ多い大学者だけど。
九州大学を退官なさってからは近世学会もやめられて、あまりお会いする機会もなかった。実は九大にいらしたとき、ちょうど私が教育大で指導した院生二人が九大の博士課程に行ってお世話になっていて、ごあいさつかたがた、お話をしに行って、私の出身でもある九大の悪口でもおしゃべりしたら面白かろうと思っていたのだけど、自分の指導学生がお世話になっているのだから、完全にお預けして私のことは忘れて指導していただきたいと、なんか嫁にやった娘とは遠ざかっているべきというような変な遠慮から、結局一度もしっかりお目にかからないままだったのが、今もとても申し訳なく心残りだ。そんなに親しい間柄とかいうのでは全然ないけど、なじみのない九州に来られて、いろいろ苦労もされていたのではないかと勝手に気遣うと、今も切ない。関西の方って、本当に都恋しというお気持ちが誰もすごいから、アメリカに移住したイギリス貴族とか、ゲルマンの野蛮な砦に勤務するローマの軍人とか、そういうご気分もあったのじゃないかとついつい勝手に空想してしまう。

そんな身分不相応な心配をしているよりも、上野先生もこうして亡くなられてしまうと、私の残りの人生もそう長いわけではなし、晩年やら末期やらを、どう送ろうか、そのために今何をしとこうかと、相当あせって考えてしまう。私は昔から道半ばで最後まで必死で何かめざしながら死ぬのはごめんで、いやそれはそれでもいいが、遊んだりだらだらしたりしょうもないことにうつつを抜かす時間というのを、その中でもしっかり確保しておきたいのだ。でも、その時間配分をどうするのか? これがなかなか決まらない。

コロナで高校野球が中止となり、甲子園に行けなかった二つの高校野球部の生徒たちを追ったドキュメント「あの夏の正解」もかなり前に読んだ。最初は率直に、高校球児や関係者にとって甲子園がそんなに神聖な憧れの場だったのかということにかなり驚いたが、自身も高校球児だった著者の細やかで地道な取材で、生徒たちや指導者それぞれの人間像がそれなりに浮かび上がり、生き物のようなチームの変化の様子もよく伝わり、意外性はなく着実で地味だが、納得の行くドキュメントになっていた。オリンピックも東大も、何かをめざして生きる人たちのすべてに共通するものもきっとあるのだろう。(ひとごとみたいで悪いが私はそういう生き方は多分一度もしてないからなあ。)

それにしても、しつこいが、アベ元首相の追悼本の一ページ一行にも、この本にあるような、対象となる人物をしっかりと描き出し浮かび上がらせる描写がなかったことが、今も解せない。国葬の弔辞を聞いても同じことだ。Hanadaがまたしても元首相の特集号とか出したみたいで、いつまで飯の種にするのかと、あきれられたり笑われたりしているが、今度はいくら何でももうちょっと何かイメージがつかめる文章がないかしらと、つい買いたくなる自分が恐い。いやいやとんでもないぞ。電気温水器の見積もりをもらったが、ずいぶんがんばってくれたようだが、それでも当初の見込みより高い40万になりそうだし。くうううう。猫とわけるお刺身を買うのやめようかと思うけど、あのうっとりごろごろとのどを鳴らして喜ぶ顔が見たいからなあ。こうやって人も国も滅びていくのだよきっと(笑)。

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カツジ猫