お買い物と文学9-アントワーヌの恋人

買い物のおもしろさ! 彼女はペキノワ(愛犬。名前はフェロー。板坂注)を小わきにかかえながら、うまそうなものの並んでいる前を行ったり来たり歩き回った。最初に、アントワーヌのすきそうな物を買った。裸麦のパン、塩けのきいたバター、燻製のがちょうの胸肉、いちごひとかご、フェローのためにはもちろん、アントワーヌもたべるだろうし、さらにドゥーブル・クレームをひとびん買った。
「それから、それもひときれいただくわ!」こう言いながら、いじきたなそうなようすで、手袋をはめた人さし指で、なんの奇もないパテ・ドゥ・フォワの鉢をさした。

この部分を読んだとき、ぶっ飛んだ。
私でなくても、この場面がどの小説に出てくるか、とっさに言える人は少ないのではないだろうか。
これはマルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」のラストに近い「一九一四年夏」の一節で、主人公ジャックの兄で成功した若い医師アントワーヌの浮気相手である人妻アンヌが、アントワーヌの家で彼を待つために二人でつまむものを買いこんでいる場面である。(しかし、よく読むと、犬と恋人に同じものを食わせようとしてるのかい、あんた。)

高野悦子の漫画に、田舎の女子高校生が、就職前の日々の日常の中で「チボー家の人々」に読みふける様子を描いた「黄色い本」という名作がある。私も同じような田舎で、中学生のときに、まさにこの漫画に登場する、大型の黄色い表紙の「チボー家の人々」を連日連夜読みふけった。ただ、中学生のことだから、さすがによくわからないままで読んでいた部分も多かったと思う。それだけに、幼いときに周囲で見聞きしたことが、意味も分からないまま溶け合って身体と心に刻みこまれるのと同様に、理解できないまま、混乱し整理できないまま、実際の体験と同じ強さとあざやかさで、「チボー家」の世界や風景は私の中に食いこんで、現実との区別さえつかないほど、記憶と印象にからみついて一体化したままだ。

ごく最近、家を整理して、二階の一部に寝転んで本を読める快適な空間を作り、手当たり次第に手にふれた本を読み直しているとき、忘れている部分も多い中、冒頭の描写に出あった。この、どこをとっても、硬質で透明で、熱っぽく壮大な小説の中に、こんなかわいらしい買い物風景があったとは、まったく予想外だった。そのくらい記憶に残ってないぐらいだから、探せば他にも似た描写はあるのかもしれないが、今のところは思い出せない。

弟のジャックは社会主義者になって故郷を離れ、ジュネーブで仲間たちと活動し、迫りくる世界大戦の予感にいらだちつつ、平和を愛する世界の民衆と労働者が戦争を食いとめる力になる事を期待している。しかしパリに帰って、仕事の成功と日々の生活に忙殺され、政治に無関心で、情勢に楽観的な兄や一般の人々を見て、不安をつのらせる。

初めて読んだころには、これらは皆すべてが、二度と訪れさせてはならない、そして訪れさせることはないと信じられる、過去の教訓だった。それが今読むと「渚にて」と同様、無関心なまま、戦争を容認し政府を信じて不幸へと流されて行く人々や、アントワーヌの姿が、すぐ近くの未来、むしろ現在に見えてしまい、切実すぎて苦しいほどだ。

ただ、あえて言うなら、この時代と確実に変わっているのは女性のあり方だ。ジュネーブの革命家の中の、つつましくて秘書と主婦の役割しかしていない女性革命家のアルフレダと言い、ジャックから政治や社会への無関心ぶりを絶望されながら、それでもさすがに聡明で有能な人でもあるから、近い将来への不安にかられはじめているアントワーヌのところに、イチゴを食べましょうだの何だのと、会いたい思いだけの電話をしてきて邪魔に思われるアンヌと言い、当時の女性のありかたは結局こういうことになるのかと、見ていてひたすらゆううつになる。もちろんアントワーヌの最初の恋人ラシェルとか、ジャックと結ばれるジェンニーとか、より個性的で自我を持つ女性も多いが、それでも彼女たちは、登場する男性たちに比べると、まだまだ生身の心臓も脳髄も持っているようには見えない。

