近世紀行文紹介サ行の部

前回に引き続き、題名だけからでは内容の見当がつけにくい、近世紀行文を紹介してゆく。前回はア行が中心だったので、今回はサ行の作品を紹介する。なお、カ行の作品すなわち「近世紀行文紹介 その二」については、「文献探究」25号を参照されたい。

篠枕中院通勝

帝国文庫「続々紀行文集」所収。元和六年、京都より江戸に下る東海道の紀行文。和歌や漢詩を交えつつ、道中の風景などを綴っている。短い作品で、初期のものらしく、感傷性もやや強い。しかし、漢文調の歯切れよい文体で、観察にも新鮮な感覚がある。

さつきの日記栗田土満

碧冲洞叢書三十九所収。文化二年、郷里の遠江を発って上京し帰宅するまでの紀行文。和歌をまじえて、穏やかな和文で道中の見聞をつづっている。長柄川の鵜飼の描写あり。都の部分が比較的長く詳しい。帰途には伊勢に立ち寄っている。

山花紀行家仁親王

宮内庁書陵部蔵。写本三冊。仮綴、共表紙。第一冊・22.2×20.8cm。外題「桂紀行 桂宮御方」。内題なし。6行書。11丁。宝暦五年三月二十六日、式部卿宮とともに桂別業に行った時のもの。歌や句をまじえ、楽しげな旅。やや型どおりの美文だが、「けふはことさらくもりもなくのどやかにて、あり明の月もいときよくて見ゆる道をゆくほど、四条のほとりにて夜も明て日のいづるけしきいとのどやかに見えて、田面は菜の花盛にて千里黄金をしくに似たり」などという風景描写もある。第二冊・21.7×21.1cm。外題「宝暦四年三月十六日 桂紀行 冨貴丸同道」。内題なし。8行書。4丁。三月十六日、桂の例の別荘に行く。大半が和歌とその詞書である。第三冊・24.6×17.2cm。外題「宝暦六年 山花紀行」。内題なし。6行書。山花(「午刻ばかりやまはなにつきぬ。」との記述あり)というところに行った時のもので、やはり和歌が多い。字は三冊ともに美しい。「家仁」と署名がある。記述は簡単でさほど珍しい記事もない。紀行として一番整っているのは第一冊であろう。

三奇一覧伊藤東涯

内閣文庫蔵。写本一冊。外題「三奇一覧」。中表紙題「東涯先生三奇一覧」。内題「三奇一覧」。中表紙には委懐堂主人が文化十二年に写したとあり、他にも「益軒先生墓碑銘」「惺窩先生文集」などを録したとあるが、内容は必ずしもそれと一致していない。「三奇一覧」は冒頭の八丁にあたり、享保六年の春から秋にかけて、丹州・静原・近江に遊んだ時の漢文紀行。漢詩を多く収めている。竹生島のこと、村人に講義を行ったことなどの記事もある。

三餐余興大田南畝

大田南畝全集第八巻所収。明和四年の漢文紀行。「遊勝鹿記」「遊玉川記」の二編を収める。短い作品だが、明るく楽しげな雰囲気で、風景描写にもみずみずしい感覚がある。末尾に旅中の漢詩を記す。

三野日記建部綾足

「建部綾足全集」第五巻所収。明和三年十月から十二月にかけての旅。風間誠史氏は解説で、この書名は上毛野・下毛野・信野をさすと思われるが、実際には信濃へは行っていないと記される。同氏はまた、歌が多い風雅さとともに、各地の門人たちとの交流を丹念に記すこと、さまざまな奇談を収録しようという意図の見えることに注目されている。これは、どちらも、後の国学者たちの紀行に、きわめて顕著な特徴であり、綾足の作品がその基礎をなしていると見ることも可能である。

椎の葉椎本才麿

帝国文庫「続紀行文集」所収。元禄五年、大阪から兵庫、播磨のあたりを遊覧する、近郊紀行である。発句をまじえて漢文調の歯切れいい、やや古めかしい文体で、名所や町を活写している。楠木正成の湊川の碑がまだ出来たばかりで、付近の人が掃除をしていたこと、石碑はまだおおってあって、銘も見えなかったことを記しているのも珍しく、当時の貴重な資料であろう。

