ラフな格差論16-潜在能力恐怖症

点数化しなきゃ気がすまない症候群

最初に断っておくが、これは被害妄想かもしれない。それでも気になるので書いておく。格差について考える何かの役にはたつかもしれない。
私はもう退職したが、職場は大学で、仕事の内容は研究と教育、それに大学運営だった。近年、予算が削られた分、人手は少なく仕事は多く皆が忙しくなったせいもあって、誰がどれだけ論文を書き学生を教え委員会等で会議に参加しているかを点数化してABCDのランクをつけるという話になった。冗談かと思っていたら実現して、その内にこれが給与にも反映するのではないかという話もある。

論文だけを考えても専門分野がちがい、研究方法もちがうのだから、全部同じ基準で数だけカウントしたところでまったく意味がない。それでも誰がどれだけ仕事をしているかを数に直してランクづけして公表することで何かがわかったつもりになり、そのリストやランクの上では怠けて何もしていないことになる人をあぶり出し、居心地悪くする効果も、これはねらっているのかもしれない。

最大限に活用したい中毒症

最近、どういう世界のどういう分野でも、こうやって各人の能力を引き出し最大限に活用しないといけないという発想が普通になってきている。
それが必要な時も効果的な時もあるだろう。しかしもう短絡的な感情論で言ってしまうと、私はこういう試みのすべてに「自分はこんなにがんばっているのに、他人を怠けさせてなるものか」という精神、もっと言うなら「自分は持てる能力ぎりぎりを発揮しているのに、まだそうしていないやつがいるのは腹立たしい。潜在能力など残しているやつを見逃してなるものか」という精神を感じてしまう。

二十四時間戦わせたい依存症

何かの仕事で委員会などを運営していると、よく起こるくいちがいや感情的対立は、仕事のノルマを確認して、それをさっさと片づけて、あとは関わらない人と、とにかく常に会議に参加し、随時に顔をあわせて打ち合わせし、すべてをその活動にうちこむことを前提にしている人との間で起こる。私は前者のタイプなのでわかるのだが、後者に比べて前者が仕事をしないのではない。むしろ割り当てられた仕事は他の人以上に片づけるし、他の人の分を引き受けもする。
ただ、こういう人は、他に自分のしたいこと、するべきことを持っているので、その委員会の仕事にさける時間も力も限られている。だから、自分は何をどれだけしたらいいかを一刻も早く知りたがるし、それがわかったら最速で処理して、自分の他の仕事(研究、趣味、副業、子育て、介護等々)に戻る。

だが往々にして、後者のタイプの人はそれが不快で許せない。滅私奉公とまでは行かなくても最優先の課題として皆が自分と同じ仕事をし、できる限りの努力をすることを求める。自分や皆の目に見えない、かげでしている仕事は認めない。もちろんかげで仕事はしていないで怠けているかもしれないが、それがわからないことも含めて、見えないところでなされている仕事や努力や休息を把握できないのが、こういうタイプの人は苦痛だ。

人の人生も管理したい病

私など、人の上に立ったりまとめ役をする時でも、人が与えた分の仕事をしてくれたらもうそれで満足で、顔を見せない時間にその人が人助けをしていようがSMクラブに行っていようが気にもならない。だから、それが気になる精神というのがまるで理解できないのだが、最近の評価ばやりを見ていると、自分に関係ないことでも人がどれだけ努力しているか知ろうとする人、努力していないと許せない人が普通になってきているようだ。
いったい何で、そんなことが必要なのかわからない。自分の生き方をつらぬき守るために必要なことを求めるのなら大いにわかるが、人がどれだけけんめいに生きていようとずぼらに生きていようと、それと自分の人生と何の関係があるのだろう。

隠し金を許さない恐怖症

自分に見えない、かげの部分で人が養ったり守ったり育てたりしているもの、何もしないで怠けているにしても、その人のまだ発揮されていない潜在能力、そういうものへの怯えや警戒を私は最近の世の中に感じる。自分の目に見えないところで、善行も休養もさせてなるものかという気合をこめている人、かくし金は許さないという目つきの人が増えた。貧しい人に本当に困っているなら預貯金も持ち家も皆吐き出してすっからかんになれと要求する精神とも、それは似ている。

生活保護を食い物にしている人のような存在が、どんなものなのか私は知らないが、そういう状況もたしかにあるのだろう。だが、そういうことの防止には、せめて人が生きる上での最低限のノルマを課して、それを果たしていれば基本的にあとは何をやっても自由という方向の考え方で政府も社会もいてほしい。見えない部分などなくして、同一で共通の方向にすべての人を走らせて順位づけし、それで能力や努力の程度を判定できるなどというのはしょせん幻想で、そんな成功の可能性もない試みをあの手この手でくりかえすのこそ、時間とお金の無駄使いである。

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カツジ猫