大学入試物語5-第三章 不公平をのりこえるもの
1 ヒーローたちの戦い
前の章で、私の話を聞いた若い職人が、「そんな最高の環境で受験しないと実力が発揮できないというのは甘えで、最悪の条件下で試験をするのが本当だ」と言った話をした。昨今の、まるでガラスばりの無菌室もどきに完璧な条件を整えるのがあたりまえだという、そもそもまったく非現実的な要求がまかりとおる現状では、私もついそれに賛成したくなる。だがまあ、そこはそう思うだけで、実際にはやはり、できるだけ良い条件で受験してほしい。私だけではない、大学の職員も教員も誰もがそれは願っているだろう。
それでもなお、大学でもその外でも、ミスやトラブル、不公平は生じる。あえてもう言ってしまうと、そういう災難が自分をよけて行ってくれと神や仏に祈るのもいいが、むしろもう、それを予測し、計算に入れ、覚悟している方が受験生にとっては、きっといい。
私は未婚で子どももいないから、親としての受験の体験はない。しかし教え子の多くが大学院や教員採用、就職の際の試験に臨むとき、毎回明らかな不公平や不条理も含めて、さまざまな苦い体験をし、一喜一憂した。そんなとき、彼らの助けにはほとんどなれなかったが、せめてものアドバイスとして、授業その他でいつも、くり返し言ったことがある。
ひとつは、「完璧な状態で受けられる試験など、世の中にはない」ということである。そんなことを言っていたら、私自身がこのところ講演や何かがあるたびに、新幹線の切符を落とすわ、資料を作っていたノートが消えるわ、もう笑ってしまうしかないハプニングが起こっている。それでも何とか間一髪いつものりきるので、心臓には悪いが、およそベストの状態で何かに臨めたことが少ないので、非常事態に慣れてしまうのはいいが、危機管理能力がみがかれているのかどうなのか、そこのところは難しい。
また余談だが、多分二十年ほど前には、国立大学に勤務していて事務職員や教員の皆の日常を見ていると、本当に決まったことをきちんとする日常を死守することが求められていた。私はかねがね、暗殺者がターゲットの日常の習慣を調べようとしている映画や小説を見るたびに、私の生活を調べようとしたら、何一つ決まっておらず行き当たりばったり行動する人間だから暗殺者はどこのビルからねらっていいか、いつ待ち伏せていたらいいか全然決められずにさぞ困るだろうと心配し、レジスタンスの記録など読むたびに、どうせ拷問にかけられるなら毎日同じのは、それ自体が苦痛だから、できたら毎日ちがう拷問の方がましだとか、ろくでもないことを考えたりするぐらいで、当然そういうきちんと定まった予定通りの毎日は大嫌いでかつ苦手だった。なので、せめてひそかに自分を慰めていたのは、あんなに毎日毎年決まりきったことをきちんとするのに慣れていたら、何か突発事故が起こった時にあまりうまく対応できないのではないだろうか、その点私などはどんなとんでもない事態が発生しても別に驚かず対処できるだろうから、まあこういう人間もいていいのかもしれないと考えたりしていた。
これが今ではまったく変わってしまった気がする。社会全体もそうなのかもしれないが、大学も毎年毎年がらりと制度やシステムが変わり、何ひとつ先が読めない。そんな中で私が何かの役にたったかというとそういうこともなさそうであるが、そうなったからと言って、私が好きな自由で気ままで快い緊張に満ちた世界になったかというと、あまりそういうこともなさそうである。
ともあれ、最近の原発事故などを見ていても痛感するのは、絶対にまちがってはならない予定通りの日常と、いかなるとんでもない事態が起こっても平然とそれに対応できるというのは、危機管理においてはまったく矛盾することなのだが、どちらも絶対に欠かせない。そして、どちらにしてもこういう事故はどれだけ気をつけていても絶対に起こるし、起こった場合にどうするか、何を切り捨て犠牲にするかをきっちりいつも念頭においていなくてはならない。何かがあった場合に失うものがあまりにも大きくて耐えられないと判断したら、原発もそうだが、さしあたりはじめから、そんなものに手を出すのはあきらめた方がいい。
事故は絶対起こらない、起こってはならないというようなものは、もうその時点で使えない。それに目を閉ざして完全な安全対策があるように思いこもうとする視点は、大学入試にはいかなるミスもあってはならないと信じこんでいる感覚と、いやになるほど似て見える。
