映画「ヒックとドラゴン」感想集「ヒックとドラゴン」感想-4
わかりますよ、それは。私だって、女性の権利を主張するとき、それが男性を不幸にするかと思うとものすごくいやだったけど、実は男性も今のままでは幸福じゃないと気づいたとき、かなり救われたし。
それでも、「私にとっての幸福は相手にとっても幸福」というこの考えは、よくよく吟味してからでないと使えないと思う。キャラママがよく「私は自分にとって便利なように、猫の避妊や去勢をするけど、それが猫にとって幸福かどうかなんて絶対わからないと思ってる。いくら専門家が猫にとってもその方が快適、と言っても信じてない」って言うのもそれでしょう。
だからもう、何が言いたいの!?というとですね。
イラクが悪いのはフセインがいたからだ、共産党とKGBがソ連の国民を苦しめてたんだ、日本の戦争責任は天皇と軍部にあって国民は被害者だ、と言われても、なんかそれ、当の国民としてはちょっと釈然としない。
あ、またややこしくなるから、ドラゴンの話に戻る(笑)。
つまり、ドラゴンは、ヒックたちの村を襲うのは、本能でも趣味でもなかったわけね?恐怖にかられてノルマをはたしてたの?洗脳されてた?ドラゴン質でもとられてた?なんでとっとと逃げなかった?だてに翼があるんじゃなかろうに。抵抗しなかった?葛藤しなかった?そういう知能はないの?
彼らは新しい環境で幸福なの?満足なの?前と飼い主が変わっただけ?そう言や「ペット」と言ってたな。しょせんは、そういう存在なの?それでも、いい飼い主なだけ、ましなわけ?
わかってますよ、映画はこういう点をすべてさらりと流しています。もちろん、わかってそうしてる。私のこだわってることは、どれもとことんヤボで、興ざめもいいとこでしょう。
でも私は、ネットで感想を見るかぎり、ここをさらりとぼかして、流してるこの映画に、皆がとても好感を持ち、快く感動してるのが、正直言って、どこか恐くてしょうがない。
この快さ、この都合のよさ。人間とドラゴンの間にあるべき、異質の存在のぶつかりあい、確執、軋轢、そんなもののすべてが「略奪者は犠牲者でした」「巨大な悪から解放した敵は我々の大事な友=ペットになりました。めでたし」ってまとめられる、そんな話聞かされて、そんなに楽しいかふつう?ほんとにもう、誰かを悪者にして、誰も傷つかないで仲よくなるのが好きなんだなあ、どいつもこいつも。
あー、とまらない。もうちょっと続くかも。