ラフな格差論20-怠けものは排除できない

数十年後のバスジャック

私自身が相当な怠けものなのでわかるのだが、ある組織のなかで仕事をしない、皆のお荷物になっている、無駄な存在の人を排除しようとするのは実に難しい。
いや、できないことはないだろう。だが少なくとも私が知っている職場と言えば大学しかないので、そこでの話に限るしかないが、これまで体験してきた感覚でいうと、怠けものを一人いなくしようとしては、働きものを十人近く消してしまっているような気がする。

大学には明確な営業成績等で判断できる、勤務状況の基準がない。論文、指導学生数など数値ではカウントできないことが多すぎる。そもそも私がしばしば大学評価の講演会で講師に質問して困らせたように、数十年後にバスジャックか大量殺人をするかもしれなかった学生や生徒と真剣に対話し指導して、その若者の性格を前とちがったものにして、ごく普通の良き市民として一生を終わらせるようにした業績なんて、わかりようも、はかりようも、あるわけがない。

女は機密を守れない?

男女差別にやかましい友人が「女は秘密を守れない。昔から男から聞いた機密を女がしゃべったからバレて失敗した計画は多い」という理屈を鼻で笑って、「女が秘密を守ってしゃべらなかったから成功した計画はカウントしようがないだろうが」とバカにするのと似た理屈で、最も成功した教育は表に出ないし目に見えようがないものだ。「あの先生のおかげだ」とさえ、気づかせないのが多分最上の教育だから、きっと感謝もされはしない。

そのようにわかりにくいとは言っても、たしかに、事務的な仕事を人に押しつけて論文ばかり書く人もいれば、論文はまったく書かないが事務的な仕事には大変な能力を発揮する人もいる。よりよい大学を作る上ではどちらも困るとは思うが、こういう人たちはともかく何かはして働いている。しかし、どう見てもまったく何もしない人、極端な場合には精神を病んでいるとしか思えない人も時にはいる。

こういう人はばっさり即座にクビにしたら、たしかにいいのかもしれない。しかし現実としてそうはならない。それは日本的体質とか組合が強すぎるとかいろいろ意見があるだろうが、何が正しいか私はわからない。そうやってばっさりいつでもクビにできるシステムというのが、あった方がいいのかどうかもはっきり言ってわからない。

無駄をなくせば楽になるという幻想

国立公立私立と非常勤も含めると十に近い大学で勤務してきた私の印象では何も仕事をしない、本当の怠けものと言える人はめったにいない。だが、人や予算が減って忙しくなると、「怠けものを減らしたら、もっと楽になるのではないか」という幻想に、大学の中でも外でも皆がとらわれはじめるようだ。
だが、現実には政府にも社会にも大学にも、そんな決断をするだけの資料もなければ根拠もない。その結果これも私の印象だが、どんどん過酷なノルマを課して、怠けものがいたら運営できない状態を作ることで、怠けものの存在を不可能にできるのではないかという幻想もどこかにある。

優秀で良心的な人から倒れて行く

しかしもともと「怠けものがいなくなったら、もっとましになる」ということ自体が幻想で、怠けものが目につく事態はすでに怠けものがいようといまいと、やっていけない状況である場合が多い。だから、怠けものがいたたまれない状況を作ろうとすると、怠けもの以前に他の皆が倒れる。特に優秀で良心的で、本来、組織や国家や社会のためには残しておくべきだった方から、人はどんどん倒れて行く。この十年ほどの間に、そうやって倒れて死んで行った優れた研究者を数多く見た。その一方で滅びたり倒れたり消えたりした怠けものなど、一人も私は知らない。むしろ、生き残るために、そういう優れた人を見殺しにして怠けものになる人の方が増えたかもしれない。私も多分、その一人だ。

怠け者は生き残る覚悟がちがう

もちろん程度の問題はあるが、基本的に怠けものがまったくいない組織や共同体はあり得ない。怠けものの働かないのをカバーするのは、周囲の特に良心的で能力の高い人である。
乱暴な言い方かもしれないが、どんなに厳しい状況でも、そういう怠けもののカバーができる余力が、周囲や能力のある人に残っている状態をむしろ保障するべきなのだ。
怠けものを排除しようとどんなに条件をきびしくしても、怠けものは決してこたえない。そうやって生きてきた人、そうやってしか生きられない人は、伝統がちがうし覚悟がちがう。へたばるのは、結局怠けものの分をカバーする優秀な人たちである。

一般企業のリストラは多分「怠けもの」などという大ざっぱな基準で行われてはいないだろうし、いろんな点で大学はやや特殊かもしれない。だが、どのような場所であれ、少数の怠けものは常にいるし、怠けものが圧倒的に多いとしたらその状況が異常であり、選別排除して解決できる問題ではない。忙しさや苦しさを少数の怠けもののせいにして、それを排除できると思うのは、結局そうでない人たちを、より苦しめることにしかならない。

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カツジ猫