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白い花火

何年か前の夏、まだコロナが流行ってなかったころ、どうという理由もないままに、近辺の花火大会に片っ端から出かけたことがあります。私は何ごとにせよ、もういやだ二度と見たくないと思うぐらいまでに、はまってしまうことをめざす傾向があり、この夏も本当に、福岡から直方から北九州から、ありとあらゆる花火を現地で見てまわって堪能したのですけど、それで満足して、以後は行っていません(笑)。今思えばコロナの前でよかったです。

砂浜や土手にあおむけに寝て、頭上いっぱいに広がる花火を見るのが何と言っても最高でしたが、とにかく夜空の華やかさは身体中をときめかせるものでした。

それに比べたら、あまりにもスケールが小さすぎて笑っちゃいますが、このところ毎晩はまってる例の夕顔はここに来てますます花が増え、薄闇の中に手のひらほどの巨大な花が豪勢に咲きほこって、あの夏の花火を見ていたときと同じ、ときめきを味わいます。たった一晩でなくなってしまう、そのつかの間の輝きも、花火に似ている。

おかげでバカみたいに毎晩写真を撮ってしまうのですが、どう工夫しても、この豪華さ、この惜しげもなく花開く見事さは写真に写し取れない。目に焼きつけておくしかないかなあ、と真夜中の玄関の石段に座って、しばし陶然としています。それもどこやら花火に似ている。

言っちゃ何ですが実物に比べると、しぼりかすみたいな画像ですが、それでもしつこく撮ってしまう私を笑って下さいな。

ついでに、こちらも。一昨日書いた、母の誕生日の花の残りで、根が出て来たら庭に植えられると聞いたので、しっかり観察するために、とっておきのガラスの花びんに入れました。いやー、単独だとこれはまたカッコいいじゃないの。いつもガラスの花びんから水を飲んでる猫のカツジが、まちがって、こっちからも飲もうとしてひっくりかえさないことをひたすら祈ってますが、多分大丈夫だろう。

昨日書いたノーベル賞についての話ですけど、きっと反発されるだろうと思いつつ、でもどさくさまぎれに書いちゃう。

私の恩師だった中野三敏先生が、退官の前後よくヨーロッパに資料調査に行かれて(江戸の古文書って、欧米の大学がけっこう大量に持っていて、それも大事に保管してくれている。ついでに言うと、現代の日本文学の研究書も、もちろん古典関係のも日本の大学や図書館よりよっぽど完璧に収集購入してくれていて品揃えがすごいそうな)、その後、大学の研究室や寮やその他の設備や環境のみごとさに、「もう、日本のと比較できるような水準じゃない」としきりに口にされていたのを思い出す。

また私の昔の同級生が、私が在職中忙しいのをこぼすと、「大学の先生なんて、研究室の大きな机の前に座って、ゆっくり本でも読んで毎日過ごしてると思ってた」と言ったが、自慢じゃないが私は自分の研究室にそんな机や椅子なんかおいてなかったし、パイプ椅子で食堂のテーブルみたいなのに、学生といっしょに座って自分の仕事してましたよ。私だけじゃない、そんな先生は多かったはず。

まあそのくらい、質素な生活をしてるのを今さら急にどうしろこうしろなんて言いませんが、せめて(ここからが多分ひとのトサカを逆なでするかもしれない発言)、「日本人に」ノーベル賞のひとつもとらせたいと思うんだったら、政治家はもちろんのこと、無名の一般市民と自分のことを思っておられる皆さんも、もうちょっと日本の政治と社会とを、まともにしておいてくれませんかねえ。

私の親しい研究者の中には社会的関心持たず、そういう発言も発信もしない人が圧倒的に多いです。それはもしかしたらヤバいのかもしれないけど、私は彼らを批判する気はしない。そうあるべきだし、そうできたらそれが最高と思う。右だ左だ保守だ革新だ与党だ野党だという問題でなく、基本的なルールと常識がせめて守られてる政治と社会だったら、劣悪な環境も予算も、まだ文句は言わない。

だけど、あまりにもとんでもない政治が行われ、マスメディアがそれを容認し、国民は選挙の投票にも行かないような世の中じゃ、大学の研究者だってついつい、政治に関心を持ち、この私のようにやたら発言や発信をしたくなる。自分の研究お留守にして。

自分はノーベル賞の行方なんかに何の力も持ってない責任もないと感じている人がいたら、それは大間違いですよ。力もあるし責任もあります。

当面、選挙の投票に行って下さい。政治に関心を持ち、見守って下さい。どんな世の中がいいのか考えて下さい。情報や資料を無視しないで下さい。街頭でのチラシも受け取って読んで下さい。研究者が世の中のことから目をそらして自分の研究だけに終日打ち込んでいられるようにして下さい。それができたら、文系理系問わず、あっという間に何人もノーベル賞の受賞者が出て「日本人って優秀~♪」っていい気分をたっぷり味わえますよ(やらしい言い方でごめんな)。

まかぬ種は生えません。種をまくのは政治家や活動家だけじゃありません。何者でもないひとりひとりが、政治や社会に関心を持ち、意見を戦わせ、たがいの立場を尊重しつつ妥協も協力もして、よりよい世の中を作ろうとすることから、ノーベル賞受賞者だって生まれるんです。逆に言うと、日本の学問が衰退しているのなら、それは国民各個人の責任ですよ。自分のおさめる税金が、研究や芸術に投資されず、ミサイルや戦闘機に投入されてるのを放っておいて気にしない、国民ひとりひとりの。

同じようなことをツイートしてる方がいて、この感覚はもう大学関係者の中では常識と思うんですが、それに対するコメントの数々を読むとやっぱり果たしてとも思いますね。知性や理性への憎しみが今の社会には充満してる。ポルポト政権や文化大革命まであと一歩って感じさえする。

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カツジ猫