お買い物と文学12-二匹のきつね

(これは、福岡教育大学で「買い物と文学」の授業をした後、同大学発行の「FD研究会報告」に投稿掲載していただいた「新美南吉『手ぶくろを買いに』の母ぎつねに関する覚書」をもとにした。もとのものは、一応論文の体裁で少し固いし、だらだら長いが、これもいずれブログのどこかで紹介したい。あ、さしあたりは、ここで見られます。http://ww1.fukuoka-edu.ac.jp/~itasaka/jugyou/okaimono017.html

「手袋を買いに」は、新美南吉の童話の中では有名で、学校教材には「ごんぎつね」と並んでよくとりあげられ、絵本も現在出版されているものだけでも、数点あって、あらすじもよく知られているが、一応紹介しておこう。

森に雪がふり、初めて雪を見た子ぎつねははしゃいでいる。その手が赤くなって冷たそうなのを見た母ぎつねは「町に行って手ぶくろを買ってやろう」と思い、子ぎつねを連れて出かける。しかし町の灯が見える所まで行った時、かつてアヒルを盗んだ友だちとともに人間に追いかけられた恐ろしい記憶がよみがえり、足がすくんで動けなくなる。子ぎつねは何も知らずに「はやくいこうよ」と母をうながす。
しかたがないので母ぎつねは、子ぎつねだけを町に行かせる。片方の前足を人間の手に変えて白銅貨を持たせ、人間は恐ろしいことを強く言い聞かせて、「こちらの手だけを見せて手ぶくろを買うように」と教えるのだが、町に行って目当ての店を見つけた子ぎつねは、うっかりきつねのままの手の方を、戸のすきまからさしだしてしまう。しかし店の主人は子ぎつねが渡した白銅貨が本物だったので、ちゃんと手ぶくろを売ってくれた。
帰り道、町の通りの一つの家の窓からやさしい人間の母親の子守唄が聞こえてきて、それを聞いた子ぎつねは一散に母親のところへ走って帰る。心配して待っていた母親は、森への帰り道で子ぎつねから、人間がきつねの手を見せても手ぶくろを売ってくれたことを聞き、「人間はちっとも恐かないや」という子ぎつねにあきれながら、「ほんとうに人間はいいものかしら、ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやく。

私はこの童話を子どもの時には読んでおらず、大学の授業でとりあげるために五十代になって初めて熟読した。一読して感じたのは、単なる感動ではなく、むしろ、あいまいさ、わかりにくさ、一気にのめりこむことを許さない、やわらかい拒絶のようなものだった。
そのような印象の中心となったのは、母ぎつねが過去の記憶が生む恐怖から足がすくんで動けなくなるほど恐ろしい、人間たちの住む町に、子ぎつねを一人で行かせてしまうという部分に感じた違和感だった。佐藤通雅、西郷竹彦氏らがこの部分を強く批判されたことをその時点では知らなかったが、教材としてではなく自分が楽しもうとして読んだ時、たしかに明らかにこの部分で私もとまどい、混乱し、作品世界へ感情移入していくことを妨げられた。

そのことを、自分のホームページの掲示板で記して意見を求めたところ、「子狐が捕まって狐汁になってしまうようなら、もともと生き延びる力を持って無かった、と見切りをつけるとか・・・例の、獅子は我が子を谷に突き落とす、という類を想像した次第です」「このお母さんは、もともと心の中では、『ひょっとして人間ってそんなにこわいものではないのではないかしら』と思っていた、それどころか本当は自分たち狐と人間達はお互いもっともっと分かり合えるのではないかと思っていたのではないでしょうか」などと、さまざまな示唆に富む書きこみがあった。
また、北吉郎氏は「新美南吉童話の本質と世界」(双文社出版 2002年)の第一章「『手袋を買ひに』の作品世界」の、第二節「『手ぶくろを買ひに』の作品世界 ―〈母〉の問題―」および第三節「『天使』と『悪魔』の矛盾はらむ母親像」(西郷竹彦論文を巡って ―研究・実践史―」で、非常に詳しい調査と考察をして、最初はけっこう教科書にも載っていた、この童話が、えらい学者たちの「母ぎつねはようわからん、けしからん、作者の失敗だ」というような批判を受けて、ちょっと人気がなくなって採用数も減り、でもその後、現場の先生方のいろんな意見で、また見直されつつあるということを述べている。

