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白バラ次々

庭の白バラ(ふちは、ほのかにピンク)が次々咲いて、つぼみが多くくっついているので、先の方の一輪しか切れず、それをありあわせのコップやびんにさしている。散らかったキッチンの窓辺におくにはもったいないような美しさだ。

 ジャスミンはそろそろおしまいのようだが、気がつけば奥庭に最初の黄色い大輪のユリがぽかりと開いていた。あちこちに散在するグラジオラスの茂みも今年は皆元気で、長くのびた茎の先に、もう花が見えている。一方で毎日猛暑だから、必死で水をやらねばならない。あおーん。

集中講義が何とか終わったけど、最後の「怒りのぬれぎぬ」に関して、学生たちにどうしても見せておきたくて、だいぶ前に多分学校の先生たちの集まりで講演した、

「赤毛のアンと若草物語」

を、授業用掲示板に追加でリンクした
 実はその少し前に、学生たちの毎時間の小レポートで紹介してるが、ほとんど全員の学生が、「刑罰や処分を与えられたら、少々無理でも納得して反省して受け入れるのが幸せ」と書いて来ていた。これは私の授業の区切り方にも原因があって、そういう反応や回答も無理はないのだが、さすがに圧倒的すぎて、ちょっと笑った。

私は同世代への共感や連帯感は、ほとんど感じない人間だが、それでも理解はできるので、多分私の同世代の友人知人は、これを知ると慨嘆し、熟読すると絶望するのではないかと思って、それもまた、ちょっと笑った原因だ。

その次の時間に私は、学生たちが多分理想としたような「尊敬できる長上者が与える罰を納得し喜んで受ける」文学の場面を紹介して、その長所と必要性を述べた。そして引き続いて、「最後まで納得せず、抗議して罰される」人の例も紹介し、更に、ディストピア小説の独裁者や体制が、犯行抵抗する者を処罰するのに、残酷な処刑で英雄にしてしまうことを避けて、拷問洗脳手術などによる人格改造を行って、彼らが心から反省し嬉々として独裁者に与えられる罰を受け入れ感謝の中で死んで行くようにすること、それはまた、少し前まであった、教育の場での体罰の肯定、男女を問わずレイプやDVを与える相手に「気持ちよくなったろう」「これが望んだことだろう」と言い聞かせる場面などにもつながることを指摘した。

学生たちの小レポートノートは返却してしまったし、最後の授業の小レポートは書かせてないから、彼らがどのような感想を持ったかはわからない。その時も時間がなくて、上記の講演については、触れなかった。
 でも、せめて追加でリンクしておこうと今あらためて読み直したら、かなり前のものだけれど、二つの作品について、また「赤毛のアン」とモンゴメリについて、他では書かなかったことも書いていて、学生に限らず多くの人に読んでもらいたいと思った。

私の集中講義は、江戸時代の歌舞伎についての知識を伝えることであり、「怒りのぬれぎぬ」は、そのための手段の一つに過ぎず、ましてや、この「罪の受け入れ方」については、浅い意味でも深い意味でも、何が正しいか、私にまったく結論は出ていないし、結論を出す必要はないと思っている。「反省して罪を受け入れる快楽」については、私自身性的興奮さえまじった快感を抱くことも多いぐらいだから、なおさらだ。

学生たちにも話したように、私はどうせよっぽど長くても、あと二十年も生きない。今後の世の中を作るのは、学生たちも含めた次の世代にしかできないことだ。

先日の若いお客さんとのおしゃべりの中で、私がクダを巻いた一つは、「佐藤愛子さんの老衰や死にショックを受けて生きる希望や気力をなくす人」への、ののしりであった(笑)。他者の生き方を自分と重ねて、その人の衰えや消滅を嘆くなど、私に言わせれば無責任で失礼で傲慢だ。私がまだ悟りを開いていないせいもあるのだけど、私がぼけて身心ともにガタガタになって、庭も家も荒れ果てて、見るかげもない死に方をしても、虚しさやら淋しさやら、喪失感やら無常感やら、いっさい感じてほしくはない。そもそも、そんなに私のことを知っていたのか。私の何をわかっていたのか。何が変わって、腐って、滅びて、消えたか、知っているとでも思うのか。反射的にそう思う。

これも少し前から思って、人にも言ってることだが、そもそも誰かが死んで人が悲しむのは、結局は、「金がもらえない、快い時間が持てない、知識をもらえない、情報がもらえない、目の保養ができない、手伝ってもらえない、住まいがなくなる、不便になる、話し相手がいなくなる、抱いてもらえない、抱いてやれない」その他もろもろ、要するに「自分が不便になる」ということでしかない。それはちっとも悪いことではないけれど、「自分に都合が悪い」嘆き以外の要素なんか、絶対、どこを探してもない。そのくらいのことは自覚していても罰は当たるまい。

結局は、自分の生き方を、自分で探して、築くしかない。他者の生き方も死に方も、その人のものでしかないように。

なお、授業のテキストは、「ぬれぎぬと文学」で読めます。

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カツジ猫