近世紀行文紹介タ行の部

前回にひきつづき、国書総目録等からだけでは内容の見当がつかない近世の紀行文を簡単に紹介してゆく。作品の中には、非常に内容の豊かなもの、資料として貴重なもの、文学的にすぐれたものも数多く、このように十把ひとからげにかたづけていかねばならないことが、気がとがめたり、無念だったりもする。ひとつひとつの作品について、充分な調査や整理を行ってやりたくて、指がうずうずする思いだ。
しかし、その圧倒的な量の多さと、その処理にかけられる時間の量の限界を思うと、とにかくこのようなかたちででも紹介して、より詳細に調査研究してくれる人たちに少しでも手がかりを残しておくことだけをさしあたり今は目指したい。

高倉家道中日記作者不明

宮内庁書陵部蔵。写本一冊。14.2×19.7cm。銀砂まじりの茶色と白の横縞表紙。十四行書。五十五丁。外題「高倉家道中日記」。内題なし。「帝室図書」朱印。冒頭に一行の氏名と役職の表があり、ついで「二月 一、冷泉様より御発輿御案内申来候事 一、御発輿」とあって、以後数回にわたる行列の道中の記録を記す。主として東海道である。「大津御昼休 (略) 外良餅弐棹 御本陣肥前や弥四郎 干鱈大塚嘉右衛門」などと、宿泊地や献上品などを記す。献上品には他に「鶴の子、らくがん」「蛤、かき餅」「まんちう」「浅利貝」「うなぎ」「甘鯛」「鮓三桶」「さえ」「著蕷一台」「細工物」「鰹塩辛一曲」「海苔」「茶」「扇子壱箱」「浜小石」「粕漬梅」「椎茸」「松露」「わらび」「生花」「管筆」「ひらめ 防風」「いか」「ふき」「そば」「枝柿」「うど一台」「茶二包 かや」などがある。他にも書付の写などあり、旅の実態をつかむのにはよいか。

高山仲縄紀行集高山正之

静嘉堂文庫蔵。写本一冊。外題「高山仲縄紀行集」。内題なし。十四行書。六十四丁。安永二年「赤城行」・同五年「古河のわたり」・同「小田原行」・同六年「赤城行」・同八年「小股行」・天明二年「沢入道の記」・同「子安神社道の記」・同「武州旗羅廻」の八編を収録する。日付にしたがい、簡明で冷静な文章で見聞した事実を記している。

滝の真清水安田広治

静嘉堂文庫蔵。写本一冊。文化十一年、羽根満安とともに、養老の滝を見に行った時のもの。伊勢を出発して多度山に着き、滝を見た後、近江へ行き多賀神社を拝し、その後、大坂から播磨を遊覧して帰る。おとめ塚のことなど出る。国学者風のなだらかな和文でつづられ、のどかで明るい味わいがある。

旅路の家づと佐々高直

無窮会図書館神習文庫蔵。「玉 」二四四(写本一冊)の内。赤茶色表紙。25.4×18.4cm。中表紙題「たひちのいへつと」。内題なし。11行書。十七丁。安政四年む月の自序があり、それによると、周防の国に学んでいた間、交際していた人々の会話の内容を、故郷の人に聞かせたくて、書き留めたものである。その中身は、霧島山の神怪の話、正月桜のこと、矢地の里の女が猿のような子を生んだが、猿田彦の神としてあがめられ、幸せになった話など。また神代文字の存否についての考察や、都からの手紙の引用などもある。紀行文と奇談集、また随筆とのかかわりを検討する上での一資料である。なお、欄外に朱も交えた注記が多い。

旅路の日記鈴木重嶺

「鈴木重嶺紀行集」を見よ。

旅路廼日記鈴木重嶺

「鈴木重嶺紀行集」を見よ。

旅路記恵の露鈴木重嶺

「鈴木重嶺紀行集」を見よ。

旅日記作者不明

内閣文庫「摂津徴」巻九十六(写本一冊)に所収。青に黒の格子縞表紙。26.6×18.9cm。十行書。外題「摂津徴」、内題なし。「槃遊余録」と合冊で、区切りが分かりにくい。おそらく後半の九丁であろう。冒頭「文化十三年丙子年四月廿二日。晴。朝まだきに出たり云々」とはじまり、奈良・大坂・兵庫の名所を遊覧する。「塩谷村、此辺、熊谷と平山、一二のかけを争ひし所と云々」で終わる。国会図書館本「旅日記」写本三冊の抜粋である。

