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柿の味

祖母の日記より。

十一月八日
 祖父の誕生日 私ハこの日が一番きらい 岡崎 晃さん 好さんの三人をよんだ
皆よろこんで呑み ハモのちりを甘(おい)しそふに食べてくれたので それハよかつたが祖父がガキのやうに一人で呑んだのが情なかつたし腹も立った かねて人には酒はすかんと云ふけど 好きで好きでたまらんのだ

時の流れがほどよいワインのように何もかも薄めてしまうのか、祖母の祖父に対するこんな悪口を今読んでも、何だかちょっと笑ってしまう。招いた村の皆さんには心配りや感謝をしているのに、夫のことだけは容赦なくののしっているのも、祖母らしいというか、妙な品の良さがあって安心する。身内の悪口は言っても、他人やよその人やお嫁さんやお婿さんのことは決して悪く言わず、私のような子どもの前でも、ほめてばかりいた(しかもどうやらまるっきりの本心から)わが家の伝統文化が思い出される。

(そう言えば一九六〇年の日米安保条約批准で、日本中が反対の渦にわいていたころ米国大使だっけハガチー氏が日本を訪問し、デモ隊が車を押し包んで大騒動になったことがある。岸首相の時代だ。子どもの私も覚えているが、当時新聞や週刊誌がおおかたは訪日に反対する中、ごくたまに「いくら家の中でもめていても、お客さんの前では皆で礼儀正しく迎えるものだ」という発言があった。それに対しては「とりこみ中なので、とお断りする方が礼儀にかなっている」との反論もあって、とにかくろくに相手にされなかったし、今ではもっとそれ以前に「へ?」という感じで無視されるだろう。
 でも、もしかしたら、あんな理屈がメディアの片隅であれ流れたのは、わが家では不文律だった「身内でもめても他者には優しく」「身内に厳しく他者には甘く」のルールやマナーは、そう珍しいものでもなかったかしれない。)

祖母の日記は大量だが、悪口がほとばしるのは祖父に対してだけだ。それがあるから祖母の血の熱さが伝わるという感じもある。憎しみかもしれないが、心を許した愛なのかもしれない。

祖父の誕生日は毎年いつもこうで、祖母と母は大っぴらに不満をもらし、祖父も不機嫌だった。それでもか、だからこそか、お客と飲み食いしてしゃべるのは楽しそうだった。饗宴や交流が幸福とともに、どこか痛みをともなうものという感覚もあれで私は身につけたのかもしれない。

今、年を取って体力も落ちると、祖母のつつましい感謝にあふれた忙しい毎日の記録が、何だか安らかで幸福にも見える。そんな日々の中で特別なイベントが入るのは、老境の祖母には負担で、苦痛だったのかもしれないと、自分と合わせて思ったりする。たとえ家族でも親友でも他人のことなど何もわからないと私はいつも思っているが、その一方で、年を取って死が近づくほど、祖父にも祖母にも自分の心や思いが近づいて、今まで見えてなかったものが、よく見えて来るような実感もある。

十一月十三日

耀子(私のこと)夜ふけて一時頃雨の中をかへって来た それが生憎柳ヶ浦止りだったのでハイヤーで来たがキツキの小原(友人の古原さん)同伴だった
 それから御祖父さ(ん)も起きてコーヒーをわかし果物など食べ話して(る)内二時が打ったので明日のことにして休んだ

十四日 耀子達二人は昼食を取り午后は一寸ゆっくりし小原さんハ四時いくらの汽車でお家に帰った

十五日 耀子は昼間に荷造りし夕方七時の準急で立ったがひどくこんでたそうで小倉まで立って行ったゞろうと案じてた 下宿には人造山芋 庭の富有柿等を持って行った
 柿もよくじく(熟)して甘いこと 毎日私達もおいしく食べてる
 九州場所も佐田の山大鵬大ごうの三人が一敗で進んでる
 栃ノ海豊山ハ五敗となった

十一月廿日

草地の安部さん 立っぱに色付いたミカンを沢山持参した 私もお返しに あみに成った代衣を上げた

廿一日の千秋楽を待たづに十三勝二敗で大鵬が優勝した

今日岡崎より新米を二升トキヱさんが持って来たので澪子(私の母)おうつりにハムバッグを一つ上げた 寒かったり暖かったりするけど朝夕は冷えるので御祖父さんにアンカを入れてやった

こういうのを読んでいると、このころの毎日は祖父母と母のいた田舎の家が、周囲の村の人たちも含めて、まだまだしっかりと健全に動いているのがよく伝わる。この後、祖父母が弱り、死に、母も老い、家も荒れて行くのをこの目で私は見て来た。それと重なるように、元気に動いていた叔母夫婦の家庭も、豊かさは変わらなくても二人が次第に弱り、叔父が死に叔母が孤独になって以前の安定と幸福が消えて行くのも見て来た。そうやって、時は流れて人は消えて行く。

祖母が書いている柿の実がなっていた柿の木は多分まだ、田舎の家の庭にある。友人が買ってくれて、もう私のものではないが。でも、その木の実をちぎって持って帰ったいつだったか、私が今の家に適当に埋めた種は、何本も芽を出して、最初の一本は手のつけられないほど大きくなって、いじけた小さい実を何度かつけたあと、今年初めて苦みのない、素朴な昔ながらの味の実をいくつもつけた。見た目は悪いし、市販のもののような強い甘さはないが、自分で食べるには充分だ。それを毎朝、ちぎっては食べている。いやはや、九州にクマがまだ渡って来てないのは助かるよ。

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カツジ猫