椎の葉日記作者不明

「碧冲洞叢書 日記紀行集」第四冊に所収。解題によると天保元年のもの。名古屋から船に乗って伊勢に参宮する。和歌をまじえて記述は比較的簡単だが、山里の人の純朴さや伊勢参りの盛んな様子などについて、ふれている。知人との交流を多く記すことや、鈴屋遺跡保存会に寄贈された書であることなどから考えても、国学関係の人の作であろう。

紫海紀行松延年

中野三敏先生蔵。写本一冊。十三行書。三十五丁。安永元~二年にかけて、京から長崎への漢文紀行。室から瀬戸内海を船で進む。描写は具体的で細かく、自己の感想なども多く、面白い。序跋、また本文の初めにも紀行文に関しての意見が散見する。

しぐれの記建部綾足

「建部綾足全集」第五巻所収。明和七年の京都から江戸までの東海道の紀行。自他の歌が多く記され、文章は少ない。ただし、文章の部分に感傷性はなく明るく、また、考証なども行っているのは、やはり近世紀行の特色であろう。

東雲日記浅野長懋

大阪府立図書館蔵。写本一冊。十一行書。三十六丁。末尾に「郊野日記」四丁を付す。父にしたがって江戸から故郷の広島に帰国する時の紀行文。東海道を通り、播磨から陸路で進んでいる。末尾の書き入れによると、作者は天明七年生、天保七年五十才で没。謚は覚道院。この旅のときは十七才だったという。そのためか、やや型にはまった表現もあるが、みずみずしい感覚がうかがわれる和文で旅の様子や土地の風物、自己の心情などを綴り、とりわけ父との交情が随所に見えて、微笑ましい。「武蔵」「相模」などと、項目を記して記事を記すが、冒頭に「清書の砌国名勿論不入」との書き入れがあり、この項目は省くつもりであったことがわかるのも、紀行文制作に関する意識をうかがわせて興味深いものがある。

志比日記小津久足

無窮会図書館神習文庫蔵。写本三冊。24.2×16.2cm。青色に銀の模様入り表紙。外題「志比日記」。内題も同じ。十行書。第一冊・六十五丁、第二冊・六十七丁、第三冊・七十七丁。「雑学庵のあるじ久足ふたびしるす」と奥書あり。内容は天保十五年の越前永平寺への旅。伊勢から出発して関、鈴鹿を越え、京都に入り、各所を遊覧する。(以上第一冊)それから大津を経て近江を通り、中江藤樹の墓に詣で、敦賀に出る。福井に至り、永平寺に参詣。(以上第二冊)その後、吉崎を通って加賀に至り、柳が瀬を通って再び近江に出て帰途につく。(以上第三冊)春の紀行なので、特に京都では花をよく見ている。また各地で太平記関係の古跡に興味を示している。この作者の紀行文は多く、どれも丁寧な和文で、土地を観察し考察し、旅の日常もよく描いている。全作品の翻刻紹介と評価とが急がれる存在である。

下街道行程記作者不明

金沢市立図書館加越能文庫所蔵。写本一冊。24.2×17.9cm。白表紙。仮綴。外題・内題なし。中表紙題「下街道行程記」。十四行書。九十四丁。各丁の下半分を用いて記し、上部は余白。加賀の金沢から出発して高岡、小杉、滑川、魚津、市振、糸魚川、名立、高田、関山、関川、野尻、柏原、善光寺、丹波嶋、矢代、上田、田中、小諸、追分を経て沓掛、軽井沢と中仙道に入り、大宮、浦和、蕨、板橋から江戸に着く。旅日記的な要素はなく、土地の名所や故事について記す資料集ともいうべきものである。道中記にしては記述が丁寧であり、名所図会とも形式が異なる。ただし記事は非常に詳しく、古歌や軍記など、広い範囲の資料の引用を行っている。字体も明確で読みやすい。

