映画「ヒックとドラゴン」感想集「ヒックとドラゴン」感想-5(多分これでおしまい)

このイライラの原点は、たとえば昔、007の(映画ではない、小説の)「ロシアより愛をこめて」で、共産主義か社会主義かを信奉してる美人スパイのタニアだかの描写(こんなウブでアホなスパイがいるものかと、高校生の私が思ったが、今考えると金賢姫さんってまさにこのイメージだな)にうんざりしたのや、キャラママが「授業ノートコーナー」(リンクしてる「板坂耀子研究室」にある)の「どこかに美しい村はないか」で紹介してる「ナルニア物語」の、どうみても中東からきた少年が、どうみてもイギリスの家庭の生活にうっとりしてる場面や、共産圏であるとないとを問わず、とにかく異文化、異国からきた人々を、自国の生活に迎え入れるときの欧米の人たちの無邪気なまでの目線…「あの暗黒の未開の国から逃れて、よくぞここにおいでになりました、これからは幸福ですよー!」という、あの様子が、ちょっともう、いい気なもんだよと、つくづく思った、そういう体験にある。
どうして、その人の文化とその人の歴史を持つ相手に向かって、あんなに臆面もなく自国の文化を最高の幸福として提供できるのか、ただもう、つくづく、ふしぎだった。

最近、日本の文化が最高とか強調する人たちを見ても、それはそれでまた、どっと疲れるが。

「ヒックとドラゴン」の映像は美しいし、どの人物もどのドラゴンも愛らしく生き生きしている。それでも私はこの映画を見て、どういうか、種としてのドラゴンの姿が明確にならない。それが、この映画の屋台骨を根本のところでぐらつかせている。

まあ、これは、敵として恐怖の対象だったものと融和していく楽しさを描いた夢物語で、それだけでも十分に価値があるとは思う。でも、くやしいが、映像や作品としては私がまったく魅了されなかった「アバター」でさえ、異種族の異文化の設定や描写はもっときちんとなされていた。ましてやドラゴンと言えば、ファンタジーの世界では最強の謎と力に満ちた種族のはずで、だからこそ、彼らとのふれあいは雄大で深遠なものでもあるはずなのに、この映画では彼らはせいぜい巨大ではあるが空飛ぶちゃちな熱帯魚のように、親しみやすくて恐くない。だいたい、「ペット」になるような種族を支配し交流したって、大した喜びや感動があるとは思えないんだよねー。猫でも飼う方がまだましだ。

ちなみに、ヒックと仲よしのドラゴン、トゥースはどう見ても猫に似ている。でも、キャラママはもちろん私も、猫とつきあう時でさえ、もっと異質な種としての距離を保ち、尊敬を払う。彼らの生活形態や彼らのモラルにはできるだけ立ち入らない。不可解な存在への驚きと警戒をいつも失わない。そういう敬意を払うべき存在としてドラゴンが感じられないのは、ちょっと決定的にものたりない気がする。

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カツジ猫