お買い物と文学13-肉の買い方

今なら、肉を買おうと思ったら、スーパーに行けば牛肉でも豚肉でもパックに入れて正札が貼ってあるのを、かごに入れてレジに並べばよい。しかし、昔だったら、たとえばこんな風景もあった。下村湖人「次郎物語」の中で、小学校六年生の本田次郎が、学校の帰りに友だちと村に来た肉屋の仕事を見物する場面である。

ある日彼は、おりおりこの村にやって来る顔なじみの肉屋が、近所の農家の前に目籠をおろして、肉を刻んでいるのを見た。その時は、ちょうど学校の帰りがけで、村の仲間たちといっしょだった。仲間たちは、肉屋を見ると、すぐそのまわりを取り巻いた。巧みな出刃の動きにつれて、脂気のない赤黒い肉が、俎の片隅にぐちゃぐちゃにたまっていくのを、彼らは一心に見入った。空がどんよりと曇って、むし暑い空気の中を、肉の匂いがむせるように漂った。

「次郎物語」は、幼い時に里子に出された次郎が、実家に戻ってもなかなかなじめず、それでも家族や周囲の人たちとのさまざまな交流の中で、次第に成長して行く長編小説である。舞台となっている田舎の様子が、ちょうど私の育った村に似ていたし、同じ小学生だった私は、彼をめぐるいろんな事件が、ひとつひとつ身につまされた。

私の村に肉屋は来なかったが、魚屋は来ていたような記憶がある。肉は、隣町まで母や祖母と、電車に乗って買いに行った。今、「昭和の町」で売り出している豊後高田市である。大分銀行もある大通りに、「かなおか」という肉屋があって、白いタイルのカウンターで見ていると、多分電動のぴかぴか光るハムを切る機械が、ピンクのハムを注文した分だけ、薄く切って積み上げて行くのを、私はいつも夢中で見とれた。大人になってから読んだ山田風太郎の小説の中で、キリシタンを弾圧した役人が、信者の美女をハムのように薄切りにしたという描写があった時、私は風太郎もきっとあの機械を見ていたから、こんな拷問を思いついたんだろうと思ったものだ。

日豊本線の汽車で小倉に行く途中、行橋かどこかのあたりで、車窓から見える遠い海の向こうに、突き出している岬があって、その突端が削れて赤い山肌が見えているのが、ちょうど切りかけのハムのように見えて、私はそれを「肉の山」とひそかに呼んでいた。ある時母に教えたら、母も喜んでそう呼ぶようになった。それからもう何十年もたち、列車を利用することもあまりなくなっていたが去年たまたま通りかかったら、車窓のかなたに、どうやらその「肉の山」らしい岬が見えて、私はしばらく、ちょっとなつかしい思いでなかめていた。

次郎はこの時、また自分の家を離れて、母の実家の正木家にいた。
彼をかわいがってくれ、よき理解者でもあった父の俊亮が、先祖代々の田畑を手放し、町に出て商売をするようになったのをきっかけに、前から好きだった正木の家に暮らすようになっていたのだが、まもなく母が身体をこわして、正木家で静養するようになった。気性の強い厳しい母で、かつては苦手な存在だったが、最近では心が通い合うようになっている。彼女が「鶏のスープはもう飽きた」と話していたのを思い出した次郎は、急いでいったん家に帰り、自分の小遣いから三枚の十銭銅貨を持ち出して、初めて肉を買おうとする。