秀栄紀行独語井上秀栄

東北大学狩野文庫蔵。写本一冊。外題「秀栄独語」。内題なし。秀栄は御勘公事方留役井上三郎右衛門と末尾の書き入れにある。文化四年、岡村襲明写の奥書あり。文化三年、江戸から出発、中仙道を経て、追分から上田を通って善光寺、柏崎、弥彦を過ぎて赤川という村に達し、その付近一帯の検地を行っている。その様子なども、素朴な絵をまじえて詳しく描かれ、資料としても貴重であろう。道中の記事もしばしば図をまじえつつ、平明な和文で明確に無駄なく記されている。しかも個性を失わず、観察は細かい。名作といっていいだろう。

秋保日記富田以実

宮城県立図書館蔵。写本一冊。24.8×16.8cm。共表紙。仮綴。外題「秋保日記」。内題なし。十二行書。六丁。寛延四年、公務のいとまに「城西の秋保村」に入浴に行った時の紀行。仙台の近辺のみの近郊紀行である。漢詩や和歌を交えて、風景や土地の人々や旅の様子を描いているが、いずれもあっさりしていて、眼前の風景が多く、詳しい資料や考察はない。

周遊奇談昌東舎真風

無窮会図書館神習文庫所蔵。板本三冊。25.4×17.5cm。朱色表紙。外題「諸国奇談漫遊記」。内題「周遊奇談」。十行書。第一冊(巻一・二)二十五丁、第二冊(巻三)二十丁、第三冊(巻四・五)二十一丁。刊記なし。(「国書総目録」によれば文化三年刊。板本や写本が多く残り、よく読まれた模様である。)各巻を七から十の項目に分けて、全国各地の奇談を記す。挿絵を附して読み物風で、怪談めいた内容が多いが、科学的な考察も時に見える。紀行と奇談との関わり、あるいは橘南谿「東西遊記」の影響などを知る上の貴重な資料である。

巡廻録作者不明

早稲田大学図書館蔵。写本一冊。24.6×16.6cm。茶色表紙。外題なし。内題なし。中表紙題「巡廻録 全」。十行書。百六丁。明治九年、北海道巡視への随行記である。横浜から出発して東北から函館に行き、帰路につく。すべて海路をとっている。片仮名と漢字で記され、描写は具体的で、内容には電気や工場のことなどもあって、新鮮である。南部の青胸暦の部分で橘南谿の「東遊記」をひいている。

巡行日記佐野義行

東京大学図書館蔵。写本一冊。22.4×16.1cm。十一行書。二十一丁。白と茶の格子縞表紙。外題「巡行日記」。内題なし。尾張大納言が外山の別荘に行った時、かねがね行きたいと思っていたので随行したというもので、優雅で平明な和文で、付近の風景などを描写している。花見の記といってもいい、明るい春の紀行である。作者は御小姓頭取とある。文政五年写の奥書あり。

順礼記小田照陽

大阪府立図書館蔵。写本一冊。外題「順礼記」。内題なし。文政八年小田照陽書写の奥書。「国書総目録」では紀行に分類されるが、内容は鎌や槍などの武芸についての問答集で、紀行ではない。

性学日記大原幽学

「大原幽学全集」所収。天保七年から十一年までの五年間の日記で、房総の友人たちを訪問して交流したり、江戸や日光や、その近辺を遊覧したりしている。日記と紀行の区別が問題になる作品だが、全集の解説は、旅日記の性格も持つと判断している。たしかに大半は旅の記録である。くだけた気取らぬ文体で、俗語もまじえて記している。旅行の様子そのものがきわめて明るく、作者の他の紀行文とも共通するが、「膝栗毛」がかなり影響を与えているようである。

照顔斎道の記曲阜

柿衛文庫蔵。内題「奥の細道を慕ふ照顔斎道の記」。七十七丁。嘉永元年、茂助という供を連れて、「おくのほそ道」のあとをたずねる旅に出発するもので、伊丹から大坂、京都、東海道を通って江戸に着き、以後、芭蕉のあとをたどって、遊行柳まで行ってひきかえしている。帰途も同様の経路で伊丹へ帰る。軽妙な挿絵と発句を交え、歯切れいい文章で、土地の人や旅のさまをよく描いている。なお、この題名では「国書総目録」に出ていない。曲阜の他の作品のいずれかと内容が同一の可能性もあり、今後の調査が必要。