といった無駄話はおいておくとして、つまり受験生にとっては、もちろん万全の態勢で余裕をもって受験にのぞむのは当然だが、いくらそういうことをしていたとしても、やはり完璧な状況で試験に臨めるものではない。親が死んだり風邪をひいたり、電車が遅れたり受験票を忘れたり、消しゴムが汚れていたり机ががたついたり、隣の受験生が感じが悪かったり、あらゆることが絶対に起こるものである。そういうことはあたりまえで、あったらあったでしかたがないと思っていた方が、かえってきっと、気が楽だ。
私は他人をほめる人や集団というのが、あまり好きではなくて、敵であれ味方であれ「あいつは優秀なやつだ」などという人間を見ていると、何となくおまえは何さまだと思うのだが、いやつまり、人をほめるということは、自分がその人以上の存在だということを前提にしているとしか私には思えないので、これは相当失礼なことではないだろうか。しかし、そんな私がひねくれているのかもしれないと思わず反省したくなるほど素直に心から、学生たちはどうかすると「あいつは優秀ですよ、先生」と友人のことをほめあげる。「そうなのオ?」と私も一応、おとなしく聞いてはいるが、ときどきそういう優秀と言われる学生が(本人もきっといい迷惑なんじゃないかと思うが)、いつまでもあまりそれらしい成果をあげないような場合、周囲はそれに「あの人は優秀なんだけど、本当に運が悪くて」というのをセットでつけることがある。
何となく聞いていると、そういう人は高校入試のときは風邪をひき、大学入試のときは親が死に、発表会のときは事故にあい、決勝戦のときは失恋していて、いつも実力を発揮できないということらしい。大人げないとは思いながら私はつい、「それは結局、実力がないってことよ。運が悪いのでさえもない。私でもそうだし、誰だってそういう大事なときには何かが起こってそれでも黙ってがんばって、それなりの成果をおさめたか、その時はだめでも別の時にがんばって取り返してるので、言わないし、見ていてわからないだけよ。そんな大事なときに、体調は万全、皆が祝福、空は青空、みたいに完全に最高の状況でいられる人なんて、いるわけがなかろ」と言ってしまう。
そもそも小説や映画や漫画のヒーローやヒロインも、ここ一番の大事な時には必ずライバルの卑劣な行動やら、信頼していた仲間の裏切りやら、天変地異やら何やかやで、ベストなどとはほど遠い状態の中で戦いをしいられるのが常である。それでも勝つからヒーローなのだが、別にヒーローだけではない、勝者は皆そうなのである。すべてが完全に整った理想的な状態でなければ発揮できない実力なんか、実力の内に入らない。私なんか卒業論文書いてる時に父親代わりだった祖父が死んだがそのことさえも今これを書くまでは忘れていたし、大学入試の時には世界史か日本史か選択科目を忘れていて受付で聞いて思い出した。学会発表の日の朝、資料が一枚欠けていて、見知らぬ町のコンビニで数百枚をコピーしてホテルのベッドの上で数百人分の資料を綴じ直したこともあった。そういうことはすべて、ない方がいいに決まっているが、あったからってあわててはいけないし、それで実力が発揮できないいいわけにはならない。
私は大学入試のミスや不備を弁護するために、これを書いているのではない。そういうミスも含めて、あらゆる不測の事態、不利な条件を、起こってあたりまえと思い、乗り越える方が絶対に受験生にとって有利だから、それを知ってほしくて書いている。そういうミスがあってはならないから、私たちは万全を期すし、全力をつくす。しかし、それでも起こった時には、それを嘆くより恨むより途方にくれるより、とにかく乗り切るしかないし、それをするのは自分自身しかいない。そう決心しておくだけで、実はずいぶん気が楽になる。完璧な条件が保障されているだろうかと、ひやひやびくびくしているよりは、その方がずっと楽しい。
2 何てったてライバル♪
この一節、みごとにまるっと、完全な雑談だが、私はどんな競技も戦いも公平無私で理想的な条件で行われることなんか、あり得ないと思っているから、勝敗とか順位とかいったものはいっさいまったく信用してない。スポーツでも学問でもクイズ大会でも、その過程の熱戦は楽しむし、結果にも興奮するが、それでその参加者の特徴や才能を見ることができて楽しかったというだけのことで、トップになろうと次点になろうと金メダルでも銅メダルでも、別にどうってことはない。
