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映画「オデュッセイア」感想(1)

きゃー、今さっき、買ってきてそのままにしておいた(最近老眼で小さい文字をつい敬遠しがちなの)映画「オデュッセイア」のパンフレットをめくったら、ペネロペイアはアン・ハサウェイだったのかー!
 しかもカリュプソ役はシャーリーズ・セロンだったって!?

映画全体の感想はまたあとで、いろいろゆっくり書きますが、ざっくり言ってしまうと、そらもうさすが、クリストファー・ノーラン監督というか、私は映画はミーハーなので、あまり監督で選ぶことはなく、特にひいきもないのですが、そんな私でもさすがに、この人がいろいろすごい監督で、クセの強い、骨のある作品を作り続けてたことは知っている。「オッペンハイマー」や「メメント」は前に見て、すきのないスタイリッシュな構成に感服もした。

で、同じ古代ものでも、土の香りがただようような温かい「グラディエーター」とか、海の風が吹き渡っていくような、華やかでまぶしい「トロイ」などと比べると、いい意味での漫画や絵本のような上の二作とはちがい、純文学のように重々しくて細緻で、すべてが重量級である。

しかも面白くないかというと、ゲームのように怪獣や魔女が登場、しかもどれもが、肌にしみいって、めくりあがるような気持ちの悪いリアルさに満ちている。笑いたくなるほど、そのへんはえげつない。
 しかも、「トロイ」にあったような、戦争反対の姿勢に加えて、女性差別への抗議もしっかりこめられている。まあ、それは原作の「イーリアス」「オデュセイア」をはじめ、ちゃんとした古典の名作なら、古今東西どれにもあるものなんだけど、しかし「トロイ」の場合などは、わかりやすく無邪気に描かれ訴えられている。それはそれで、甘いとかじゃなくて、とてもいいのだけれど、「オデュッセイア」の映画は、私がそんな事言うと皆が「え?」と首をかしげるぐらい、戦争反対も女性差別反対へのメッセージなんか、表には全然見えない。

でも、それでいて、底の底からえぐりあげるような、深い戦争や破壊への告発と怒りがこの映画にはみなぎっている。特に、主役のオデュセウスその人が、戦争の被害者というだけではなく、侵略者、破壊者、戦争犯罪人でもあるという指摘と意識が、ゆらっと全貌をあらわす最終段階の描写には、目を覆い、息をのむ。
 と言っても、それに気づく人は少ないのではないかと思うぐらい、その指摘や告発は自然だし、目立たない。それが逆に恐ろしくもある。

そういう点では最高の芸術品といっていい素晴らしい映画なのだが、あんまりミーハーをどどっと引きつけるという点では弱いかもしれない。ラッセル・クロウのマキシマス(グラディエーター)、ブラッド・ピット、エリック・バナ、オーランド・ブルームのアキレスヘクトルパリスの三人衆(トロイ)たちの、色っぽさ、華やかさ、美しさ、これでもかみたいなカッコよさのインパクトに匹敵するものは、「オデュッセイア」にはない。主役のマット・デイモンは演技でも外見でもカッコよさでももちろん最高なのだが、やはり中年夫婦の夫としての熟年した安定感が、どちらかというと地味だ。

いうまでもなく、それは原作のオデュッセイアでもそうで、ただそれを補うのは、オデュセウスの息子テレマコスの若々しさ、みずみずしさ、未熟な中の一生懸命さ、いじらしさ、あぶなっかしさだ。紀元前数千年の文学をバカにしちゃいけない、そのへんの計算は絶対あると思う。円熟し老成した中年の父の魅力と双璧をなして、引き立て合いながら、ちゃんと若者のぴちぴちした新鮮さを読者や聴衆にさしだすのだ。

これは「グラディエーター2」のルシアスもそうだったが、このへんの計算が監督その他の制作者には、わかってないのかなと思う。ルシアス同様、この作品のテレマコスも、演じている俳優は別人だがどこか似ていて、外見はすっきりきれいで、演技はもちろん上手なのだが、何だか迫力やインパクトがない。いかにも無難な二代目というか、これは俳優よりも監督や制作者が、そういう立ち位置を求めていたのかもしれない。主役というか父親を超えたらいけないと、どこかで遠慮してる風がある。