陟 録小野端民

国会図書館蔵。写本一冊。「酔霞楼叢書」第一の内。「中馬紀行」「轍環録」と合冊。茶色表紙。23.4×16.1cm。外題「酔霞楼叢書 轍環録 中馬紀行 陟 録」。中表紙(青に草紋様)題も同じ。内題「陟 録」。十行書。七丁。漢文紀行。佐屋から清洲を経て中仙道に入り、野尻から高田、鯨波、鉢崎へ行く。冒頭に「庚子冬十一月」「柏堡」への役の命があったとあり、公務のためであったろうが、冬の中仙道を通っているのが珍しく、冬季の旅の厳しさや街道の様子がよくわかる。家人もこれを案じたという記述もある。

正直先生記行三好清房

宮城県立図書館蔵。写本一冊。26.0×17.2cm。黒表紙。外題「正直先生紀行」。内題なし。8行書。16丁。「菊田文庫」印。末尾に「佐々木春信蔵書」と書き入れあり。全体として、下書の感じで、まだ充分にととのっていない。蝦夷を防ぐために白老の陣屋にいたところから始まり、同地の風景描写などがある。以後、陸奥への帰途が記され、実方の墓・武隈の松のことなど出る。短い紀行で、記事も多くないが、土地の人なども登場し、丁寧に綴られている。

装遊稿服部嵐雪

帝国文庫「続紀行文集」所収。元禄十三年、江戸から東海道を進み、吉田から舟で伊良古崎を経て伊勢に参詣、京へ行って都を見物している。短い作品で、やや大げさな強い表現の漢文調だが、俳人の紀行としては珍しく文が多くて、舟中の様子などもいきいきと描かれている。

尉姥集作者不明

無窮会図書館神習文庫蔵。写本二冊。青色表紙。22.8×16.4cm。八行書。第一冊五十七丁、第二冊四十八丁。外題「尉姥集 天明」(第一冊)、「尉姥集 安永」(第二冊)。内題なし。文政八年の書写か。目録に「安永・天明年間、普請奉行の武総常野四国巡回」と付記あり。朱で枠を記して「安永九子年八月朔日出立同十月十日帰着」などと記して、そのときどきの村を巡った様子を記す。記事の内容は、土地や人々の生活が主だが、記録に終わっておらず、具体的な描写があり、益軒の作品などをしのばせるものがある。文学的な素養のある人の作であろう。

諸君子句集大原幽学

「大原幽学全集」所収。天保七年に友人たちと奥州見物に赴いた時のもの。小見川から息栖、鹿島、大洗、水戸などを通って平宿に至る。友人たちと戯名をつけて面白おかしく旅をしており、「膝栗毛」の影響が強い。ただし、ふざけていないところでの描写なども正確で鋭い観察が見える。

諸国案内旅雀作者不明

国会図書館蔵本による。「国書総目録」では地誌に分類される。享保五年刊。(他に貞享四年版あり。)横本で、巻一に東海道(下り)、巻二に東海道(上り)と奥州道中、江戸から庄内への道、日光道中など、巻三に京から伊勢への道、中仙道、北陸道、巻四に奈良や吉野など畿内の街道、巻五に京都から加賀、信濃への道、巻六に船路、有馬温泉への道、四国、中国、九州、北海道の街道、巻七に海路や全国の絵図、潮の満干の表などを記す。地域によって詳細な部分とそうでないところの差が大きいが、東海道や中仙道についての部分は比較的詳しい。「藤枝より岡部へ 壱里廿六町」などと項目をたてて、その間の名所を記す。道中記として実用に使用されたか。

諸国廻暦日録牟田文之助

「随筆百花苑」第十三巻所収。大谷篤蔵氏の詳しい解説がある。佐賀藩士牟田文之助が嘉永六年から安永二年にかけて、剣術修業の藩命をうけて各地をめぐった時のもので、日付にしたがって、一つ書きに記す、記録的なものだが、飾らない面白さがある。