私は北氏が紹介したたくさんの実践報告の中の九編を読んだのだが、母ぎつねへの疑問が克服されたとは感じなかった。むしろ、この作品を読むときに、そこはつまづくのが当然、むしろつまづいてもいい、つまづかなければならないぐらいで、そんなに教師が必死になって、この母親を弁護しなくてもいいのではと思いはじめた。母ぎつねが風邪を引いていて町に行けなかったというバージョンの話までできているらしいのには、吹き出して、ずっこけて、ちょっと怒った。何で新見南吉が、そんな完璧な母親を描かなくてはならないんだろう。
以下に私の解釈を示そう。
母ぎつねは子どもの手を片方だけ人間にする。両手を変える必要はない。それはただ人間をだますために必要な最低の処置だからだ。人間の手の方が美しいとも便利だとも母ぎつねは思っていない。人間になりたいとはまったく考えない。ただ、手ぶくろがほしいのだ。それを手に入れるために、そして人間にひどい目にあわないために、これは最低限絶対に必要な処置なのだ。

だが、その手ににぎらせる白銅貨はほんものだ。
母ぎつねが与えるのは木の葉や小石ではない。人間をだますのではなく、ちゃんと与えるものを与えて品物を得たいと母親は願っている。人間をだまして手袋を手に入れたいのではない。売ってくれる人の信頼を裏切りたくはないのだ。

人間の手に変えて、自分の正体をかくし、相手をだます。しかし、そのいつわりの手で渡す貨幣は、にせものではない。
その矛盾した行動は、実はとてもありふれてはいないだろうか。

かつて大学で私は人権教育推進委員会の委員をつとめ、二年間に計四回の講演会を開催した。講師の方はハンセン病の父を持つ方、同性愛者の二人の男性、同和地区出身の教師などであった。
その方々の真摯で巧みな語り口の中に、まるで同じ人が話しているようにくり返されたことばがある。このことは前の講演でも聞いたという一種の既視感を何度も私は味わった。
彼らが自分で全力をかけて努力し、親や祖父母から教えこまれたこと、それは一言で言えば「かくせ」ということにつきた。おまえの本質をかくせ。おまえの出自をかくせ。おまえの愛のかたちをかくせ。おまえの父母が誰かをかくせ。島崎藤村の「破戒」は決して古びていないことを私は生々しく実感した。

ハンセン病だった父は、講師に自分のことを決して人に語るなと固く言い聞かせた。同和地区出身の教師は幼い日、祖母と外出して人にどこから来たかを聞かれると祖母が答えさせなかった体験を記憶していた。同性愛者の若者は、ある学生がメールで知り合った同じ同性愛者と会う約束をしたら、そこには古くからの友人しかいなくて、実は彼がメールの相手だったことをおたがい話してやっとわかったという話を紹介した。
何より大教室を埋め尽くした本学の学生たちは講演後の感想で「同性愛と自分で言う人に初めて会った」「同和地区出身と名乗る人に初めて会った」と記していた。これだけの人がいたら当然いるはずのそのような人たちは、周囲に自分が何者かを決して教えていないのだ。

ハンセン病や同和地区出身や同性愛者の悩みを簡単に一括して論じたり、それを他のすべての人々の悩みに敷衍することは、決して許されることではない。それでも、あえて言うなら、そのそれぞれの悩みが軽いとか普通とかいうことでは絶対になく、そこには一つのつながりがあり、それはまた、すべての人たちの心の底にある迷いや悩みとつながっている。
本当の自分を見せれば、何が起こるかわからない。そんな恐怖を私たちは皆どこか、それぞれにかかえて生きている。何を感じたか、何を思ったかを正直に相手に言うことは、常に危険と恐怖をともなう。自分がどこか周囲とはちがっているかもしれないと、ひそかに感じている者にとっては、特にそうである。

