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はさみうち

NKK党の立花なんちゃらが逮捕されたらしい。あんなすっとこどっこいを、これまで放置していたことの方がおかしいのだから、こんなに時間がかかったことさえ除いたら、別に驚くことでもないけど。私は、どっちかというと、アベ元首相を狙撃して死なせた犯人よりも、こちらの方が罪が重いと思っているぐらいだ。人の命以上に大切なものはむろんないが、彼はある意味では人の命もふくめて、人の命以上のものを殺しつくした。民主主義を、法の精神を、よき社会の良識を、人間のことばのかけがえのなさと尊さを、すべて、辱めて虐殺した。私は人間の、社会の復元力をこれでも信じている方だが、彼がこの間に殺戮したものの多くは、もう二度とよみがえらないのではないかと思っている。

彼に殺された被害者のお一人は、彼がさしむけた愚かな共犯者たちの脅迫で、家族が、特に妻が精神的に苦しんだことが何よりも命を断つ引き金になったかもしれないと聞く。だとしたら、そのことによって誰よりも自分を責めて苦しまれたにちがいない、その妻が、今回の告発に踏み切られたことに、私は感謝し、ことばを失う。どれだけの思いを乗り越え、どれだけの人に支えられて、その決意をなさったか、想像を絶する。こっぱずかしい低級で愚かな電話やメールなどの攻撃を、その重さも考えずに行った人々のひとりひとりが、告発されて裁かれるとよい。せめて、自分のしたことの意味を知るといい。

私は、アベ元首相の狙撃と犯人についても決して軽く見ていない。私はアベ元首相をどんな意味でも評価せず、せいぜいが、やんちゃな間抜けとしか思っていない。しかし、私のその評価がどうであれ、彼はとにかく私の国の首相であり、それが白昼、選挙演説中に殺されたという事実は、これもまた、人の命だけではない、民主主義や法や守るべき正義の殺戮である。許してはならないし、徹底的に裁かれるべきだ。

それがどうだ。この狙撃事件の裁判は遅れに遅れ、犯人や事件についての報道は、長期間まったくというほどなされなかった。私がアベ氏本人やその家族なら、国葬などより先に、徹底的に事件を調査し、真相を解明してほしいと願うのではないかと思うが、ちがうだろうか。犯人に関する情報をまったく流さず、あの事件そのものをなかったことにしたいとさえ思っているかのような、政治と報道には、野党の方々も含めて、私はまったく共感も理解も出来ない。「なぜ彼は殺されなければならなかったか」。それを徹底的に明らかにすることが、何よりも殺されたアベ元首相への供養であり、その業績を明らかにすることではないのか。そこを伏せたまま、偉大な政治家といくらほめそやしても、何の実感もともなわない。

そしてやっと裁判が始まり、私もしっかり見ているわけではないが、これに関する報道がこれまた少なく、薄っぺらい。
 そして、そのわずかな報道をチラ見してさえ、被告(犯人)の生育歴や経歴は、胸がつまるほどの悲惨で無惨な事実の連続だ。ひとつの家族がカルト宗教によってひきさかれ、滅ぼされ、必死に逃れようとしても一人の脱出者も許されなかった、ホラーというのもまだ甘い、恐ろしい悲劇がそこには浮かび上がっている。
 自己責任という面もあろう。しかし、このすさまじさは、それを圧倒する。信者であった(今もそうかもしれない)母親にしても、とても彼女ひとりが悪いなどとは言えない。彼女が今も味わっている思いを想像するだけで、私は彼女を責められない。被告も責められない。

犯した罪の量刑については私には専門的な知識がないから判断できない。問題は、このような宗教が存在し、このような家庭が存在し、それが私たちの首相を殺害するに至ったということだ。被告が首相に抱いた怨恨は、どこまで真実なのか、徹底的に追求しなくてはならない。それが誤解で錯覚なら、それを精確に証明しなければ、一片の疑いでも残るなら、被害者(アベ氏)は救われないだろう。

誤解や錯覚でなかった部分があるのなら、それもまた、徹底的に公開されるべきだ。それは必然的に、統一教会と自民党との関係を明らかにすることにある。ここを避けては通れない。そして、高市首相はじめ現在の内閣が、それを明らかにできないのなら、アベ元首相は、俗な言い方すぎるかもしれないが、決して成仏できないだろう。

自民党が選挙のために深く考えず、統一教会の協力を求め、受け入れたのなら、それはそれでわからないでもないし、その意味をよくわかっていなかったのなら、あえて言うなら過ぎたことはしかたがない。しかし、曲がりなりにも首相だったアベ氏が、なぜあのような理不尽な死に方をしなければならなかったか、真剣に悩み悲しむ人はいないのか。そのために、アベ氏の責任があるなら、それも認めて、真実をとことん明らかにし、日本の未来と政治のために、カルト宗教と手を切ろう、距離をおこうと、真剣に努力しようと思う人はいないのか。

これまでもときどき感じたが、安倍晋三氏は本当に誰からも愛されない、不幸な人だと私は思わずにいられない。絶対誰かに殺されそうだが、ときどき私が一番、彼を愛しているのではないかとさえ思う。

少し前、戦争トラウマについての本の感想などを書いた。その時と似た気持ちを抱く。戦時中に敵を残虐に殺した男たちは、そのような行為への反感を抱くリベラル派、そんな行為はなかったことにしたい保守層の両側から、うとまれ無視され、中有に迷って苦しみ抜くしかなかった。アベ元首相への狙撃事件にもそれを思う。日本と首相に誇りを持つなら、人間すべてを愛するなら、誰が何を得するかはさておいて、真実を徹底的に国民の皆が考え、追求し、白日のもとにさらすべきだ。

戦争トラウマについて(1)

戦争トラウマについて(2)

戦争トラウマについて(3、これでおしまい)

 

やれやれ、澤地久枝さんのような方が、もっといて下さったらなあ。いや、きっといらっしゃるにちがいないのだが。

ところで、大河ドラマ「べらぼう」は、朝ドラ「ばけばけ」なみに、いやそれ以上のすごい速さで悲劇をたたみかけてくるなあ。そう来るか、そこまでやるかって感じで、目をはなせない。

日本シリーズのことも書きたいのだけど、これもまた、書き始めたらとまらなくなりそうで。いくら何でも明日はそろそろ書き始めようかな。そんなヒマがあるかどうかは知らんけど。

あ、そうか。クマの話もあったんだっけ。それもどうやら明日ですね。

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カツジ猫