所歴日記石出吉深

寛文四年、町奉行の作者が職務の疲れを癒すため、有馬に湯治に出かけた時の作品。中村幸彦先生の著述集十三巻「近世圏外文学談」の中に、その文学性などについての評価が示される。いずれも写本で多く現存する。その書誌と内容については拙稿「『所歴日記』の伝承記事」(近世文芸44号)を参照されたい。

しるしの棹作者不明

九州大学図書館蔵。国書総目録では「しるしの竿」として湫宣編の俳諧の書と同一になっているが、内容は東北方面への紀行で、明らかに別の作品である。しかも、深い雪の中の旅をいきいきと描き、「膝栗毛」の影響がつよい軽妙な面もあって、名作の一つといっていい。作者その他についての調査が望まれる。

壬午紀行桃居翁二柳

柿衛文庫所蔵。宝暦十二年、京都の伏見から出発して浪花、須磨を経て、海路をとり、四国の丸亀にいたり、崇徳院の廟、屋島の古戦場などを巡る。佐藤次信の碑や義経の弓流しに関しての記述もあって、軍記物の影響が濃い。発句や俳文が入り交じり、稿本の段階のものと思われるが、字は比較的読みやすい。

壬戌紀行大田南畝

大田南畝全集第八巻所収。享和二年の木曽路の旅。平明な文章で雅俗の記事をとりまぜて記す。観察は細かく、描写は的確で無駄がない。近世紀行文の代表的な名作の一つであろう。

壬申紀行今枝直方

金沢市立図書館蔵。写本一冊。外題「壬申紀行」。内題なし。元禄五年、公命によって金沢から江戸へ向かう。滑川、市振、名立を通って、高田から追分に出て、中仙道を経て江戸に入る。その後、江戸を出て東海道を箱根へ向かい、更に進んで大井川を越え、近江へ出て、そこから金沢に帰る。大変早い時期の作品であるにかかわらず、芭蕉や益軒の作品とも違った、自然な和文で旅の日常がつづられていて、同郷の有沢一族の紀行文とともに、金沢でのこのような作品の存在が注目される。長い漢文や一つ書きの部分も適当に挿入され、形式にこだわらず、のびのびと記されている印象が強い。出発以前のことも書かれ、途中の宿で椿があると、それを土にさして郷里に送るなど、日常と旅が遊離していない余裕のようなものがある。

須賀路の日なみ出川道年

無窮会図書館神習文庫蔵。「玉 」二七所収。写本一冊。七行書。十二丁。外題「玉 」。中表紙題「須賀路の日なみ」。内題「須賀路の日なみ」。嘉永元年七月、近くにある須賀の大宮の大祭に参詣した時のもの。「さて茄子を四つにきりて鹿のかしらのごとくしなして、そをたてまつりてなんある。是は建御名方神にと見ゆ」などと、神事の様子を記している。やや字が読みにくく、誤写もあるかと思われるが、珍しい記事も多い。

菅の下葉作者不明

無窮会神習文庫蔵。文政十年、江戸から東海道を通って、京に入り、大坂から山陰道を経て下関に着き、小倉に上陸、豊前へ向かう。宇佐八幡に参詣し、宮崎から鹿児島へ行き更に熊本から博多、唐津、長崎へ行く。長崎について詳しく説明したところで終わっている。長距離の旅行で、作品も大部だが、この行程に比してはむしろ少ないと言えよう。それにもかかわらず、無味乾燥な記事の羅列に終わらず、観察は鋭く、描写も具体的で面白い。近世の、特に九州紀行として、すぐれた作品である。

