どこまでバカで恥知らずなんだ
アベ元首相のプーチンとのべたつきぶりと、それで失った日本の国益について、まだ知らん人がいると先日怒ったばかりだけど、私がそれを書いた同じころ、アベは今度はあろうことかゼレンスキー大統領と(一方的に)いちゃついていたようで。タイトルをくり返しますが、まったくどこまでバカで恥知らずなんだ。
これも数日前に私は、プーチンへの怒りのあまり、アベや橋下と協力してでもプーチンを葬りたいと口走りました。まだ取り消す気はありません。しかし、そう言ったこともあるから、ひょっとしてアベのこの行動は、プーチンに反省をうながすパフォーマンスってこともあろうかと、まあものすごい解釈も一応考えては見たのですけどね。これまでのことや、この男の資質を考えてみても、多分そうではなくて、自分のしていることの意味もわからず、ただもう世界と国民をなめてるとしか。
私は人間でも社会でも、進歩したなら変化すると思っているし、個人でも組織でも勇敢に誠実に勤勉に発言し行動していたら、過ちもあるだろうと思ってる。ないように全力つくさねばならないことは前提としても、それを恐れて沈黙してしまうのは、ちっとも良心的でもカッコいいことでもないと思ってる。
ただ、その変化や転身については、それこそ血を吐くぐらいの思いで、恥を忍んで、きちんと説明してほしいのよね。前の誤った行動や発言で与えた被害や傷つけたものの多くに対する、それが最低のモラルだと思う。
そういうのがなかったら、前の発言や行動を、その人や組織は今も正しいと思ってるんだと私は解釈するし、「察してね」「わかってね」という感じで、ずるっ、ぬるっと変化転身する人は、一番気持ち悪いし、許せない。
ちなみに、いろいろ不十分なところもあるという人がいるかもしれないけど、こういうことについて、いつもきちんと長々と説明して、きっちりけじめをつけてから前進するのは日本共産党で、私が信用する理由であるだけでなく、私自身が自分の生き方で思わず知らず目安や模範にしているのは、あの党のいろんな節目節目での、あの長ったらしい、かゆいところを残さない弁明や説明や論文であるかもしれなくて、そういう意味ではあの党に育てられてるな、私はきっと(笑)。何かあったら、そういう釈明がきっちりできるかということを基準にして日常を生きるということも含めて。
だから私の幼いころ、雑誌の性の相談コーナーとかで、「同性愛は病気、治療が必要」とアドバイスしておきながら、その後いつからか平気で「全然おかしいことではない」と言い出して、私の知る限り誰も反省しなかった、心理学とかその手の学問全体を今も絶対信用しないし、「関白宣言」を作った歌手が、どんないいことを言っても歌ってもまったく楽しめないし感動しないし、原発はクリーンなエネルギーってコマーシャルに登場した映画監督がどんないい発言をしいい映画を作っても、耳も目もかたむける気がしない。まあ、こういった人々を、アベと同程度に扱うのは、かなり失礼だし気の毒だとはわかってるけど。
それに比べりゃ大したことじゃないけれど、私自身へ対する評価にしても、自分の判断じゃなくて、周囲の私の評価が変わると、当然みたいに普通にすり寄ったり遠ざかったりする人というのは、私に対してだけじゃなく、あらゆる点で信用できない。あ、だけど、こういう人の存在は貴重で、この手の人が私にどういう態度をとるかで、あー今周囲の皆が私を見限りつつあるなとか、軽んじ始めたなとか、支持しつつあるなとか、人気急上昇中だなとかいうのが明確にわかるから、そういう判断基準として手近に一匹おいておくのは悪くない(笑)。
まったく、こういう執念深さがあるからして私は、唐突だがソフトバンクホークスの牧原大成選手につい感情移入したり近親憎悪を感じたりするんだろう。そう言えばプロ野球も開幕してるんだったな。ホークスの柳田選手の等身大の抱き枕がグッズとして発売されたというニュースを聞いて大笑いして以来、忙しくなってスポーツ方面のニュースをチェックしていないのだけどさ。
さて私の方は、安物でも新しい服を買うお金がまるでないので、ありあわせのものに、叔母の遺したレトロなバッグやアクセサリーで、気分を一新して乗り切ろうかと思っています。部屋のすみにあった箱から、叔母の金ピカアクセサリーがいろいろ見つかったので、使ってみました。これって、安い服につけると、かえって嫌味がなくていいみたい。しばらくは楽しめそうです。