旅日記作者不明

国会図書館本。写本三冊。19.4×13.2cm。灰色表紙、左肩緑題簽。外題「旅日記 隅(第二冊『田』、第三冊『川』)」、内題「旅日記 上(第二冊『中』、第三冊『下』)」各96、65、60丁。嘉永元年「永年田宜書」の奥書。文化十三年、東海道から伊勢、大和、南紀、播磨、讃岐、宮島、岩国、京都、木曽路、善光寺、草津、江戸と巡って帰る大旅行である。古歌や軍記物、益軒の紀行など引用、俗的な記事も多い。記録的な文体で、記述は簡略だが、内容は豊富である。

旅日記平岡喜卿

無窮会図書館神習文庫蔵。写本三冊。30.0×20.4cm。外題「旅日記」。内題なし。青に金砂散らし表紙。十五行書。第一冊三十六丁・第二冊三十七丁・第三冊四十六丁。天保三年、江戸を発って東海道から大坂・播磨・讃岐を巡る。

旅日記独楽青沼亀次郎

早稲田大学図書館蔵。写本一冊。21.6×16.8cm。赤茶色表紙。外題「旅日記独楽」。内題なし。文久三年の伊勢、奈良、金比羅参詣記。風雅な彩色画が多い。江戸から出立して伊勢に参詣、ついで奈良見物をし、大坂から四国に渡って金比羅や弥谷を訪れ、兵庫に戻って、須磨の古戦場を見、大坂を再度見物、京から関が原を通って江戸に帰る旅である。作者は江川太郎左衛門の配下の役人で、この時まだ二十二才だったようだが、和歌も交えた記述は軽妙で洒落ており、無駄がない。氷砂糖、鹿子餅など、食べ物のことも出る。

たびの命毛土屋斐子

帝国文庫「続々紀行文集」所収。近世の女性紀行の名作であろう。作者は土屋紀伊守の妻で、夫の任地である堺に向けて、江戸から東海道を旅した時の紀行である。行程も見聞するものも、さほど珍しいものはないのにもかかわらず、夫の仕事にも口を挟んだという噂もある、才気と気性の激しさと鋭い感覚が作品全体にあふれており、富士山の美しさによせる異常なまでの愛情や、思いのままに旅ができない女の身へのいらだちとなって、鮮やかに表現されている。詳細な風景描写も他の紀行に比して、印象に残る。

旅のおぼえ吉村静軒

国会図書館蔵。写本一冊。「鶯宿雑記」二九九巻所収。茶色表紙。十一行書。二十一丁。外題「鶯宿雑記 二百九十九 三百」。内題「鶯宿雑記巻二百九十九草稿 旅のおぼえ 吉村氏静軒記行」。冒頭に、かつて二度ほど京に行ったが、公務が多忙で名所見物ができず、もう一度行きたいとかねて思っていたところ、友人塙何がしが公務で京坂に行くことになり、よい機会と自分も有馬入湯の許可をうけて、同行した旨のことが記される。東海道の記述はなく、関から石部・瀬田を経て京見物をする。京の記述は詳しく面白い。その後、大坂から有馬、明石、兵庫をめぐり、ふたたび京に戻って草津から関、富田に至って終わる。手なれた和文で、記事も細かいが、冗長ではない。「右旅のおぼえは静軒老人の記行、心付もあらば申てよと有しをうつしぬ」と末尾にあり。

旅の記茂木知教

秋田県立図書館蔵。写本一冊。天明二年、主君の命によって石巻のあたりから塩越、酒田、温海、新潟、柏崎、鯨波、高田、善光寺、青柳を通り、洗馬、本山と中仙道に入り、番場、愛知川、草津を通って京に着く。しばし滞在して京や大坂を見物した後、奈良へ行き、多武の峰に参詣し、吉野や和歌の浦へも行く。大坂に帰った所で終わっている。くどくない、あっさりした筆致だが、よく観察し、短い言葉で的確に各地の様子を描いていて読みやすい。ときどき名所の周辺を簡単に図示した、これもわかりやすい絵が入っている。