すでに複数の人たちが指摘しているように、私もまた、日記や小説の過激な文句をそのままにとって、新美南吉が父母と対立していたととるのは誤りだと考えている。また結核で二十九歳の若さで死んだことも、過度に彼の作品を読み解く鍵にしてはならないだろう。 ただ、家庭環境や病歴がどの程度どのようにそれに関わるかは慎重な検討を要するにしても、日記や作品を読む限り、彼にはすぐれた芸術家としての傲慢に近い自負心、それと裏腹な小心さ、虚弱な肉体への劣等感がある。
人と意思疎通することの難しさについては、周囲の批評や、残された手紙などから研究者たちがうけとっている、

「僕は、それが南吉が女性と(男性ともそうだったろうが特に女性と)スキンシップを図ることが出来なかったせいではないかと思う。(略)南吉は、自分のすべてをさらけ出し、わがままを言い、悪態をつき、甘え、いばり、体は虚弱だが、体の触れ合いも求める、そういう、良い点も悪い点も含めた自分のすべてを愛して欲しかったのではないだろうか。(略)おそらく南吉は、愛するからこそ恥部もさらけ出し、わがままも言ったのだ。しかし、そのことが相手を傷つけ、自分は無条件の愛を得ることが出来ない」(帯金充利氏「新美南吉紹介」 三一書房 2001年)

のような印象ほどには、南吉自身は苦手意識を持っていなかったような気がする。少なくとも彼の日記を読む限り、好意を持った女性や友人、恩師などへの接近や交遊に彼は再三悩みを述べているけれど、この程度は若者が(老人でも)日記を書けば普通だろうと思うし、むしろ、この程度しか書いていないところを見ると、彼は人とのふれあいに、そんなに自信のなかった方ではないのではないかというのが私の印象である。
だからこそ逆に問題だったのではないだろうか。浜野氏が「新美南吉の世界」の中で指摘している「和太郎さんと牛」の中での和太郎が妻におだやかに唐突に離縁を言い渡す冷たさは、おそらく南吉自身は冷たさとは思わなかったろう。彼には確固とした自分の生き方があり、それを人にあわせようとか、人とどれほどちがうだろうかとか考えてはいなかったのではないか。

このような態度もまた、作家や芸術家としてはそれほど珍しいものでもない。南吉の場合、彼に特有のものがもしあるとすれば、それは「屁」の中にもよくあらわれている、田舎者でありながら都会人の要素も持つ人間の自己確立の難しさである。これは彼の作品の中にさまざまにあらわれていると思うが、本稿ではふれるいとまがない。ともあれ、そのような要素もこめて、私は南吉の暗さや激しさが、晩年には暖かく優しい許しの境地に昇華して、平和な村の善意の人々を描くようになったとは必ずしも思えない。晩年の小説でも、村の人たちに注ぐ作者の視線は、どこか冷やかさだし鋭い。これが田舎も都会も関係なく、周囲の人々すべてに向けるいらだちと軽蔑、その果ての諦念であったのかどうかは微妙な問題だが。

このような性格の人は、ではどのようなかたちで、他者とのつながりを求めようとするのだろう?
「手ぶくろを買いに」の授業で問題になるのは、子ぎつねを一人で行かせた母ぎつねの行動と、白銅貨が本物であることを確かめて手ぶくろを売ってやった帽子屋の行動の解釈であるという。  紙幅の関係もあって、詳しくは述べないが、私はこの話の中での帽子屋は信頼できるよき人間として描かれており、肯定的に読むのが正しいと考えている。「金が本物だったから売ったにすぎない」彼の行為を限界としてとらえてはならない。「金が本物だったら、相手がきつねでもきちんとそれに相当する品物を渡した」ということに、彼の良心と、その行為が与える救いを見るべきだろう。

とうとう帽子屋がみつかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電燈に照てらされてかかっていました。
子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は」
すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手をすきまからさしこんでしまいました。
「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木この葉はで買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指ひとさしゆびのさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚たなから子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有(おっしゃっ)たがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの」と思いました。

