映画と戦争明日への遺言
太平洋戦争後の軍事裁判で戦犯として裁かれながら毅然と反論し続けた日本軍人の映画としか知らないで見始めると、冒頭にピカソの「ゲルニカ」が画面全体に映されるのに驚く。だが、引き続く解説で、戦前の国際会議で軍事施設が存在しない地域への一般市民・非戦闘員への無差別爆撃は禁止するよう申し合わされて居たにも関わらず、「ゲルニカ」の題材となった爆撃を初め、多くの市民への爆撃がその後も各国で行われた事を紹介し、広島、長崎への原爆投下の映像に至ると、映画は非常に自然にその後の裁判場面へつながって行く。
私は不勉強にもその様な申し合わせが存在した事すら知らなかった。それ程に戦争と言えばロンドンでもパリでもベルリンでも無論日本でも、無差別の市民対象の爆撃がむしろ欠かせないという印象があった。最近のイラクへの空爆はいうまでもないが、あるいはあれは公式には戦争ではないという事になっているから、禁止の対象にはならないのか。ベトナムもそうなのか。
この映画の主人公である岡田資(たすく)は戦争中名古屋で軍の責任有る立場にあり、名古屋を爆撃して孤児院や病院も含む一般市民を大量に殺した米軍爆撃機の乗員がパラシュートで降下して捕らえられた際、捕虜として扱わず戦犯として斬首による死刑に処した罪を問われた。彼は関係者であった部下全ての無罪と、全責任は自分にある事を強調しつつ、軍事施設もない地域へのこの爆撃は戦争犯罪にあたり、爆撃機の乗員は捕虜として保護される資格を持たず略式裁判による戦犯の処刑が妥当だった事を主張し続ける。彼はこれを「法戦」と名付け、法廷闘争を行ったのである。
映画の大半が法廷の場面であるが、緊張とともに常にある快さが漂うのは、藤田まこと演ずる岡田の聡明で清潔、剛胆な身の処し方、緻密な論理の隙のない応酬、敵だった米軍将校でありながら全力で岡田を弁護し米軍を攻撃する弁護人フェザーストーン等、正しく賢い生き方を貫く人々の戦いが節度を持って行われるからだろう。その快さの中で、まるで優れた教師の授業を受けている様に、様々な問題が提起されてゆく。
捕虜となった瞬間に戦いは終わったと感じる日本と異なり、脱走する事で相手の力を削ぐという「大脱走」を初めとした捕虜映画の視点は当時の日本で新鮮だった。だが岡田の「法戦」という発想もまた、敗北しても戦闘は終わらないという、これと共通の視点を持つ。それは日本人としての誇りのみでなく、人類と世界の未来を見据えた戦いでもあり、だからこそ戦う力も生まれる。
岡田の判決には生かされなかったものの、無差別爆撃は犯罪という彼の主張は最終的には認められ、岡田は勝利したと言っていい。それは人類にとって貴重な勝利である。
しかしそれにも関わらず、今もなお無差別爆撃が繰り返され拡大さえしているのは、軍事施設が特定できなくなっている現状もあるだろう。技術的には米軍のミサイルのピンポイント攻撃の精度は上がり、目指した施設だけを破壊できるようになってきているだろうが、同時にゲリラやパルチザンといった一般市民の戦闘員化は、事実上軍需工場や交通の要衝のみを攻撃目標として区別する事を不可能に近くしている。
それでも例えば沖縄の基地問題について言われる、基地の存在が攻撃を招くという鉄則は大前提だが、しかし女子どもでも老人でも爆弾を運ぶという事態はフランスレジスタンス以降、どんな戦争でも珍しくない。占領下に限らず戦闘状態でも市街地と軍事施設、一般人と戦闘員の区別も識別もつけにくくなって来ている。非戦闘員という定義は最早存在しないのではないか。むしろ軍人でない戦闘員は国際法の保護下にもない危険で悲惨な条件の下にある。
岡田やフェザーストーンの法戦は、狂気と非常識の戦争状態において、どれだけ法や良識が機能し得るかの人間の尊厳を賭けた戦いである。それにも関わらず、そもそも集団で殺人を行う戦争という行為の中で細かく法を守り倫理を守ろうとする事は、ともすれば滑稽で奇怪な所業に成りかねない。大西巨人が「神聖喜劇」で描いた様に、矢鱈に細かい規則や規律に縛られつつ、戦争という最大限の狂気が遂行される事は本来異様としか言い様がない。
五十歩百歩と言っても、やはり五十歩と百歩は異なる。その感覚は貴重である。しかし、その様な人間的かつ紳士的な作法を守った戦争は今後ますます困難になり不可能に近くなって行くだろう。岡田は「戦争は(なくなればよいが)なくなるまい」と悲観的な事を日記に書いた。だが、文明や科学が発展する程、戦争をきれいにすませる方法はなくなって行き、戦争をなくすしかない方向に人類は追いつめられて行くのも事実である。