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いたずらっ子列伝・4(水の王子覚書28)

まあ言うまでもなく、「古事記」の中でのいたずらっ子というか、それではすまない暴力的な乱暴者と言えば、馬の皮をはいでタカマガハラの機織り場に放り込んで、機織り女を死なせたスサノオと、お兄さんが寝坊しているのを起こして来いと父親に言われて、起こしに行ってそのまま手足を折って殺してしまったヤマトタケルの二人が出色でしょう。どちらもその後立派に英雄になり、特に後者は「父に愛されない」と嘆いたり、女装して敵を倒したり、女心をくずぐる要素も多分に持ってるからやっかいです(笑)。彼が出るのは古事記の中巻ですから、上巻だけを扱ってる私の小説には登場しませんが。

スサノオの若き日についても、アマテラスその他の回想として「渚なら」の中でちらと触れただけですが、私の設定では、若い時のスサノオは危険で狂的な美しさがみなぎる少年で、アマテラスがその魅力に溺れかねなかったのをアメノウズメがとめたことになっています。そのことで、アマテラスは森鴎外の「舞姫」のラストもどきに、ウズメをどこかで許せず愛せない、それをウズメも知っているということになっています。この主従の関係も私はけっこう好きかもしれない(笑)。

水の王子・短編集「渚なら」3

 

さて、洋の東西の文学に登場する、「いたずらっ子」の考察です。

「赤毛のアン」と「若草物語」、あるいはモンゴメリとオールコットのちがいについては、これまでにも何度か書いた。「夢の子ども」「赤毛のアンと若草物語」など。(どっちも長すぎてごめんね。)

で、前回「赤毛のアン」について書いたので、今回は「若草物語」について書く。

アン自身がいたずらっ子とも言えなくはないと同様に、「若草物語」の四人姉妹の次女ジョーも、優等生ぞろいの登場人物の中では、気性が激しく暴走しがちなキャラである。彼女はベイアー氏という、よき伴侶を得て、子どもたちにも恵まれ、富裕層から貧困層までさまざまな子どもたちを預かって養育する、プロムフィールドという施設を設立運営する。さまざまな個性の少年少女が登場し、理想的な環境で教育がなされる、快く楽しい作品で、「若草物語」の続編(第三若草物語)としてきれいな文庫で出版されている。私は子どものころに単行本の古い訳「母への聖歌」で読んでいて、今回も基本的に、その記憶で書くので、まちがいがあればお許し下さい。

この「第三若草物語」の中で、母親でもあり経営者でもあるジョーは、優しくも厳しく、若々しくて明るい、理想的な女性で、冒険心も正義感も失われていない。みがきがかかっているかもしれない。
 いたずらっ子のトミーなど元気な少年もいるのだが、彼女はそれではものたりず、特に実子の少女デイジーが大人しくいい子すぎて、他の少年たちからも大切にされて上品になりすぎていると感じ、豊かな親戚の子で、別に虐待とかをされているのではないが、あまりていねいに教育されているのではない、ナンという少女を預かろうと考える。よき夫で共同経営者でもあるベイアー氏が「あの爆弾娘を?」とびびる(もちろん妻を信じているし、心配も反対もしないが)ほどの大変な問題児だ。

このナンだけど、いたずらっ子と言っても彼女は人をからかおうとか、いじめようとかいう精神はまったくなく、そういう点では健康でまじめだ。ただ、とにかく負けず嫌いで大胆で型破りで、とんでもないことを思いついてはどんどん実行するだけだ。それが大人も子どもも混乱と騒動に巻きこんで、右往左往させるだけだ。当人は意図してやっているのではない。頭もいいし、判断も行動も速い。もちろん男の子たちにも負けていないし、あらゆる点で互角に戦う。

ベイアー母さんと皆に呼ばれるジョーは、そんな彼女について、通信簿のような連絡帳のようなメモを作っている。それを読むと、ナンは、デイジーの人形を土に埋めて腐らせてしまったが、黒人の娘としてリフォームしてよみがえらせたり、捨てられた子猫たちをかわいがって大事に世話したりする、発想の豊かさ、心の優しさを持っている。頭がいいから口が減らないところはあるが、ひねくれたり落ちこんだりということはまったくないし、反抗的でもなく素直だ。ジョーがこのメモの中で、一番ナンを叱っているのは、下男のサイラスのように入れ墨をしたいと言い出したことで、「とんでもない、何ということを」とジョーは激怒しているが、これだって、今のタトゥーを思えば、ナンの発想はとらわれないし、もちろん差別意識もないことがわかる。そしてジョーはメモの最後に、ナンの存在が男の子たちにも、負けていられない油断ができないと、真剣に努力する刺激を与えて、皆にとてもいい影響を及ぼしていると絶賛している。

私は他の文章にも書いた通り、モンゴメリとアンの世界が、オールコットと若草物語より好きで、それは後者が道徳的で教育的すぎるのが肌に合わないからなのだが、このナンの扱い方と、アンの世界のドラの描かれ方を比べると、どう見てもオールコットの方が元気で型破りでわんぱくな女の子をちゃんと扱っているような気もしてくる。ただ、もしかしたら、そこもやっぱり、ある意味「教育的」で私には鼻につくとも言えなくはないが、このへんは微妙である。

この巻の最後に近く、ナンは年下の幼い男の子を連れて森の中で迷子になり、そこで一夜を明かして、皆を大変心配させる。今でも覚えているが、私はこの場面が大好きで、弱音を吐かずに男の子をかばって暗い森の中で眠るナンの様子に、あこがれたしうらやましかったし、自分がナンになったつもりで、いつもその空想を楽しんだ。今思ってもうっとりする。そんな冒険をする少女の話なんか思えば、ほんとに少なかった。

ナンたちは翌日無事に救助されるが、安心し喜ぶ一同の中で、ジョーはナンが男の子たちや皆にあがめられる英雄っぽくなっていることに気づいて、それはよくないと、彼女を呼んで、不用意に勝手な行動をして森に迷い込んだことを反省させ、罰として皆が遊びに行く間、へやに閉じ込めてそこで過ごすよう命じる。ナンは不満はあるが、一応それに従って、一人でへやで過ごす間に、落ち着いて反省の気持ちも生まれる。そして、帰って来る他の子どもたちの楽しそうな一行を、おだやかな気持ちで窓からながめている。この場面の彼女は静かで、ことさらな説明はないが、ある種の成長をしたことが自然に感じられる。

彼女の性格や行動は、皆に愛され、尊敬されていると言ってよい。男の子たちからは守る相手ではなく、正当なライバルとして扱われている。そしてジョーは彼女を深く愛して理解しながらも、指導や処罰を忘れてはいない。オールコットの描く世界のルールやモラルが、どのようなものかを、ナンはよく示す存在でもある。

イラストは、どちらも濃いキャラすぎますが、ツクヨミとイワナガヒメの人物紹介用のイラスト。なお私の小説では、この二人は夫婦になって酒場を経営しています。知らんぞもう(笑)。そうなったいきさつは、「村に」の終盤と「渚なら」の「千客万来」の話でどうぞ。

水の王子・短編集「渚なら」10

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