人間らしい暮らし4-芳香剤

今日は朝から雪がちらちらしている。
「あるものを使いこなす」が今年のモットーであるからして、年末に押入れをさらえたら、パンティストッキングとスーツがかなりあることが判明、以後は大学で会議のある時はスーツで臨もうと勝手に決めた。
だいたいが、学長室などのある管理棟(と言ってるような気がするけど、ちがうかな)の建物である会議には、どの先生も何となくスーツ姿でネクタイしめて行くような気がする。というよりも、かなり多くの先生が大学にはネクタイやスーツ姿で来ているような。
これが私の所属する人文系の第一部の会議になると、そういう姿がぐっと減る。セーターだの、Tシャツだの、もっとわけわからん服装だのが。管理棟での会議でも、そういうぶっちゃけた、くだけた格好してるのは、概ね第一部の先生である。

服装は思想を表す、服装の乱れは心の乱れ、と目くじらたてる高校の先生方があながち、まちがっているわけでもないのかもしれないのは、第一部には、大学執行部の方針を厳しくチェックして、ああだこうだといちゃもんつける先生が多く、分散教授会(部会とも言う)では、しょっちゅう、というほどでもないが、提案されたことが否決されたり、継続審議になったりする。自慢じゃないが、私が主事の時は二年間に三回も否決が出て、全学教授会になった。
私も自分が主事でない時はいちゃもんつけてた方だし、まあ、聞いてる方がうんざりしない程度には、もめた方が、話の中身が全体によく浸透していいんでないの、と思っているのだが、そう言うと、担当のまじめな若い事務の人は「先生っ、もうそんな、人の気も知らないで」と嘆くし、ずっと前におられた熱血事務局長は、第一部がいつももめるのに頭をかきむしらんばかりにして、「また、一部の一部の(つまり、第一部の一部分の)先生方がっ!」と口走っていた。「そうでもないんだって。反対するのは確かに一部の一部だけど、その一部(分)は、議題の度に変わってるんだから、同じ先生たちが決まって反対してるんじゃないよ。つなぎあわせたら、結局はあれこれ言うのは、一部の全部なんだから」と私は説明し「いやあ、ごめんねえ、主事がいたらんで迷惑かけて」と謝っていたが、そういう第一部が好きなのよねえ、というのがきっと、みえみえだったろう。

私はもちろん、とんでもない格好では人後に落ちない。一度、「ラグラス」で買った、テディベアのかたちのバッグを背中にしょって行って学長や主事たちとの会議の時、椅子においていたら、事務職員の一人が「かわいいバッグですね」と言ってくれた。そうしたら超まじめな私の同僚が「バッグなん?」と初めて気づいたように聞く。「あんたなあ、いくら私でも、バッグでもないただのテディベアのぬいぐるみを、わざわざ会議の時に持ってきて、隣の椅子に座らせとくかい?」と突っ込んだら、彼はにこりともせずに「板坂さんなら、そのくらいのことはするやろうと思ったよ」と答えたものである。

そんな私だが、今年は会議の時にはスーツを着ようと思ったのである。もっとも、会議のあることを忘れて大学に来る可能性もあるのが心配だが、さしあたり今日は午後から今年初の人事委員会がある。文部科学省が定員削減を次々に言ってきて、どこの講座の定員を減らすかを検討しなければならない、重っ苦しい委員会で、巷では「リストラ委員会」と呼ばれ始めているらしい。
皆に説明してわかってもらえるためには、授業負担の程度とか、どうしてそういう定員に今なっているかのいきさつやら歴史やらを細かく検討分析しなければならず、そういうことはやればやるほど袋小路にはまりこむ。仕事の質も何も比べようがないことを比べているのだから、きなこと、パチンコ玉と、小型飛行機と、ブラジャーと、木馬を、同じ物差しと秤で比べてああこう言ってるようなものだ。
まあ、せめて、おかしな確執やプライドがあらわになっていないだけ、この大学はましなのだろうが。
「今、大切なのは、『やせがまん』と『きれいごと』です」と私はよく人に言っている。この二つがなくなった時、職場は地獄になりかねない。

ともかく、そこで今日はスーツを着た。雪がちらつく寒さなので、ずっと以前に人に買ってもらった半コートと厚手のマフラーで武装する。この半コート、前ボタンのところが三匹のキツネの顔になっている奇怪なデザインだが、かわいいと言えばかわいい。しかし、襟がないので、下にタートルのセーターを着ないと首が寒いのを忘れていて、ちょっとのど元がすうすうする。

人文系の建物が工事に入っていて、駐車場の確保が熾烈をきわめるので、この頃は下の大駐車場に車を停めて、長いうねった坂道を歩いて上がってくることにしている。健康にもいいだろうと思っているのだが、城壁のような裏道をうねうね歩いて行くのは、それなりに楽しい。夏の入院以来、自分の足で歩けることの喜びを実感するようになった、と書くと、何だかじいさんみたいだが。

その車なんだけど、この前、福岡に出ていいきげんで買い物して帰ろうとしたら、燃料計がゼロに近いのに気がついた。
何だかその日は、買い物でも何でも、ささいなことだが、いいことばかりがあって、最後は天神地下街の駐車場が最近自動発券機になってたのが、どうしてかその夜はおじさんがいて、「おっ、耳にきらりとダイアモンドが」と私の1000円で買った安物の真珠もどきとダイヤもどきのイアリングをほめてくれて、「え~、これ安物よ~」と言っても、「いやいや、そうは見えん」とお世辞を言い通してくれて、「お疲れさまです、ありがと~う」とこっちもいい気持ちで、スタートして、道路に出た直後で、わっ、一日の好運のつけが最後に来たかい、と一瞬びびった。
が、つきは落ちてなかったらしく、都市高速に乗る手前でガソリンスタンドが開いてるのを見つけ、満タンにしてもらって事なきを得た…のだけど、その時、ごみを捨てて返してくれたごみ入れの中に入れてくれた芳香剤が相当きつくて、車の中はその匂いでいっぱい。捨てよかなあ、と思いつつ、めんどうくさくて、つい。
まあ、今、寒いから匂いも大したことないのだけど、これが夏だったらと思うと、ちょっとスリルだよなあ。

「太宰府市史」は、今日中には少なくとも第一章は終わらないと、あとがヤバイ。終わってもヤバイ気がするが、そういうことはもう考えまい。あ~、昨夜ついつい、文庫本の「ダメージ」を読んでしまったのがまずかった。あれで時間をとられてしまった。まったくダメージだったなあ。中身は面白かったのだけど。

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カツジ猫