人間らしい暮らし6-立ちすぐり居すぐり
お掃除のおばさんたちから、大きな真ん丸い大根を二つもらった。白くてきれいで、うれしくて、泥を洗って、台所の花模様のボウルに入れて、「いい飾りになるな」と満足してながめていたが、考えてみるとそんなことしてる場合じゃないな。私どうやってこれ、食べるつもりなんだろう?料理のレパートリーはないに等しい上に、相当大きな大根である。
今、この大根、とれどきらしい。今朝、表で私が大安売りで買ってきた一袋200円という恐ろしいしろもののパンジーをとにかく植えまくっていたら、その前の畑で、隣近所のご夫婦が二組、畑仕事しながら雑談しておられて、ご主人が「おまえの脚みたいだ」と大根を見て言って、奥さんが怒っていた。私が植えている花も奥さんたちが見に来られて、「ここ、前にヒヤシンスが咲いてなかったっけ」と言うので、「そうなの。気をつけて掘らないと、下に何があるかわからない」と白状した。考古学者のように注意深く掘り返さないと、去年植えっぱなしにした球根が、芽をだしかけているのにぶつかってしまうのだ。
もう13日である。いいかげんに玄関の注連縄をはずして、車の前のガラスに中からはっつけている、おかがみもちの敷物(と言っても誰もわかるまい。ラグラスで買った小さい布のコースターで、白いおかがみの形のはしっこに、丸い黄色いミカンがぽつんとくっついていて、かわゆいのだ)もはがさないと世間の笑いものであろう。
とは思いつつ、まだ年賀状が来るからなあ、とうじうじしている。
一昨年亡くなった私の恩師の、近世文学者の先生は、たくさん来る年賀状にご自分で返事を出されていたから、いつも十日すぎに賀状が来た。それを受けとってやっと、正月が終わるなあと感じていたものだ。先生が亡くなってどこにもおられなくなったということを強く実感しはじめたのは、この遅い年賀状が来なくなってからだった。そんなにおつきあいしていたのでもないのに、いて下さるだけで何かがちがったのかもしれない。とても淋しい思いをする。
庭のオレンジ色のバラも、つんできて花瓶にさした。それはいいが、その時にふと見ると、お隣との塀の境に、水仙が花盛りでくしゃくしゃに倒れている。一応私の土地の部分だが、塀をのりこえないと行けない、ややこしい所だ。しかし、当然のりこえて、片手で塀にぶら下がりながら、手に握りきれないぐらいの水仙をとってひきあげた。おかげで部屋中、水仙の香りがしている。
この快適さの中で仕事がはかどりそうなものだが、そうならない。太宰府市史はまだ第一章。第六章まであるのだぞ、まったくどうでもいいけれど。第二章以降は少しは早く進むと思うのだが。自分の説を組み立てるのではなくて、ひと様の説をまとめるしかない章なので、神経使うのがいけないのだろう。
太平記もあと少しなのだが、やっぱり見つけたい記事を一つ、見落としている。前に戻って探してもいいが、それだと前後がごちゃごちゃになりそうで、やっぱりとにかく最後まで読んでしまおう。
ごちゃごちゃになりそうなのは、やたら似た場面が多いのと、敵味方がこれでもかというぐらい入り乱れるからなのだが、まあなかなか面白い記事も散見する。今朝読んだところには、「立ち勝(すぐ)り居勝り」という言葉が出てきた。これは、どこかを攻めて引き上げる軍勢が、敵がまぎれこんでいないか見るために、あらかじめ決めていた合言葉を叫んで、それに合わせて皆がいっせいに、立ったりしゃがんだりするのらしい。敵はわからないから当然、皆が座った時に立ってたり、その逆だったりするわけで、そういうやつを皆で殺せばいいのだそうだ。いや~、何だかすごいといおうか、ひどいといおうか、笑えるといおうか。だいたい私だったら味方でもまちがえて殺されそうだ。
「太平記」には他にも、敵の中にまぎれこんで大将を討とうとする話が何度か出て、そういう戦法ができてきていたのがわかる。こんなの「平家物語」にはなかった。それと「雨月物語」などによくあった、死者たちの軍議の場面がこれまたよく出る。秋成は影響受けてるんだろうな。
卒論で担当教官を決める参考にしたくて、ここをのぞく学生も多かろうから、授業の裏話とかあまりしてはいかんかもしれぬが、しかし授業は笑ってしまうことが多い。
例の「ら抜きの殺意」の戯曲を読んでる「ことば再発見」の講義だが、前に出て読んでもらってる時、若者がことわざを間違って使う場面があった。「今、手を洗っていて、手が石鹸だらけなので、そちらに行けません」ということを言うのに、「濡れ手でアワ」ですから、と言って断るのだ。年輩の同僚は「そりゃ、濡れ手で粟、と言って、濡れた手で粟をつかむと、いっぱいついてきて得をする、ということで、簡単にもうける、って意味だ」と教え、若者たちは驚く、というくだりだが、そこで朗読していた学生たちは「濡れ手にクリ」と読むから驚いて、「何?ああ、字は似てるけど、よく見てごらんよ。栗じゃなくて、粟だろ?」と言うと、学生たちはざわめいて「え~っ、栗とばっかり思って読んでた、な~んの疑いも持たなかった」だって。
「そりゃよかった、皆さん、『粟』と覚えましょう。カナリアが食う、あれですね」と教えておいた。
それは一年生の授業だ。三年になると、さすがにもうちょっと大人びる。
土屋斐子という堺奉行の奥方の日記を読んでいる少人数の講義で、くねくね難解な擬古文を私のあやしげな訳で読んで、感想言い合ってる時、一人が「川路としあきらの奥さんの高子の日記はもっと大らかで自然な感じがしたけど、この人は何だか・・・。才女と言われているわりには、よく泣くし」と言うので、「それは、ここ三十年ほど、女性をめぐる文化がめざましく変わっちゃったからということもある。私が小さい頃にはまだ、女の人は泣くもので、弱くなくてはいけなくて、それは江戸時代につながるものと思う。嘘と思うなら古い映画を見てごらん。女の人はとにかくすぐ泣くし、しぐさもしゃべりも今とはまったくちがうから」と話した。
「人間の条件」のビデオを見たことのある学生もいて、「今見ても不自然じゃないし違和感も持たないけど、奥さんの描写だけはすごく変な感じがして見ていられなかった」と言う。「そうさ、『あなた、見て、こんなおっきい卵!』とか、すごく気持ち悪いんだけど、でも、あれが女性の魅力だったんだから。今見るとエイリアンみたいだけど、ああいう感じでいないといけなかったんだよ。土屋斐子の妙に屈折した表現も、そこを考えに入れないといけないかも」と話した。
そうしたら、別の一人が「自分は『二十四の瞳』の昔の映画が大好きでビデオで持ってる。他の古い日本の白黒映画とか見ても、女の人はたしかにおかしい。でも見てると、それなりにかわいい」と言う。「走るのに全力疾走しないで、両腕を身体につけて、手の先だけ振ってちょこちょこ走ったりすんだぞう」と私が笑うと、「ああいう人が現実に今いたら、そりゃキモいですよ、でも女の自分が見ても、ああいう女の人ってやっぱ、かわいい」と言う。まあ、見てない人が多かったので、私は「課題ってんじゃないけどね、だまされたと思って、何人かで白黒名作映画のビデオの鑑賞会してごらん。私の言いたいことわかるから」と勧めておいた。
それにしても、出版社からは原稿の催促、委員会の副委員長からは資料の催促、明後日から卒論も読まねばならず、私の行く手も暗いんだか明るいんだか。