見てるこっちが恥ずかしい
何だか数日熱っぽくて、ぼやっとテレビのワイドショーを見ていた。そうしたらフランスのデモのことがとりあげられていて、国民生活の逼迫やら学費の値上げやら、民主主義とはデモで政府に抗議することという国民の意識とか、それを育てた歴史とか、けっこう詳しく報道するから、まったく同じと言っていいぐらい共通点が多い日本の現状や、それに抗議する一万人や数千人のデモが連日日本各地で行われ、一人や数人で街頭に立って抗議している人も多いし、スクランブル交差点を大勢が歩くなど、新しい形態のアイディアを駆使した抗議行動も増えて来ているのに、それはまったくかけらも報道しないでいて、フランスの話をするんかい、てめえの頭のハエを追えと思った。
それとも、福岡県議会のむちゃくちゃぶりを地元や全国のメディアがけっこう遠慮なく報道して、それが自然に高市政権と重なって見えて来るのと同じように、せめて他国の似た状況を見せようとする、かろうじての使命感かしらんとも考えたりしていた。
そうしたら何と後半では、どこかの大学の先生が出て来て、フランスと日本では国民の意識がちがう、デモに対する考え方も日本の文化とはあいいれないという説明を延々するから、あきれてものが言えなかった。何だか政治や西欧の専門家だということだが、私程度の知識でも、あるいは今の日本の現実や、戦後の市民運動のことを知ってて見てる人なら誰も、そんなことはまちがいもいいところだとわかるだろう。司会者もいっしょになって、こういう抗議行動は日本の文化や伝統にはないと、でたらめもいいところの確認や説得をし続けて、見てるこっちが恥ずかしくて、穴があったら入りたかった。ここまで来たか、メディアの闇も相当に深いと実感した。メディアどころか知識人や専門家まで、こんなとんでもないことを言い出すのは、もはや、つける薬がないんじゃないかとさじを投げたくなって来る。
ちなみに、この写真は、数年前に私が干支の飾り物をそろえようとして、でもイノシシの年までは自分が生きてられるかしらとあやぶみつつ、ネットで見てあまりに好きだったから買ってしまったぬいぐるみだ。最近、パソコンの横にのせていたカエルのぬいぐるみを、カエルを集めたタンスの上、別名「カエルの塔」に移したので、代わりに持って来ている。見れば見るほど、つらつきがいい。
意外に早く時が流れて、私も何とか生き延びて、うまく行けば、このイノシシを正月に飾るまで元気でいられるかもと思ったりもするけど、国がこのていたらくでは、どうなることか。イノシシ君のためにも、絶望は意地でもしないでおくけどさ。

それでムカついてたせいかいな、前日そろえておいていたはずの授業の資料がどっかに消えて、大慌てして探しまくって、ようやく発見、もうそれだけでぐったりして、今日も昼過ぎまで死んでた(笑)。これではならじと、夕方大学に行って、一気に資料をコピーした。これでどうやら、次回の授業はのりきれそうだ。和歌と誹諧の残りをやろうか、西鶴の作品まで入れるか、そこは出たとこ勝負である。