映画「ヒックとドラゴン」感想集「ヒックとドラゴン」感想(おまけのおまけ)

も、もはや例によって映画の感想でさえないかもしれない…。すみません。

キャラママさん。
まあ、その通りでしょうね。誤解がないよう言っときますと、私はこの映画、好きだし評価してるんですよ。憎むべき恐ろしい敵と思ってた存在と仲よくなることの喜びと楽しさ、異質なものと一体になることによって得られる新しい世界と力、それをこれほど映像でみごとに描いた作品はないと言ってもいいぐらい。

もともとヒックもそうですが、あの村のヴァイキングたち皆が、ドラゴンと戦っていても、相手を醜い汚らわしい存在とは思ってなくて、尊敬し愛して、こういうやつらと戦うことを誇りにしながら楽しんで戦ってるふぜいがありますからね。そこがあのラストを不自然にしてないってとこもあります。

(以下はネタばれです)コメントでKumikoさんも書いて下さってたように、原題は「ドラゴンをトレーニングする方法」ですから、すでにもう、そのタイトルが従来の神秘的かつ脅威の対象であるドラゴンのイメージを(十分に計算して)おちょくってるわけで、私もしつこく書いてるけど、そういう従来のドラゴンの持つイメージは、あの巨大ドラゴンに集約されてるわけですからね。あれが滅ぼされたからには、他のドラゴンは骨抜き、牙なし、毒抜きのご家庭用ドラゴンであるわけです。って、あー、まただんだん悪口になるか(笑)。

そういう恐い手の届かない存在を、ちっちゃい家の裏庭で飼えるみたいなイメージって、ほんとに楽しいんですよね。アパートでワニやニシキヘビ飼う人や、爬虫類や毒グモをペットにする人の心境も、そんなもんかもしれないし。
でもまた、そこがねー、それがねー。
キャラママさんも読んだかしれないけど、昔、講談社の世界文学全集でファーレーとかいう人の「黒馬物語」っていうのがあった。有名なブラック・ビューティーの苦労話(あれも面白かったけど)じゃないやつです。難破船で助かった少年と黒馬が島で暮らして、助けられて、家に帰って、黒馬は少年のものになって、二人はやがてダービーに出て、みたいな、なかなか楽しいスリリングな話でした。

でも小学生の私には、この本は愛読書ではなかった。どっちかというときらいだったかもしれない。
それというのが、この黒馬(ブラックという名だったかな、今思えばなんちゅう安易な)がアフリカ産だか何だかのすばらしい名馬なんですが、ものすごく荒い馬で人をよせつけないし、少年にはようやく心を許すけど、それでもどうかすると振り落とす。絶対飼いならされない、危険で、何考えてるかわからない。
愛読書じゃなかったけど、その本の印象が私は肌身にしみました。動物、特に野生動物とふれあうことはこういうことだと思い知った。「ヒックとドラゴン」のふれあいは、感動的だし、むろん短い映画ではあれでいい、あれしかないんですけど、私にとって、異種のものとふれあい、すぐれたものを調教する感覚は到底あんな簡単でなまやさしいものなんかじゃない。

私は軟弱な子どもでした。だから「ヒックとドラゴン」を子どもの私が見たら最高に愛すると思う。「黒馬物語」の黒馬の持つ得体の知れなさ、危険さ、恐さは、今も昔も決して私の好みじゃない。時代は私を追いかけてきてるという気が私にはずっとしてるんで(笑)、今の時代の大抵の人も、きっと私と同じだと思う。
現実がどうなのかは、私にはわからない。でも、動物に限らず、人間でも民族でも、「ヒックとドラゴン」の面もあるけど「黒馬物語」の面もきっとある。

飼いならすこと、相手の棲息地を奪って自分の世界で暮らさせること、それが相手にとっての幸福と信じられること、そのことのすべてに私が強く魅了されつつ、同時に強く反発するのは、「ポニョ」の場合もそうだったけど、人間どうしの関係も連想してしまうからでしょうねー、特に結婚に限定しなくても(笑)。
キャラママさんも書いていた、カワウソやキツネの奥さんの場合でなくても、相手への愛ゆえに自分の故郷も文化も本質も捨てて、相手の世界で生きることの喜びと苦しみを、相手がまったく気づいてないのは、その気づかせないのが喜びであることもふくめて、何とも残酷です。

えーいもう、書くまいと思ってたけど、こうなったら続けてやるさ。

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カツジ猫