映画「ヒックとドラゴン」感想集「ヒックとドラゴン」感想(おまけのおまけのまたおまけ)

(ネタばれです)
というわけで私には、あの巨大ドラゴンが一番、唯一、ドラゴンらしく見えました。キャラママさんが書かれたように、あれと交渉し平和的解決をして仲間になろうと試みるのは、どう見てもそりゃアホです。だから「ラストの甘さ」というのは正確じゃなくて、もうあのドラゴンの登場時から、あのラストしか予想はしようがないわけで、「あー、そうきたか」とあれを見た瞬間に脱力したものの、あれ以外の展開と結末があり得るなんて希望的観測は私は一瞬もカケラも持たなかったぞ。むしろ、あれ以外の結末だったら映画は破綻してたでしょう、だからもう、あれを出したら、もうあのラストでいいんです。

それがわかった上で言うんですけどね、何かを慣らそうとか何かと融和しようと思ったら、まあ相手が巨大惑星かなんかだったら手のつけようがないけど、あの程度のバケモンだったら、あのくらいの途方もない相手を飼いならして、仲間になってこそ飼育で友好なんではなかろうかと私は思いますけどね。映画「風の谷のナウシカ」の場合はちょっとそれに近い。絶対にもう無理だということをやってこそ、それは冒険で快挙なんだから。
あ、「ヒックとドラゴン」にそれ求めてるんじゃありません。あの話と世界はあれでいいんです。

それに、あの映画、ぬけめなく手落ちなく、そのへんの展開の工夫はしてるんですよね。ヴァイキングたちは何もあの巨大ドラゴンを殺そうと思って行ったわけじゃなく、そもそもあいつの存在も知らず、敵の巣を見つけようという、それまでの熱望をかなえようとしただけなんだし。そうしたら、あれが出てきて、もう全滅したくなければ戦うしかなく、それをヒックが救おうとか何とかしようと思ったらああするしかなかったわけだし、まったく納得できる必然の展開で、こういうとこをていねいに作っているのも立派です。全然、ご都合主義がない。

だからまた、こういうよくできた展開は裏話もさっさと作りやすいんで、作っちゃうんですが、あの巨大ドラゴンが他のドラゴンを搾取(なつかしい言葉やなあ)し支配して恐怖政治をしいてるってのは、ヒックがちらと見ただけの解釈でしょ?少年の直感を疑うわけじゃないんだけど、完全に信用もしないぞ、私は(えー、もうすでに妄想に入ってますからね)。
あの巨大ドラゴンは立派なリーダーで神だったかもしれないじゃないですか。仲間を食ってたのは、それが皆に害を及ぼす悪い存在ってことを瞬時に識別する能力があいつにそなわっていたからとか、理由は何とでもつきます。

人間が巣にせまってきた時、彼だか彼女だかは、もはやここまでと思ったから、新天地で生きろと仲間を逃がし、すべては自分が悪かったことにして、おまえたちは敵とともに幸福に暮せと言い残して壮絶な死をとげた。その思い出はドラゴンたちの中に深く刻まれ、人間たちと仲よく楽しく暮らしていても、彼らは巨大ドラゴンのことを忘れず、日々感謝することも忘れない。
おー、なかなか夏向きのホラーでいいではないですか。

ドラゴンたちの社会や世界や歴史についてまったくふれられていないから(ふれる必要はないですよ、しつこいですが)、彼らの中に権力闘争があったとか反逆や革命の動きがあったとか、そんな空想はいくらでも可能です。あの結末の後ろめたさや後味悪さをなくすような。
でもそうだったら、私が上で書いたような、もっともっと後ろめたく後味悪くなるような裏話も空想もいくらでもできる。空白の歴史なんていつももろ刃の刃です。

そう言えば、これもキャラママが授業ノートで書いてたように「悪者になって皆を幸せにする」っていうのも、定番だからなあ。「泣いた赤おに」しかり、「ダークナイト」しかり、ひょっとしてイエス・キリストもしかり。「すべてあいつが悪かった」って構図は、ひっくりかえせばもうすぐに、「あいつが全部の罪をかぶって皆を幸せにしてくれたのかもしれない」って話になりかねない。だから私は不安なのよ、「全部あいつが悪かった」パターンは。その犠牲がわかってる人には最高にそれってカッコいいし、感動的なのも含めてね。なんかこう、見えない負債があるようで、請求書がどっかから突然出てきそうで落ちつきません。あの巨大ドラゴンをキリストにするような余地を残していてはいかんのだよ、まったくもう。

まー、とんでもないところに発展してしまったところで、今夜はこれまでに(笑)。

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カツジ猫