帽子屋は子ぎつねを甘やかさないし、不必要に立ち入りもしない。銅貨が本物なら、きちんと品物を売り、それ以上でも以下でもない。楽しいとか面白いとか不愉快とか、そういうことさえ感じていない。彼がこのあと、日記や帳簿をつけるとしても、「今日の売り上げ キツネへ 手袋一組」とか、きわめて事務的なものだろう…そうであってほしい。

たとえば、大西巨人「神聖喜劇」の第五部で、同和地区出身の冬木が、兄と酒を買いに行った少年の頃の思い出を語る場面がある。幼い冬木の兄が差し出す硬貨を、酒屋の主人は店のすみの樽の中に入れるようにと言う(他の客にはそんな応対はしない)。冬木がかけよってのぞくと、樽には水が入っていて、さまざまな硬貨が沈んでいた。同和地区の客の人々が払うお金はそうやって受け取られていたのだ。
「神聖喜劇」は小説だ。だがこの場面はおそらく事実に基づくだろう。このように、きちんとお金を払っても不当な扱いを受ける例は差別される立場の人たちにとって、決して珍しいものではない。そもそも品物を売ってもらえない場合も多いだろう。きつねでも何でも、金が本物なら客として扱うこの帽子屋の態度は、母ぎつねが決して存在することを信じられなかった、まっとうな、理解しあえる人間のあり方だった。
他者と異なる部分を多く持つことを自覚し、だが、妥協や同化をする気がない人間にとって、それをどれだけ見せてもなお、他者が攻撃も排斥もせず、ルールを守って扱ってくれるかは重要な問題だ。

どこから出したにせよ、どうやって持っていたにせよ、母ぎつねが子ぎつねに与えてやる白銅貨は、人間の世界のルールを守るあかしであり、誠実さのあかしでもある。
しかし、それさえあれば、きつねだって人間と同じに扱ってもらえるはず、という期待や希望は、あまりにも甘すぎる。母ぎつねにはそんなものは持てなかった。
彼女は子どもを擬装する。最低限の、片手だけを。自分たちを決して理解しないだろう他者との交流にそれは欠かせないことと思って。

母ぎつねの人間不信の根拠は、「アヒルを盗んだ友だちと人間に追っかけられた」ことであり、盗もうとする友だちに「おやめなさいっていった」彼女は、人間のルールを理解していた。それを破った自分たちだから追いかけられたのだという判断もある。しかし心の奥には強い疑いが残る。追われたのは、ルールを破ったからだろうか、そんなことには関係なく、自分がきつねだったからではないのか、という。
その疑いはそれほどに深刻なものではなく、ある意味牧歌的なのどかなものであったかもしれない。だが、これもまた、南吉の作品には、のどかさや優しさ、おかしさと背中あわせに、残酷すぎる現実がぽっかりと口を開けて読者の不意をうつことが多い。子どもたちの何げないふるまいの中にも、激しく人を傷つけるものが隠されている。そういう場面を平然と淡々と書くのが、この作家でもある。母ぎつねの杞憂は思い過ごしで、他愛ないものかもしれない。しかし、その保障はどこにもない。

母ぎつねの慎重さに比べて、子ぎつねは恐れを知らない。無邪気に大胆に彼は行動し、失敗し、それでも当初の目的を果たす。そのことの重要性さえよくわからずに、彼は母ぎつねに人間は恐くないことを教えにまっすぐ帰って来る。
最初、改稿前のこの作品では、人間を疑ったことを素直に反省した母ぎつねは、改稿によって人間を信じることのためらいを捨てない存在に変わった。作品としての余韻やふくらみはもちろん改稿後の方がすぐれている。しかし、私は子ぎつねの手を人間のそれにして手ぶくろを買わせようとした自分を恥じた母ぎつねの姿も、それなりに作者には切実で真実だったのではないかと思う。

教材として教える時に、児童はこの子ぎつねの大胆さ、無邪気さを無条件に愛するだろう。南吉その人の少年時代とはおそらく異なるのだろうが、しかし単なるあこがれだけではなく、彼の中にあったにちがいないある性格を明らかにこの子ぎつねは反映していると思う。
その彼を危険な町にやる母親の無責任さや冷たさに怒る時、児童はすでに、この子ぎつねのように無邪気ではない。彼らは知ってしまっている。人間の恐ろしさを。それを母ぎつねと共有している。
かと言って彼らはまだ、母ぎつねの迷いまでは、他者とふれあいたいけれど、そのためには自分の本質をどこまでかくせばいいのかという悩みまでは共有はできまい…多分。