でも、それって、ものすごくまちがってるんじゃないか。俳優も俳優で、監督がどうでも役割がどうでも、俳優なら主役を食って自分が注目されようという、映画の出来など知ったこっちゃないぐらいの意識が必要だし、そういうものじゃないのだろうか。
 「グラディエーター」があれだけ成功したのは、主役の魅力とともに、敵役のコモドゥスを演じたホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技だったことは、衆目の一致するところだ。「トロイ」の場合はアキレス以下三人のタイプの差が引き立てあって、たがいの魅力をいやが上にも増す結果となった。

今回テレマコス役が父親とちがった、しかも共通する個性をほとばしらせて観客を引きつけたら、この映画、もっともっとヒットしただろうになあ。

というところが、ものたりなくて、まあ一度見たらいいかと思いつつ、なおもう一回見たかったのは、オデュセウスの妻ペネロペイアの、これという派手な動きや見せ場はないのに、ただ立っているだけで遠目にもわかる気品と威厳、アップさえそんなにないのに、至近距離になると、あふれ出てにじみ出る夫への愛。もう一回、目の保養をしたいかなあと思ってたところに、パンフレット見て仰天しました。

絵に描いたようなパッチリお目々のかわいこちゃんでしかなかったし、「プラダを着た悪魔」では、まあちょっときれいすぎたけど、それがはまっていましたし、「レ・ミゼラブル」のフォンテーヌではまだちょっときれいすぎて(まあ私の知ってる画家で書家の芸術家の方は、とても心を打たれて、「あれは母親の姿そのものやなあ」と言っておられたから、あー、あのきれいさは感動の邪魔にはならないんだなとちょっと感心したものです)、「プラダ2」の時は成長して貫禄が出て、お、いい成長をしてるんでないかいと思ってたけど、ここまでになっていたとは。うれしいけど、恐いぐらい。

もう一人、オデュッセウスを帰途のなかばでひきとめて、島でしばらくともに暮らす女神だか魔女だかのカリュプソー。彼女については魔女だとか、いい人だとか、いろんな解釈があるんですが、どっちにしても魅力があるいい女にはちがいがない。それだけに、その魅力を表現するのは女優としては難しい。

この映画のカリュプソーはそういう諸説や伝説のすべてを、とかしこんで、のみこんだように、いろんな言い伝えがちっとも不自然ではなく、そもそもペネロペイアとは反対に、ほとんどたゆたうように動いてることがほとんど。その動きが風のように波のように、軽やかで透明で、しかも生身の愛する女。実在するのかと思うほどの、ふしぎな涼やかな、見ているのかどうか思い出せないような姿。これももう一度見たいかなあと思っていたら、シャーリーズ・セロンと知って、またひっくり返った。

この人はアン・ハサウェイとちがって、文句なしの演技派で知られ、もうどんな役をしても地味でも派手でもそれ以外でも、何でも天職のようにこなす人。いっちゃんすごかったのは、ぶくぶく太ってふてぶてしくて残酷で、どこにも同情の余地がない女性犯罪者を演じた「モンスター」。私も見ましたが、突き抜けて徹底した悪の権化が、気持ちよかったぐらいのすごさでした。

で、その人が、空気のようにさわやかで軽やかな女神カリュプソーですよ。上手なのは知ってたけど、その想像の上を行きました。ああ、この姿ももう一度見たい!

えっと実はまだまだ書きたいことがあるんですけど、すでにもうこの長さ。なるべく早く続きを書きます。あんまりヒットも宣伝もしていないようですから、いつまで上映してるかわからない。皆さま、だまされたと思って、ぜひぜひごらんになって下さい! マジでもうお願いします。

あ、でもひとつだけ言わせてね。「オデュッセイア」の最後に近く描かれるトロイ崩壊の場面ね、迫力あったけど、私の小説「トロイ」シリーズの中の「疾走」の場面の方が、迫力あったと思うぞ、恥も外聞もなく、言っちまいますけど(笑)。

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カツジ猫