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穴場かも

年末年始に、田舎の墓参りに行けなかったので、代わりに近くの山の上にある、小さな個人墓に行って来ました。
ここは、田舎の墓を改修したとき、母とけんかした腹いせに、衝動買いして永代供養にしている畳二枚ほどのちっちゃい墓です。まあさ、ひょっと近所の人や福岡の人が私の死んだあと、墓参りに行きたくなったら、故郷の大分まで行かなくても、ここに来ればいいかってあんた、出張所じゃないんだからって話ですが。

ここは私の家で暮らした動物たち(猫14匹、犬1匹)の名が刻んであります。もう生きてるのはもふもふ猫のカツジと、おばあさん猫のグレイスだけになりました。

田舎の墓にお参りするとき、祖父母や母たちの名を呼んだあとに、この動物たちの名も呼んで、「これからも私を守ってね。あの世で元気にしていてね」と呼びかけるのですが、この年になると記憶力が衰えて、全部の動物の名を覚えてられなくて毎度墓前でじたばたします。わが家には来なかったけど、田舎で母と暮らした犬のアンダーも加わるしね。

なので、しっかり墓標の写真を撮って携帯に入れとけば、それ見ながら墓参りすればいいやん、と思いついて、今回は、それもばっちり撮影しました。やだ、でもこれ、私の影も映ってて、他の人が見たらちょっと恐いかも(笑)。

この山の上のお墓は、ダムの池と周囲の森、宗像の町を見下ろすいい場所で、回りにあるお墓も小さくて思い思いの意匠で見てて楽しめます。(もっと大きな、立派なお墓は下の方に並んでます。)
どうぜ私が死んだあとは、めったに誰も来ないだろうし、線香や花を供えるのも面倒だからと、そういうものを何も作らなかったので、近くの水場でくんだ水で墓石を洗えばおしまいなのが手軽でいいです。手前に置いてある黒い石は、田舎の墓を改修したときに出た元の墓の一部の黒御影石で、墓標と同じわが家の紋のわらびマークが刻んであります。

年末や正月にお参りした人が多いのか、どの墓にもきれいな花や、ジュースやお酒が供えてあって、墓地全体がそこはかとなく、にぎやかで華やかでしたが、広い墓苑には人っ子ひとり見えず三密どころじゃない、なかなかの穴場でした(笑)。今日は天気もよく、日差しが降り注いでいて、見下ろす景色もよかったし、そんなに寒くもなかったし、弁当でも持って行けばよかった。

手のかからないお墓もいいけど、花を替えたり線香焚いたりあわただしい田舎のお墓と比べると、ちょっと暇だったので、ついでに、わが愛車の写真も撮りました。最近じゃどの車もこんなのつけないみたいだけど、私はわりとくっつける正月飾りもついてます。あれ? 去年はどうしたんだっけ。つけなかったような気もするなあ。来たばっかりだったのに。

その後、ついまたいつものスーパーに寄ったら、猫のカツジが好きなおさしみが半額になっていて、つい買ってしまい、帰って食事したら変にぐったりして、タピオカミルクティーなんか飲んでだらけてる。DVDで借りてきた「オーロラの彼方へ」をくり返し見てる。時間旅行のパラレルワールドものって、微妙に悲しくて好きじゃないんだけど、これはあまりにすごいハッピーエンドに圧倒されるのか、心置きなく楽しめる。

あっ、そうか。この話、主要人物に関しては、現在とともに過去もいっしょにきちんと変えてるんだ。だから、パラレルワールドで置き去りにされて今も苦しんでる人がいないかという私のわりきれなさが、ほとんど残らないんだ。親子の共同作業のおかげで。すげえわ。…って、見てないひとには何のことかわからないだろうけど。ごめん。

昔、最初に見たときは「パッション」でキリストやったカヴィーゼルが気になって見たもんだから、キリストとはちがって幸福なのにほっとしたりしてたんだけど、今見ると、これむしろ、お父さん役のデニス・クウェイドが主演なのね。カヴィーゼルが主役っぽいけど。そういうバランスもよくできてるなと思う。

誠実親子というか家族の懸命な歴史改ざんも好感が持てる。ただし「夏への扉」同様、この時間旅行のややこしさったら並じゃなく、細かいところはまだ私、実はよくわかってないんだよね多分。あの悪役の運命とか。結局いつ消えたのかとか。詮索しなくてももう別にいいと思ってるけど。
そして、親子や友人関係の真実の証明に、大リーグの野球がいつも使われるのもなんか微笑ましい。お金儲けの話もきちんと入ってるし、いい意味ですごくアメリカっぽい話なのかもしれない。

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カツジ猫