私は、この部分を教える時、子ぎつねを町に行かせてしまう母ぎつねを、どのように自分自身で納得できるか、まだ自分でも自信がない。だが、少なくとも、この母ぎつねは「子どもを失ってもしかたがない」とどこかで確実に思っていたことは、児童にそれをどの程度知らせるかは別として、やはり見逃せないと思う。それは、彼女の優しさや、子どもへの愛の深さとは関係ない。そのことを含んだまま、彼女を児童たちにうけとめさせなければいけない。
また、子ぎつねを、そんな母親のあわれな犠牲者と思ってはならない。むしろ彼は無知で無心な故に、未来を切り開く力を持つ存在として、その何物も恐れぬ強さと可能性の大きさを児童がうけとめられる造型を行うべきだ。読めば明らかだが、この子ぎつねには哀れっぽいところは少しもない。必要以上に涙もろくかよわげに紹介するのは避けなければならないだろう。

国語教育の分野には詳しくない。もちろん、この教材で授業をしたこともない。しかし、さまざまなすぐれた授業の実践報告を読みながら、新美南吉の全集や研究書を読みながら、この母ぎつねの存在はむしろ教材として非情に豊かなものを内包しているのに、それがひかえめにしか取り上げられていないというもったいなさを強く感じた。そして、この教材がまだ徹底的に討論されたことはないということも知った。それもまた、惜しい気がする。

以下は、この作品を読んでいていつからか私の心にひとりでに浮かぶようになった、一つの心象風景である。私がこの作品から受けた印象を説明するには、このようなかたちの方が便利かもしれない。もちろん、このような解釈を授業で子どもたちに伝える必要はない。しかし、教師がそれぞれに、このような風景を自分の中で考えておくのは、まったくの無駄でもないだろう。

二ひきのきつね  ー新美南吉「手ぶくろを買いに」によせてー

わたしの心の奥には深い森があって
二ひきのきつねがひっそりとくらしている

母親のきつねは聡明で慎重
だから今日まで生きのびて来られた

人間のくらしも彼女は知っている
町で売られている手ぶくろ
そのやわらかいあたたかさも
子どもの手にそれをはめてやりたくて
彼女はいそいそ町に出かける

けれども 町が見えたとき
彼女の足はとまってしまう

…どうして忘れていたのだろう?
…にんげんは こわい
…にんげんは こわい

記憶が一度によみがえる
どなられ 追われて たたかれて
危うく命も落とすところ

でも、と自分にいいきかせる
あれは わたしもわるかった
いけないことをしなければ
にんげんなんて こわくはないはず
あんなことには ならなかった

いいえ、と恐怖がよみがえる
何をしたって どなられる
追いかけられて ころされる
わたしがきつねでいるかぎり
何をどれだけ気をつけても
にんげんたちは わたしをころす

それは わたしが きつねだから

生まれてまもない子ぎつねは
にんげんのことを 何もしらない
明るい町のともしびを見て
目をかがやかせて母親に言う
はやくいこうよ なにしてんの と

それを見下ろし 母ぎつねは思う
この子は一ぴきだったかしら
もう何びきかいなかったかしら
もしかして 去年も その前の年も
わたしは子どもを生まなかったか
これと同じに目をかがやかせて
何も恐れず 疑いもせず
町に向かってかけて行った
わたしの子どもを見送ったことが
前にも何度かなかったかしら

帰ってこない子どもを待って
ガラスのようにつめたい月の下
鏡のように光る雪の上に
わたしは立ちつくしたことが
前にほんとになかったかしら

おそるおそる近づいた町の店先で
わたしの子どもの毛皮がはがれて
売られているのを見なかったかしら
それともあれは すべて幻?
父や母から聞かされただけの?
たしかにこの目で見た気もするけど
きつねの記憶はたよりにならない

