映画「ヒックとドラゴン」感想集「ヒックとドラゴン」感想-3

たとえばですよ。(以下ほんとにほんとに、ネタばれよん)ドラゴンの巣窟に行ってみたら、そこは彼らの幸福で愛と平和に満ちた理想郷で、でもそれを支えているのは、ヒックの村から強奪された獲物だったとしたらどうなるのでしょう?
人間が魚をとるように、ドラゴンもまた人間の家畜をとって子どもを養い家族を守っていたんだとしたら?
それじゃ映画にならないだろうし、別の映画になるでしょうけど、でも追求してみていいテーマではあるよね。

ちょっと危なっかしいバランスではあったけど「あらしのよるに」は、相当そこをつつきまくった映画ではあった。
どうせ、こんな問題は到底結論は出ない。食物連鎖はなくせないし、人間だけで考えても、大なり小なり幸福な世界や環境は、他者の犠牲や不幸を土台に、あるいはそれらを無視することで成り立っている…って、私もいつからこう厭世主義者になったのかしらん(笑)。

だから、あまりそのことに徹底的にこだわっても、たしかにしかたがない。だから、多少なりとも他者をふみにじるのは、この際、目をつぶろう。そうした結果、せめて、そのドラゴンでも人間でも、同じ仲間が築いている世界の中は、幸福になっているのか、ということだけに話をしぼる。
「ヒックとドラゴン」の場合、ドラゴンたちの世界は徹底的に幸福ではない。だからまあ、話は早いというか、ヒックたちはいろいろやりやすい。
だが実際には現実には、日本もふくめていろんな国や共同体は、愛と平和にみちた理想郷と、少数の権力者や独裁者の支配する階級社会だか管理社会だかその両方だかの不幸な国の中間ぐらいにあるだろう。それか、その両方がいりまじってるだろう。そこがややこしいところで、ナチスドイツもスターリンのソ連も、北朝鮮も阿久根市も(おいおい)住む人の皆が皆、不幸でいるわけではない。

ええと、何が言いたいのかわからんという声が聞こえそうなのですが、要するに、こっちにとって都合の悪い、困ることは、実は相手にとっても不幸なことであった、というのは、もーのーすーごーく幸福な展開なのですが、そううまく行くかい、それじゃ話がうますぎるだろと私は思ってしまうわけです。
どうせ映画だし、何をこだわってるんだと言われそうですが、この幻想(と言ってしまうが)の図式って、私は何だか気になるんですよ。

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カツジ猫