肉屋は、ちょうど俎と出刃とを目籠(めご)の中にしまいこむところだった。子供たちは、まだみんなその周囲に立っていた。そして、次郎が息をはずませながら、帰って来たのをみると、その中の一人が、見物事(けんぶつごと)はもうすんだといったような顔をして言った。
「次郎ちゃん、もっと早く来ればよかったのに。」
次郎は、勢いこんで走って来たものの、妙に気おくれがして、みんなのいる前で、肉屋にもう一度目籠のふたをあけさせる勇気が出なかった。買いにやられたことにすれば何でもないはずだったが、彼は自分の手に握っている金で、どのくらいの分量の肉が変えるものか、その見当がまるでつかなかったのである。彼は、友だちの顔と肉屋の顔とを等分に見くらべながら、しばらくぐずぐずして立っていた。そのうちに肉屋は、彼に頓着なく、目籠をかついで、正木の家とは反対の方向に歩きだした。同時に、仲間たちもばらばらに散ってしまった。彼らがまた肉屋のあとについて歩くのではないかと心配していた次郎は、それでほっとした。
仲間たちの姿が見えなくなると、彼は急いで肉屋のあとを追った。彼が追いついたのは、どの家からもかなり離れた畑の中の道だった。幸い近くには人影が見えなかった。彼は何度もちゅうちょしたあとで、とうとう思いきって声をかけた。
「肉屋さん、肉まだある?」
「ええ、ありますよ。」
肉屋はふりかえってそう答えたが、目籠をおろしそうな風には見えなかった。
「少うしでも売る?」
「ええ、いくらでも売りますよ」
「じゃ、これだけおくれよ」
次郎は思いきって、握っていた手をひろげて突き出した。三枚の白銅がびっしょり汗にぬれて、掌の上に光っていた。
肉屋はけげんそうに次郎の顔を見て、金を受け取ったが、すぐ、目籠をおろして、幅一寸長さ三寸ぐらいの肉片を俎の上にのせた。
次郎はそれをみんな刻んでくれるのかと思って見ていると、秤にかけられたのはその半分ほどだった。それでも秤は錘(おもり)のほうがはね上がった。すると肉屋はまたそれを俎の上におろして、ほんの少しばかり端っこを切りとった。そしてもう一度秤にかけた。今度は錘のほうがやや低目になった。すると切りとった端っこの肉を、さらに半分ほど切りとって秤の肉につぎ足した。それで秤はだいたい水平になった。肉屋はその肉を俎において刻み終わると、からからになった脂肪の一片をそれに加え、竹の皮に包んで次郎に渡した。次郎は、牛肉というものについて、ある新知識を得たような気持ちで、それを受け取った。新潮文庫『次郎物語』 下村湖人

彼が持ち帰った肉を見て、母は感動し、皆も感心したが、もともと腕白な彼が、このごろ無理にいい子を演じすぎているのではないかと心配した正木の祖父だけは、やや苦々しげなのでそれが次郎は気にかかる。正木家でも肉を買っていたので、自分の持ち帰った少量の肉が貧弱に見えたこともあって、そう手放しでは喜べなかった。そのような細かい次郎の心の動きを、同じ年代の子どもとして、私は自分のことのように受けとめていた。彼の暮らしていた村と、私の故郷とは、今でもどこかで空気が溶けあい、ひとつにつながっているような気がする。

で、これが、私が子どものころ、家ですきやきをする時に使っていた、なべである。
四角いテーブルのまん中が、七輪がおけるように切ってあって、その火の上に、この鍋を乗せて、白い脂身を箸で溶かしては、牛肉やねぎや豆腐を入れて、醤油と砂糖を加えてじゅうじゅうと音をたてるのを、生卵の入った器に取り出して、祖父母と母、時にはお客に招いた村の人たちといっしょに食べていた。祖父は酒を飲み、母も相伴し、皆の笑い声や、部屋のすみのラジオの声が入り混じる、豪勢でぜいたくな楽しいひとときで、この鍋ももっと大きく、重くて厚いような気がしていたので、久しぶりに台所のすみから発見したときは、こんなに小さかったっけと驚いた。
処分する気になれなくて、ずっとそのままにしていたが、今では二軒ある家の旧宅の方で、風呂場のインテリアの一部に使っている。バラの模様の華やかな水差しを入れてみると、なかなか似合って悪くない。

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