お買い物と文学4-二遊間で買い物

少し前のことになるが「博多豚骨ラーメンズ」の小説全六冊にはまった。ずっと学生時代は福岡で過ごし、今も近くに住んでいるが、海風が吹き抜けるような博多の街は、どことなく肌になじまず、あまり好きだったことはない。それでも、大西巨人「神聖喜劇」に登場する博多や北九州や近郊一円の描写はなつかしく、登場人物たちの、こてこての福岡地方の方言にも魅了されて、いつの間にかこの付近がなつかしい場所になっていたのを知った。「博多豚骨ラーメンズ」も、こなれまくって不自然さのかけらもない、博多や周辺の方言にしびれ、北九州弁や博多弁がこんなにカッコいいものかと鳥肌が立つ思いだった。

ストーリーや設定や文体もすべて申し分なく私のツボで、登場人物も一人残らず大好きで、特に馬場善治と猿渡俊助がすることなすこと、こたえられない。ほぼ反対の意味で、どっちにも、ほれぼれした。それで近くや遠くの友人知人に「知ってる?」と聞いて回ったら、わりと皆「知ってる」というので、どうやら私は周回遅れで熱を上げたらしいと判明、今さら何を言ってるのという感じの中で、いっしょに盛り上がれる相手を見つけ損ねて、しばらく欲求不満になった。これからは、こうやって、タイミングをはずして、遅れてファンになったとき、どうやって相手や周囲の関心を再燃させてつきあわせるか、テクニックを開拓しておかねばなるまい。

善人や正義漢の殺し屋集団で、博多の街は殺し屋だらけという設定が、そもそも最高なのだが、しかも彼らは巨大で緊密な集団ではなく、それぞれ小規模の関連企業?が、気まぐれにゆるくつながっているのもいい。その中の一人、プロの拷問師マルティネスが、さしたる必然性も脈絡もなく、いきなり「二遊間の恋」という、アメリカ大リーグの投手と二塁手が恋に落ちるゲイ小説を熱く語るので、驚きながら吹き出した。今では絶版で多分知る人も少ないだろうと思っていた、この小説が私も好きだったので、やはり作者と好みが合うのだわと確認した。

その「二遊間の恋」は、私のこれもとっくに絶版になってる『動物登場』という本にもしっかり引用していて、ということはかれこれもう十年以上前の文庫本だ。同性愛もまだ今ほどは世間に受け入れられていなかった。その中で、もちろん架空の話だが、アメリカ大リーグの花形選手で美しい妻と二人の幼い娘もいる金髪の白人ランディが、突然同じチームの寡黙でストイックな黒人二塁手DJに魅かれて行ってしまう話だ。DJは隠しているがゲイで、そのことを恥じても苦にしてもいない。ただ知られたら選手生命を断たれるとわかっているから、ランディの自分への気持ちを知ったときも、慎重でいるよう忠告する。

いかにもアメリカらしく、ランディは精神科医にも相談に行く。エジプト人の医師は、ゲイであることはまったく問題でなく、つきあいたいならそうすればいいと言って、ランディを怒らせる。二人が人目をさけて食事をし、買い物に行ったという報告を受けて、医師は、それは性行為に至る前の前戯だと分析して、またランディは憤激する。

DJは一軒のメンズ・ショップの前で足をとめ、ウィンドウに飾られたパンツを見つめた。
「なかを見ていかないか?」DJはいった。
「いいとも」
高価なヨーロッパ調の衣服をそろえた、ブティック・タイプの高級な店だった。
フランスなまりの店員がふたりに近づき、なにをお探しですかと声をかけた。DJはウィンドウのパンツを見せてほしいとこたえた。
(略)
「この色はどうだ?」DJがたずねた。
「えっ?」
「このベージュだ。どう思う?」
「そうだな。いいと思う」
「だが、おれのもっている二着のカシミアのセーターにはどうかな。やっぱり、同系色になっていなければ」
「そうか。それなら、まずいかな」
フランス人の店員はDJにパンツをわたした。「試着なさいますか?」彼はたずねた。まちがいない、こいつはDJに色目をつかった。ランディは確信した。
(略)
試着室から姿をあらわしたDJを見て、ランディはあらためて彼の美しさに感嘆した。ベージュのパンツが、彼のスタイルのよさをいっそう際立たせていた。一オンスの贅肉もついていない、ひきしまった体。そして、完璧なダブルプレイのような、しなやかな動作。無駄のない動き。そして、流れるようなステップ。
「どうだ?」DJはランディに声をかけ、ふりかえて、三面鏡に映った自分の姿をさまざまな角度から観察した。
「ぴったりだ。とてもいい」
「前のタックが大きすぎないか」
「いや」
DJはフランス人の店員をふりかえり、たずねた。「月曜の朝までに、サイズを合わせてもらえるか?」店員は眉をもちあげ、困ったような顔で首をかしげた。
「さあ、それは。急な話ですね」
「月曜に、ニューヨークに行くんだ」
「帰ってこないのですか?」
「ああ、今シーズンは」
すぐに、店員は興味を失ったような表情になった。ランディは横から口をはさんだ。「なんとかならないのか? わかるだろう? ほかを後まわしにすればいい」
(略)
「わかりました」しばらく考えたあとで、フランス人店員の態度は軟化した。「だが、職員に超過勤務をさせることになります」
(略)
それからしばらくして、球場へと向かうタクシーのなかで、DJは彼にいった。「あの店では男らしい態度だったな」
「ああ、あの店員の態度にむかっ腹が立ったんだ」
「男らしい人間は好きだ」
ランディは頬が熱くなるのを感じ、あわてて顔をそむけた。


(文春文庫「二遊間の恋」ピーター・レフコート 石田義彦訳)

二人は結局セックスもして恋人同士になり、その関係がばれて大騒ぎになるのも、これと同じように服を買っていて試着室でいちゃついていたのを隠しカメラで見られたからだ。作者自身はゲイではないらしくて、それと関係あるのかどうか、二人のベッドシーンなどは描かれない。だが、精神分析医の見解を俟つまでもなく、この場面の二人の様子はキスやセックスをしている以上に緊張と恥じらいがみなぎり、読む者の胸をときめかせる。いっしょに買い物をするというのは、いっしょに食事をするのと同様、けっこうそういう側面もある。

で、これが私の持っている、野球グッズ。ボールの上半分を取ると、中はインク壺になっている。そのことからもわかるように、相当年季の入った品だ。もともとは、母のものである。今とちがって、女性の野球ファンなど皆無だった昭和初期、大正七年生まれの母は、六大学野球やプロ野球に熱をあげ、縁もゆかりもない慶応大学を熱烈に応援し、博多人形のような野球選手のフィギュアやいろんなペナント、自分でバットとボールを彫りこんだセルロイドの筆箱や定規をたくさん持っていた。祖父の死後、田舎の家には骨董屋が来て、いろんなものを持って行ったので、その時になくなったのか、今はほとんど残っていない。

このボールは見逃されたのか、母が渡さなかったのか、とにかく今も私の手元にある。あたたかい、こんもりとした、かたちと手ざわりが妙にほほえましく、なつかしい。

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カツジ猫