私もそれなりに、いろんなレースに参加したし、勝ったことも負けたこともあるが、それで自分の価値が決まるとか、誰かに劣っているとか優っているとかいうことが証明されたなどと一度たりとも思ったことはなかった。
レースに参加したのは受験にしても就職にしても、言ってみれば賞金、資格、結果、職がほしかったからで、それを得るために戦って、得たり得なかったりした。それはそれだけのことである。ついでに言うと私はその都度、私を評価できるかどうかで相手の組織や共同体の価値もわかれば運命も決まると思っていたから、私を選抜するかどうかは、すなわち相手が私に選抜されるかどうかということでもあると思っていた。
今はそれほどでもないが、私が大学院を出て就職するころは女性というだけでまともな就職はまず望めなかった。ついでに言うと教員採用試験では女性差別が行われていることが半ば公然と認められていて、それはもう自明のこととして誰も(私でさえも)抗議もしなかった。
私が最初に就職が決まりかけた大学では、前任者のポストをひきつぐことになっていたが、おそらく私が女性だからというのが理由で、それまでのような正規採用かどうかは決して明らかにされないまま、今では珍しくないが当時はほとんどなかったいわゆる一年ごとの更新の任期採用、仮採用というかたちで話が進んだ。数度の面接の間、その大学の学長か理事かもう忘れたが全権を持った責任者のおじさんは、ずっと私を「ヨーコちゃん」と呼びつづけた。
他に就職口がないならしかたがないと私も黙っていたが、そのころ知人を介して他の大学から公募に応募しないかとの話があり、私はそのことを大学名は伏せてその責任者のおじさんに告げ、「こちらのお話が進んでいるし、優先するつもりですけれど、あちらは正規採用ということなので、こちらが一年ごとの更新なのでしたら、あちらの公募にも応じたいと思います」と告げた。
百戦錬磨の政治家のおじさんは、若い小娘の私が嘘をついて駆け引きしていると思ったらしく、どこの大学か知りたがって、しきりに鎌をかけた。私はそれは言うわけにはいかないと言い、「田舎の母が、そういうことなら正規採用の大学の方に応募しなさいと強く言うので、私も説得できなくて困っている」と言い張って、その場を逃れた。具体的にはその大学の応接室を辞去した。
門を出たとたん、当時はケータイなんてないから、私は公衆電話があるもよりの駅までスーツ姿で全力疾走した。あのおじさんなら、どこかで調べて田舎の母に電話しかねないと思ったからだ。首尾よく母をつかまえて、事情を話し「そういうわけだから、電話があったら、正規採用してもらう大学に行かせたいと言って、絶対に大学の名は教えないで」と連絡した。
この月報の昨年の連載で、九十歳越えて認知症になりかけの母を私はさんざんサカナにしたが、当時の母は私の幼いころからずっと、この世で最も「ともに戦うに足る」人物で、もしかしたら基本的にはどうぼけていても、それは今でも変わっていない。
その時も母は即座に「わかった、当然そうする」と了解した。よしと思って受話器をおいて振り向いたら、目の前に例のおじさんが立っていた。駅前に立派な車が停まっていて、どうやら私を追いかけてきたらしい。そして、「すぐこの車に乗って、お母さんを説得に行こう」と言うのであった。
私は「いえ、母は古風で頑固な人なので、そういうことをしたら逆効果ですから」と固辞して汽車に飛び乗った。
結局おじさんは私の採用条件は変えず、というか明確にはしないままで、私はその別の方の大学の公募に応じて採用され、電話で報告したら彼は激怒してもう九大とは縁を切る、二度と誰も採用しないといきまいたが、まあ結果としては別にそういうことにもならなかった。
この間もちろん九大の先生方にもご迷惑をかけたし、ご理解をいただくために何度もお話をした。最終的には先生方は私のためにあらゆる尽力をして下さった。初めは私の公募の件に難色を示されていたのに、最後は本当になりふりかまわないほどお世話して下さった当時の主任教官が、指導学生の一人の女性に「○○君、やっぱりウーマンリブは必要だよ」と、しみじみ述懐されたと後で彼女に聞いた。女性の就職のために真剣になろうとすると、そういう実感を持たざるを得ない時代だったのだ。