無心に見上げる子ぎつねの手を
母ぎつねはにぎりしめる
全力つくして片方だけを
何とか人間のかたちにする
行っておいで わたしの子よ
見やぶられないようにして
おまえが人間ではないことを

その手に銅貨をにぎらせる
行っておいで わたしの子よ
たとえ おまえがきつねでも
その手がほんものでなくっても
にぎりしめた銅貨はほんもの
つくりものの手でほんものをさし出す
それをおまえに教えこむ
わたしの気持ちをわかっておくれ
自分の姿を見せないずるさと
本当のものを手わたす勇気と
今のわたしはどうしても
おまえにそれしか与えられない

元気にはねて子ぎつねは
いっさんに町へ向かって走ってゆく
ああ 何度そうやって
自分の子どもを送り出し
そして わたしは 失ったろう
無心なひとみのかがやきを
まっすぐ走る足の軽さを

長い時間がすぎたあとで
青くけむる雪の野を
こちらに向かってかけてくる
小さい影を母ぎつねは見る
それはどんどん大きくなって
二本の足に手ぶくろをはめた
けがひとつない子ぎつねの
元気な顔が見えてくる

息をきらして子ぎつねは
にんげんのことを母ぎつねに話す
きつねの手の方を見せちゃった
けど にんげんはお金をうけとって
ちゃんと手ぶくろをくれたんだよ

二ひきのきつねは肩をならべて
すみかの森へと帰ってゆく
にんげんなんて こわくない
子どものきつねは そう考える
そうなのかしら と母ぎつねは
心の中でつぶやいている
きつねの手だとわかっても
わたすお金がほんものなら
ころされはしない 傷つきもしない

でも本当にそうなのかしら?
きつねのままの前足でも
わたすお金がほんものなら
傷つけられずにすむのかしら
にんげんたちは きつねのままでも
手ぶくろを売ってくれるかしら
ほんとにいつでもそうなのかしら

わたしはまだ町に行けない
元気に無邪気に走って行く子を
見送ることしかできないだろう
いつか この子が帰らなかったら
苦しみにうめきながら森に帰る
泣いて 眠って のたうって
記憶がうすれて行くのを待つ

そして新しい春がおとずれたら
わたしはまた 子を生むだろう

子ぎつねは もう一度
あたたかい手ぶくろのにおいをかぐ
やさしかった人間の声を
美しかった町の灯を思い出す
また行きたいと 子ぎつねは思う
にんげんは あんなになつかしく
町はあんなに たのしいから

わたしの心の中にはいつも
雪に埋もれた野原と
そのかなたに広がる深い森があって
かしこくて臆病な母ぎつねと
恐れを知らない元気な子ぎつねと
二ひきのきつねがひっそりとくらしている


で、これが、多分二十年ほど前に私がUFOキャッチャーで釣り上げた、きつねのぬいぐるみ二個。 当時の大学は、最初の大学改革の嵐の中にいた。今に比べると、まだまだ牧歌的にまともな世界だったが、それでも改革委員会のメンバーでもあった私は、さまざまに腹の立つことが多く、一度ならず大学前の道路に下りる坂道を左右全く見ないまま猛スピードで下って飛び出すという、怒りにまかせた自殺に等しいこともした。そのくらいやりきれない状況だった。良心的で有能な事務職員が精神を病んで休職し辞職するのも見たし、それをどうすることもできなかった。

自殺まがいの行動は、他の車にも迷惑なことだから、私はやがて、近くの本屋の前に会ったUFOキャッチャーでうさばらしをし、結局数か月で何十万円も使い、何十個ものぬいぐるみをゲットした。まあアル中になったりホストに入れあげたりするのに比べれば、無難なストレス解消ではあったかもしれない。
ぬいぐるみのほとんどは、人にやってしまったが、いくつかは記念にとっている。このキタキツネはわりと初期に釣り上げたもので、太いしっぽも全体も、かわいいから気に入っている。田舎の家があるころには、いくつもある玄関の敷台に、一匹ずつ座らせて客をお出迎えさせていた。その仕事も終わって、今は仏間の座布団のあたりにのんびりと棲息している。

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