〔鈴木重嶺紀行集〕鈴木重嶺

国会図書館蔵。写本一冊。「桜園叢書」四一所収。23.4×17.1cm。外題「桜園叢書 四十一 四十二」。内題なし。冒頭に明治三十九年に門人の眞島景耀が誌した鈴木重嶺の小伝(七丁)を付す。収録作品は次の通りである。
夢路の日記(十四丁)・天保十三~十四年(二十九~三十才)の東海道の往還記。和歌をまじえて安定した落ち着いた文体。それほど珍しい記事はない。
旅路廼日記(三十一丁)・文久三年(五十才)の時、「浪花近きあたりの台場築造おふせごとかうふりて」江戸を発ち、中仙道から美濃路を経て大坂に着く。やはり淡々とした記述で落ち着いている。
恵廼露(二十四丁)・文久三年、砲台を浪花のあたりに築く命をうけて、そのついでに大坂近郊、京都、奈良をめぐる。他の作品と同様に淡白で地味な印象だが、行っている方面がやや珍しいためか、少し変化に富む感じをうける。
旅寝のすさみ(十四丁)・明治九年(六十三才)に、祖先の墓参をかねて箱根に行った折のもの。江戸期のものと、作品の感じに全く変化は見られない。これ以下はいずれも明治に入ってからの作品で、伊香保前橋の記(十二丁)・越路日記(三十三丁)・旅路のすさみ(三十四丁、明治二十年のもの)・東総日記(八丁)・旅寝の夢(九丁)・霧積紅葉見の記(九丁)・松島日記(十二丁)が収められている。先述したように、これといった特徴に欠け、やや平板な恨みはあるが、「松島日記」の七十八才まで、長い時期にわたって、ていねいに記されており、てらいのない静かな味わいがある。

鈴の屋紀行本居大平

京都大学図書館蔵。写本一冊。外題「鈴の屋紀行」。内題「本居翁が名児屋なる人のこふまにゆかむとて出立たる道の記」。十一行書。二十一丁。寛政元年、本居宣長が、伊勢の松坂から、名古屋の門人に乞われて旅だった折に同行したもので、自分のことを「稲掛大平とか何とかいふ人」と表現するなど、読者を意識し、わかりやすい記述をこころがけている。和歌を交えた和文は、紀行の作品の多いこの作者らしく、手なれていて読みやすい。春の旅で、雰囲気は明るく、大館高門をはじめとした門人たちの名も多く出る。後半は旅中で詠んだ自他の和歌をまとめて記している。

すみぐさ建部綾足

「建部綾足全集」第六巻所収。寛政六年刊。伴蒿蹊の序文がある。関西・関東方面をはじめ、四国や九州の各地について、旅した時の印象や見聞を、それぞれ短い文章で記す。また末尾には、旅の記に使用する言葉などをまとめてあげている。松尾勝郎氏の解説によると、明和八年頃の成立で、作者は板行を意図していたが実現せず、没後十九年を経て書肆が板行を思いたったという。この間に橘南谿の「東西遊記」の流行などもあって、この作品の持つ独自の形式(旅の時間的経過に従わず、順不同に記すなど)が評価されるようになったこと、あるいは地誌的な紀行に理解の深かった伴蒿蹊の板行への努力もあったかもしれない。松尾氏は、この作品に「近代的な叙情と、感性の萌芽」を見ておられる。そのような感覚も、また、他の紀行作品にも共通する奇談集的性格なども含めて、綾足は近世紀行文学史上、見逃せない位置に存しているといえよう。

住谷信順回国記行住谷信順

東京大学史料編纂所所蔵。写本一冊。27.4×19.3cm。茶色表紙。十行書罫紙使用。三十五丁。同所所蔵の「住谷信順履歴」一冊によると、作者は水戸藩士で勤皇派として活躍、慶応三年刺殺された。この作品は同人の作品の中では、最も紀行文としての形式を整えている。安政五年から六年にかけて、江戸から下総、上州から中仙道を経て、北陸へ向かい、若狭から京都に出る。旅の様子や風景描写を漢字と片仮名で歯切れよく記している。大正三年の写で字体はきわめてよく整う。

住谷信順廻国日記住谷信順

「住谷信順回国記行」と同様の体裁。十九丁。外題「住谷信順廻国日記」。中表紙題「廻国日記」。内題なし。安政五年から六年にかけて、越前や土佐を巡ったときのもので、「廻国記行」と同時期のものか。記述は簡単で記録的である。