これはほんの一端だ。他にも研究会でいつも一人で全員のためにお茶をつぐため、ノートも取れず研究会出席をやめた女子学生もいた。そういうことから始まってさまざまの条件のある中で、男性と女性、既婚者と独身者、金持ちと貧乏人、その他もろもろの状況を背負ったどうしをライバル扱いして、あるいはライバル視してそこに公平な競争があり得ると思う感覚が、そもそも私には文学者として雑駁すぎると感じられてならない。著名な雑誌に論文が掲載される、著書がばかすか出版され、それが売れまくる、有名大学に就職が決まる、文化勲章をとる(中野先生ごめんなさい)、芥川賞やノーベル賞をとる、そういうことのもろもろを基準に自分の到達点や他人の価値を決定するということは、人生に対する手抜きとしか思えない。
まあこんなことは、わざわざ書くまでもなく、黙って一人で考えていればいいことだ。それでもつい書いてしまうのは、なぜか私は望みもしないのに予想もしない相手からいきなりライバルや目標にされることがあり、これが私には大変迷惑なことがある。
もっとも最近はあまりそういうこともなくなったようだが、これは私が「世の中も少しは進歩したのかね。結婚しろとか子どもを作れとか、あまり言う人がいなくなったし」とか言って、「若い人は今でも言われてますよ」と、あきれられるようなもので、もはや私を第一線の研究者として扱う人がいなくなっているからかもしれない。
だからもう書かなくてもいいようなものだが、だからもう書いてもいいことかもしれないから書いておくと、まあこれも下手したら相当いやらしい逃げになるので、あまり言うこっちゃないのであるが、私はいつも学校の勉強にせよ、古典の研究にせよ、学生指導にせよ、それが本来の全力投球すべき自分の仕事や生きがいと感じていなかった。したいことや、めざすことは、いつもどこか他にあって、それは非常に遠くのようでも、微妙にずれた近くのようでもあったが、とにかく何か別のもので、それをめざし、やっていることの目くらましとしての仮の姿で、自分は研究や教育をやっているという感覚があった。
大昔のテレビドラマに「0011ナポレオン・ソロ」というアホ~なスパイドラマがあって、ニューヨークかどっかの普通の町の一軒のクリーニング屋の奥に、巨大な地下組織への秘密の入り口がある。
私としては、自分の研究や教育は、そのクリーニング店のようなものだった。巨大な地下組織を隠蔽するものにすぎなくて、とはいえ、開店している以上、良心的にきちんと商売はしているが、決してそれが本業ではない。
私と業績を競い人気を競い成果を競ってライバル意識をむき出しにして来る人というのは、私はいつも、通りの向こうの、熱心なクリーニング店が、こちらも普通のクリーニング店と思いこんで、売り上げや内装や洗剤の質を競おうと挑戦してくるような、当惑と不快感があった。しばしば思ったのは、こういう人はクリーニング店以外の活動はまったくしていないのだろうなということ、そして、だからこそ、私に限らずすべてのクリーニング店は自分と同じと信じて疑っていないのだろうなということだった。
こういう相手に挑戦され、勝った負けたと一喜一憂されるのも、いいとこうっとうしいのだが、それ以前にそれ以上に、こっちは目くらましの店に注目されることで、地下組織の活動まであばかれることになりはしないかと、その方が常に肝が冷えた。
もっとも最近の私は地下組織の方が(それが何だったのかは、結局いまだによくわからないままで)開店休業になっている趣きもあり、クリーニング店の活動だけで一日暮らしてしまっているようなところもある。そして、このように、人の目にふれ、はっきりと評価される部分だけになり、それ以外の部分が自分の中からなくなることは、いつも私にとってぺらぺらの薄っぺらい一反木綿になるような恐怖と心もとなさがあった。
今も昔も、そういう人は人類のどれだけ程度いるのかと私はときどき、ぼんやり考える。若い学生たちを見ていてもそれはよくわからないが、ただ、今の若い人たちは、人目に見える部分だけでも今はあまりに忙しく、人に見せない部分を作り、現実にも頭の中にも巨大な地下組織を作る余裕など、きっとほとんどないのではないだろうかという心配もしている。
