ラフな格差論19-誰を生き残らせるのか?

母を告発した少女

映画「私の中のあなた」は、白血病の姉に臓器を提供しつづけていた11歳の少女が、それを拒否する裁判を起こす話だ。ショッキングな内容だが、最後はちゃんと感動的にまとまって後味はまったく悪くない。母親が自分を告発する少女に法廷で「私はあなたを知っている。何かがおかしい」と追求する場面は、母の誇りがみなぎって圧倒される。

しかし、江戸の歌舞伎などでもよくあるが、この後半の心温まる美しい結末は、前半で提起された重い問題をつきつめて観客を追いつめないためのものだ。
この家族には娘たちの他にもう一人男の子がいる。この少年を通して映画は、臓器を提供した妹だけでなく、この少年もまた姉のためにさまざまな犠牲を払っていたことを伝える。病弱な子どもがいて、その子を中心に家庭が動くと、当然他の家族はそれに合わせざるを得ない。

強者が弱者の犠牲になる

兄弟姉妹に優秀な人がいて、それと比べられ犠牲になってぐれたという話は映画漫画小説現実に腐るほどある。親や周囲は優れたものに目をかけて、劣ったものを無視しやすい。しかし健康に関してはむしろ逆で「私の中のあなた」が臓器提供というショッキングさで強調したように、優れたものが劣ったものの犠牲になりやすいような気がする。それとも健康の場合でも、劣った弱い方が犠牲にされている場合も実は現実には多いのだろうか。

難病に苦しむ人や家族の場合、金銭的な問題を解決できるかどうかで、その人たちの間にもまた格差は生じる。だがそれは今しばらくおくとして、家族でも世の中でも、弱い病んだ死に瀕した人を救うために、健康な人はどれだけ自分の臓器や時間や金銭や機会を提供するべきなのだろうか。

ベトちゃんドクちゃん

ベトナム戦争の後遺症でシャム双生児として生まれた一人のベトちゃんが重い病気にかかり、二人の命が危険な状態になった時、ベトナムの医師たちは二人を切り離す手術をした。その後、ベトちゃんは意識が回復しないまま亡くなり、もう一人のドクちゃんは現在では妻子もいる青年になっている。
実は私は陽気なドクちゃんも好きだったがおとなしいベトちゃんの方が好きだったせいか、二人を切り離す手術で医師たちが、臓器や手足を回復の見込みの少ないベトちゃんにも、元気なドクちゃんにも、どちらも優先しないであくまで二人を生かそうとするかたちで切り離したと聞いて、うれしかったし、ありがたかった。
今でも部屋の模様替えをする時、一方の部屋に何もかも好きなものを集めず、できるだけどの部屋もそれなりに感じよくしようと工夫するくせがあって、そんな時、ベトちゃんドクちゃんの手術の精神で、と自分に言い聞かせたりするぐらいだ。

誰から先に殺すのか?

だが、その反対の発想もむろんある。題名も忘れたが、タイロン・パワーが難破船の船長を演じた大昔の映画で、彼はいかだに残った十数人の生存者をやむを得ず一人づつ海に下ろして人数を減らさなくてはならない時に、ともかく丈夫で生き残る可能性の多い人をいかだに残す。だから、皆に愛された老いた大女優も、ノーベル賞級の大科学者も皆、「生き残る可能性が低く、弱いから」と海に下ろされ、残されて、最後にいかだに残るのは、そりゃ健康だが売春婦や詐欺師や言ってみれば人間のくずと言われそうな人ばかりである。それでも、とにかく生き残る可能性が高い人を残し、生存者を一人でも多くするのが、船長の選択で、判断だった。

弱い人、生き残れそうにない人を何とか守って、強い健康な人が犠牲になっても、皆で助かるか滅びるかする道を選ぶのか。生存の可能性のない人を切り捨てて、とにかく生きる力のありそうな人が生き残る社会を作るのか。あるいは、その中間のどこで手を打つのか。その判断はさまざまだろうし、どちらにも納得できる理屈があり、理解できる心情があるだろう。私自身が、今どちらかに賭けるしかないなら多分前者を選ぶだろうが、まだ確信はないし、今選びたくはない。

大学改革についての私の勘違い

実は、文部省が全国の大学の評価をするという話が十年ほど前に持ち上がった時、大学の教員だった私は本当に、まったく自然に「ああ、評価が低い大学には予算を多く与えて、改善充実させるのだな」と、くりかえすが本当に普通に思っていた。
ところが、そうではなくて優れた大学には予算を増やし、そうでない大学の予算は削るのだと知ったときの、何やらもう、コペルニクス的転回級に、私と政府か社会か今の日本の感覚はちがうと痛感した衝撃は、いっそ笑ってしまったぐらいだ。

それはつまり私には、「私の中のあなた」の白血病の姉にはろくな食事も薬も与えず、健康な妹には栄養剤や健康食品をばしばし与えるということであり、生き残りそうなドクちゃんのために手足も臓器も最大限確保して、ベトちゃんはそれで余ったちょっとした残骸だけにしておくということであるとしか思えなかった。
実際そういうことだと思う。そちらの道を選択するなら、それはそういうことだという覚悟はやっぱりしておきたい。

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カツジ猫