ところで困ったことに、この十冊ほどある新書版の「チボー家の人々」の、残りの部分が見つからないのだ。もしかして、買ってなかったのかしらとさえ疑いはじめる始末である。今読んでいる一冊を読みあげるまでには、昔の「黄色い本」でもいいから、全冊を早く見つけねば。

で、これが、アントワーヌと同じ医者だった祖父が、私の育った自宅とつながった、小さな村の家族経営の個人病院で使っていた、判子というかスタンプ。これをカルテに捺して、その上に病気の部分や治療した箇所を書き入れていたのを覚えている。棚に飾っていたら、友人が三葉虫の模型かとまちがえたが、そう言えば似てないこともない。

私の家族は医者が多い。先祖代々、武田信玄の時代から続いた医師の家系だと、祖父はよく自慢した。
私自身は文系だったが、ずっと大学に勤務し、ともに医者だった叔母夫婦と別の、もう一人の叔父も文学研究者で大学教員だった。
そういう家で育ち、職場で過ごすとどうなるかというと、科学や医学や学問への信頼よりは懐疑の方が強くなる。

祖父も叔母夫婦も良心的で誠実な医者だったし、あたりまえのように寝食を犠牲にして患者の治療にあたっていた。友人が親しくなった高名な医師が、患者のことを「死ねばいいのに」と冗談にし、友人もそれを話して笑ったときに私は激怒し、「祖父も叔母夫婦もたいがいしょうもない人たちだったけど、それでもそんなことを口にしたのを死ぬまで私は聞いたことがない。多分考えたこともなかったろう。いくら金があって成功していても、あんたの知り合いのその医者というのは、最低の下品なクズだ」とののしったものだ。
それでも、どんな悲劇的な病気やけがや死があっても、ドアのこちらでは日々の日常生活があるし、深刻な患者の状況とは関係ない飲食や談笑があった。生身の人間である祖父や叔母夫婦の弱さや愚かさも、当然いくらでも目にした。子ども心に医療への信頼はあっても、絶対的な信仰はなかった。

これで私が理系だったら、科学や医学への不信からオウム真理教にはまった可能性もあるが、あいにく自分自身は文系だったから、理系と同様、哲学や宗教や歴史や社会や文学といった学問にも心をよせつつ愛しつつ、いつもどこかでさめていた。
大学教員には他の職種と同様に尊敬すべきすばらしい人もいれば、とことん低級な唾棄すべき人もいる。その中間の人もたくさんいる。
そもそも、学問そのものが、何十年も研究し何百冊の本を読んでも、なお真実にたどりつくまでの距離はよくわからないしろものだ。それをめざして、たゆみない努力はするが、これで何かがわかったとか結論が出たということは決してない。あくまでも、当座の対症療法で現実をのりきって行かねばならないのは、物理も歴史も化学も文学もまったく同じことである。

最近、いろんな集まりや勉強会でつくづく実感し、不安になるのは、それこそネットでちらと見た情報を丸のみするのは問題外だが、案外ちゃんと勉強し本も読んでいるような人が、たまたま気に入った理論や分析をあっさり信じて、それを根拠に社会や周囲を解釈し、そこに安住しているように見えることである。まあ自分もそれに似たことを言ったりしたりしているかもしれないが、少なくとも、その危うさは自覚して点検や修正に日夜これつとめてはいる。
学問とか科学とかいうものは貴重だが、それで人類や社会や歴史が、そう簡単に解釈や分析や解決ができてしまうような魔法の杖ではない。そんなものは、どこにもない。

ずっと昔に、学生の一人のお父さんで、新宗教の信者だった方とお話したとき、その方が、「この宗教の信者には大学の先生やお医者さんも多いんですよ」ということを、わりと最初にすぐ言われた。私の方はそう言われた理由が、ずっとあとまでわからなかった。ああ、それほどに本物で信用できるという証明に「医者と学者」は有効なのだなと、ようやく気づいたとき、いかに自分が、医者や学者などまったく信じていないかが、あらためてわかって苦笑した。

それが、学者と医者に囲まれて育ったことの、もしかしたら最大の収穫だったのかもしれない。あるいはまた、あれだけ聡明で有能だったアントワーヌが、あれだけ戦争や政治や自分の将来を見抜けず、苦悩の中に生涯を終わったこと、幼いときに読みふけった小説の特徴で、そんな彼の人生をともに味わいすべて体験してしまった気持ちになったことも、たしかに作用しているのかもしれない。

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カツジ猫