人は自分の感覚でしかものは言えない。だから、これはあくまでも私自身の体験だが、そのような巨大な「見えない世界」を作るには、知識はもちろん欠かせないが、それだけでは足りない。病的なものもふくめたあらゆる感情や、身体を動かしての体験から生まれる実感、長い時間をかけてただ考えをめぐらし自他と会話する思索、そういったものがうまく配分され調合されなければ、その世界は強靭な存在にならない。そんな時間が老若男女を問わず保障される世の中は今、どのようなかたちであるのだろうか。大学は本来ならかなりそういう場所だったのだが、即戦力や就職活動といった文字ばかり踊るキャンパスには、そういう雰囲気はあまり漂っているようには見えない。
ブログでも、こういった文章でも昔から私は、今の「断捨離」とやらが、「ひとつ買ったらひとつ捨てろ」と説教するように、何か人に見せるようなことをあからさまにひとつ書いたら、その分、絶対に口外できない何か・・・喜びでも怒りでも憎しみでも真理でも法則でも、何かをひとつ、ひそかに書きとめるか考えるかしておくようにしていた。今もそれが守れているかはわからないが、どんなにくだらないことでも、見せて公開した分は新しくひそかに何かをためこむことは、何となく私の癖になっている。
「全力をふりしぼり、全力を発揮する」競争を決してしないのは、私の長所でも弱点でもないだろう。だが、それはたしかに一つの特徴ではある。そういう人かどうかは、外から見てもわからない。だからさまざまな競技や競争は、その部分に関するだけの勝敗や順位であって、それ以外のどんな評価にもなりようがない。
3 圧倒的な勝利
さて話をぐぐっと元に戻して、私が受験にあたって後輩や教え子に伝授していた心がけのその二は、吃水線というか、当落ぎりぎりのゾーンから少しでも遠くに(もちろん上方にだ)脱出しておけ、ということであった。
試験というものは人の能力や才能をはかるのに、役に立たない、と若いころには私も思ったことがある。だが、数多くの試験に携わってきた中で、今ではそうではないと実感している。試験は、たしかに人をふりわけるのに役に立つ。特に、試験を行って選抜する、その目的によくかなう者と、まったく不適当な者をわけるのには、きわめて力を発揮する。
ただ、どんな試験でも合否判定のぎりぎりの範囲にいる人たちにとっては、つまり一点二点差のあたりでは、その試験の正確さは非常に怪しくなる。
よく問題にされる、試験開始時間の数秒遅れとか、監督官のおしゃべりや靴音で気が散ったとか、そういうさまざまな要因で影響を受ける点数の差が、合否の差となり運命の分かれ道となるのは、この範囲の人たちで、その人たちの運命をこういった、ささいなミスが狂わせるというのなら、それはたしかに、そうである。
だが、あえて言うが、これはもうしかたがないと思ってもらうしかない。人生もそうかもしれないが、ささいな運命に左右されるというのは、それだけ不安定な位置に自分がいて、一か八かで挑戦しているということで、だめもとの受験ということでさえあるのだ。それよりもっと圧倒的に下の人にとっては、もっと万一の僥倖をたのんだ、だめもとであるが、ぎりぎりのラインにある人も結局は「誰が落ちるかわからない」場所にいるということで、それはもう「合格したら運がいい」ということでしかない。
これもいささか機密事項に関わるような、微妙な話ではあるが、一番わかってもらえそうだから、あえて話しておくことにする。
何十年も入試問題を作ってきた。次章でゆっくり述べるけれど、ひとつの問題を作るには、担当者同士で何度も検討会議をし、大変な時間とエネルギーを費やする。複数の解答が可能でないか、どこかの教科書を使っていたら有利になる要素はないか等、あらゆることを想定してチェックする。
そうやって作った問題が、よくできているかどうかをどこかの機関が評価し順位をつけることは今のところないようだ。かなり昔は週刊誌が「こんな変な問題がある」と主に国語の問題をやり玉にあげて記事にしていたが、最近はあまり見なくなった。