住谷信順帰国日記住谷信順

「住谷信順廻国記行」と同様の体裁。六丁。外題「住谷信順帰国日記」。中表紙題「安政四年 帰国日記」。内題なし。同年六月の江戸から水戸への旅の折のものか。関所手形の写しなど、覚書の体裁で、旅の記事のようなものはない。

住谷信順帰府日記住谷信順

「住谷信順帰府記行」と同様の体裁。27.5×19.2cm。六丁。外題「住谷信順帰府日記」。中表紙題「辰十二月十六日江戸出立南上巳正月十三日帰府日記」。内題はなし。安政三年の末から翌年初めにかけて、江戸から小田原などを旅したもので、記述はきわめて簡単である。

住谷信順上京日記住谷信順

「住谷信順廻国記行」と同様の体裁。八十二丁。外題「住谷信順上京日記」。中表紙題「上京日記」。内題なし。元治元年四月から五月にかけて水戸から江戸、東海道を通って京都へ行き、そこでの日々を記す。この作者の紀行の中では最も長く、和歌なども交じるが、内容はやはり記録的で、紀行としての面白さは薄い。維新関係の資料としては貴重であろう。朱が少々入る。

住谷信順道中日記住谷信順

「住谷信順廻国記行」と同様の体裁。27.4×19.1cm。三十二丁。外題「住谷信順道中日記」。中表紙題「道中日記 坤」。内題なし。「廻国記行」に続く部分か。安政五年、大坂から船で四国の丸亀に向かい、四国の各地を巡った後、紀伊に戻って、吉野や伊勢を巡り、桑名から東海道を通って、江戸に帰っている。記述は「廻国記行」に比してかなり簡単になっている。朱少々あり。なお作者については、「書簡」「上書草稿」「奏議」などの資料が同所に所蔵されている。

清街筆記哲阿弥

国会図書館蔵。「叢書料本」二三。写本一冊。24.3×16.5cm。茶色表紙。外題「叢書料本 二十三」。中表紙題「清街日記 哲阿弥」。12行書。25丁。朱あり。彩色絵あり。五月廿四日の日付からいきなりはじまり、冒頭がやや唐突な印象である。あるいは省略があるか。内容は出羽方面の旅で、能代を中心に唐船番所などを見物する。発句がしばしば記される。末尾の方は字の大きさもまちまちで、ととのっておらず、稿本の状態であろう。ただし港のさまや船乗りとの交流など、記事には面白いものが多く、記述も細かくわかりやすい。

即次録河田興

東北大学狩野文庫蔵。写本一冊。十行書罫紙使用。五十五丁。外題「即次録付摘勝記」内題「即次録」。天保九年、妻の母と友人、従者一人と計四人で江戸から出発し、中仙道を通って京坂に遊び、東海道を経て帰宅する漢文紀行。旅の様や風景を細かく描いて面白い。この紀行は二十七丁で、その後に旅中の漢詩を記し、ついで「日光摘勝記」を付す。

袖濡の日記義門

京都大学図書館蔵。ほぼ同様の内容のものが二点存する(いずれも写本一冊)。大正九年と十四年の写で、書写の過程は九年写の一本の冒頭に詳しい。四国の白峰に参詣するため、近江から播磨を経て、船で金比羅に渡り、白峰に詣でた後、備後へ赴き、福山を見物し、その後陸路で再び播磨まで帰り、大坂に滞在する。和歌をまじえ、知人友人との交流のさまがよく描かれている。また中国地方の陸路の紀行としても珍しい。

袖の雪天野信景

鶴舞図書館蔵。写本一冊。正徳五年、名古屋から東海道を通って江戸に赴く紀行文。時代が古いこともあって、文体は漢文調でめりはりが強く、やや古風な印象もうける。しかし、父母が死んだら畑に埋めて、その内いっしょに耕してしまう、地方の風習など珍しい記事もあり、あちこちで細かく熱心に見聞を記しているのは魅力的である。十一行書。二十三丁。その後に十九丁、種々の雑記がある。享保七年の津島社の改修の時の記事もその中に見える。

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