中には出版される過去問集のコメントや傾向と対策を気にして、皆で採点をしている会場に「ほら、うちの大学のこの前の国語の問題、『バランスがとれていい』『古典はさまざまな題材からまんべんなく出題される』って書いてある」と、過去問集を持ってきて、うれしそうに話し合っている先生たちもいて、私は他の点ではおおむね大変尊敬している、その先生方が、そんなものに一喜一憂して子どもみたいにはしゃいでいるのを、も~何だよ~と相当げんなりしていた。まあ、私の方も国文学者の立派な先生が、入試に「四書五経をすべて書け」という問題を出して「えらい不評だったらしい」と風の便りに聞いたことから、世間の評価は気にしない癖がどこかでついていたのかもしれない。
世間の評価は気にしないが、そんな私でも多分他の出題者も、かなり気になるのは実は受験生の答案そのものである。たとえば、Aが正解の問題を、圧倒的多数がCと解答していたら、そしてその理由がわからなかったら、こちらに気づかない不備があったかと思わず問題を読みなおしたりする。記述式の問題でも「○○は××に愛情を感じたからわざとそう言ったのだ」が正解なのに、多数が「○○は△△に怒りを抱いていたからそう言ったのだ」(実際にはこんなに単純な解答ではないが)というように、ほぼ同じ系統で同一のまちがいを多くすると、やはり動揺する。
特に、ほぼ他の部分は満点に近い、理想的な答えを書いている受験生が、その問題だけまちがっていると、そして似たような例が数人あったりすると、これはもうひそかに正直に白状してしまうと「やっぱり適当な設問ではなかったのだ」「こういう設問はやっぱり無理があったのだ」と、反省せざるを得ないことも、いつもではないが、確かにある。
私はそうやって「失敗だった」とひそかに思った問題の設問を、何年たっても忘れない。その問題だけまちがっていた、ほぼ満点の答案の書面や字体までもどうかすると思い出せたりする。
だが、めったにないことではあるが、そういうことが長い年月の間に何度かあると、同時に別の印象もまた積み重なって行った。
あってはならないことなのであるが、このように「しまった、不適当な問題だった」と出題者がひそかに反省するような問題を出されてしまうことは、受験生にとっては最高の不運で不幸である。だから、申し訳ない、ああしまったと思いながら採点するのだが、そのような受験生はその他の部分できちんと正解を出し点をかせいで、結局は、そのあまり適当でない問題で失った点数など大して問題ではないような高い点数を全体としてたたき出すのである。
念のために言っておくと、それは公にされても問題にはならない、第三者の評価機関がチェックしてもおそらく誰も気がつかない程度の「不具合」「不適当」で、現実に採点していて初めて気づくような微妙な「不備」だ。
だからと言って、くれぐれもくりかえすが、私は自分を弁護するのではない。これはまずかったと後で思うような問題を出すことは決して許されない。確実にその優秀な受験生は、その問題によって被害を受け、とるべき点を失っている。
だから、私の弁護にはならないし、何の慰めにもならないが、ただ、その中でゆらがない実感として蓄積された事実として私が知ったのは、しかるべき実力のある者にとっては、まったく理不尽な不当な原因による失敗は決して全体の運命を左右などしないということだった。
もちろん、古典の解答用紙がそうであっても、現代文や漢文が加わり、更に他の科目の数学や英語や社会が加われば、その受験生が最も得意でそこで点数を一点でもかせぎたかった古典の分野で、そういう欠陥問題で数点を失ったことが全体としては決定的に運命を左右するかもしれない。
そういうことは事実としてあるだろうが、しかしそれは、ただ話の範囲が広がっただけで本質的には変わりはない。真に力があるのなら、古典で失敗しても全体としてとりかえす。更に言うなら仮に受験に失敗しても、人生の全体では得る物を得て幸せと満足をつかむだろう。
入試や選抜はたしかに一点で当落がわかれ、理不尽に人の将来を振り分ける。しかし、その一点に左右されない、もっと言うなら当落や運命に左右されない人生をめざすことは常に可能だ。どんなシステムも人間もまちがいをおかす。それにすべてを託し、信じて、自分の運命をゆだねる生き方をしないですむよう、努力しつづけることこそ何よりも必要なのだ。
若いころの私は「すべての人が幸福な世の中を作る」ことをめざしていた。多分それも私なりの、そうした努力のひとつだった。具体的には選挙の投票とデモへの参加ぐらいしかしていないが、今でもそれは貯蓄や健康管理以上に、基本的には変わっていない私の人生設計だ。