旅のくさぐさ作者不明

大阪市立図書館蔵。写本三冊。主君にしたがって江戸から東海道を通り、京から大阪、播磨を経て陸路で広島に至る。その後、船で讃岐に渡って金比羅に参詣し、再び船で明石に上陸、大坂を見物して、伊勢に参宮し、桑名に渡って東海道に戻り、江戸に帰着する。長途の旅行で、紀行もかなりの長編。食物のことなども詳しく記して、旅の様子や土地のさまを活写していて面白い。

旅のくちずさみ坂本栄昌

宮内庁書陵部蔵。片玉集後集三十二(写本一冊)所収。平凡社東洋文庫「江戸温泉紀行」に翻刻。寛政七年の草津温泉への入湯記。庶民的な記事が多い温泉紀行にしては、やや優雅で平凡だが、のどかな味がある小品。

旅の久婦沙・同遺編秦忠告

無窮会図書館神習文庫蔵。写本二冊。茶と白の横縞表紙。27.2×19.0cm。第一冊六十六丁・第二冊七十二丁。九行書。内題なし。外題「旅農久婦沙・旅農久婦沙遺編」。「くぶさ」とは槍の意で、鋭く対象をとらえることを示しているという。明和三年の自序があり、それによると壮年より旅を好んだ作者が、一子に遺すものもないので、その見聞を記して家宝とするとある。東北から九州まで、全国にわたって項目別に故事や俗間のゴシップをとりあげ、自らの考察も記す。内容は面白く、引用文献も豊富である。南谿などのさきがけであろう。名作である。欄外の書き込みも、本文の理解に有効。末尾に「肥州 長沢巌太郎」「木叟」の跋文あり。

旅のしぐれ丹野茂永

東北大学図書館狩野文庫蔵。写本一冊。弘化四年、命を蒙って仙台を出発し、安積山、郡山、白川を経て日光道中を南下し、利根川を渡って松戸から我孫子、鹿島を通って、名取川を過ぎて帰着する。道中のできごとや宿の様子などを、平明な和文で、丁寧に面白く記しており、宿のこみあって苦労するさま、口さがない宿の女たちのさまが生き生きと描かれている。

旅のすさび中河教保

宮内庁書陵部蔵。写本一冊。「片玉集」五五所収。23.3×16.8cm。十一行書。二十丁。外題「片玉集 仮名文之中 五十五」。内題「旅のすさび」。天明五年五月二十五日、江の島に参詣し、鎌倉見物をした折のもの。友人の盛幸と同行。品川から東海道を経て鎌倉に赴き柴崎村から舟で江戸へ帰る。和歌をまじえた楽しげな遊覧旅行である。やや社寺の名が多すぎる気配もあり、特徴が充分に出ていないが、和文の優雅さを残した、明るい旅の記である。

旅のすさび松平康定

大阪市立大学図書館森文庫蔵。写本一冊。三軒屋のあたりからはじまり、大井川の渡しの様子が詳しい。以後東海道を進み、京に至る。大正十二年の写と奥書にあり、ペン書きのためもあってやや読みづらいが、内容は、鈴鹿の宿で虫を求める様子など、他の紀行にない記事を多く記しており、面白い。道筋は珍しくないが、よく観察し、無駄のない自然な筆致で記している。

旅の塵作者不明

国会図書館蔵。半紙本七冊。享保~弘化間の大坂市中の事件(大塩平八郎の乱など)や雑事を記録したもので、紀行文ではない。

旅の友見能庵

京都大学図書館蔵。写本一冊。オランダ語なども出て、幕末のもののようだが、紀行ではなく、旅の心得を記したものである。宿で火事が出たときのこと、途中で喉がかわいたときのことなど、その対応と心得を細かく記す。その内容や、また一方で、日本国が他国に優れていることを故事を引用して力説するなどの記述から見て、対象は公務で旅する武士階級であろう。当時の旅行の資料として、大いに利用できるものであろう。

旅のなぐさ賀茂真淵

有朋堂文庫「日記紀行集」所収。一名「西帰」。元文元年、京都から山科、庄野を通って遠江に帰る折のもの。個人的記事はまったくといっていいほどなく、もっぱら地名と故事に関する考証が記される。解説者の塚本哲三氏が「一種荘重の趣」があるとして、本居宣長の「菅笠日記」よりこちらを高く評価されるのは、やや奇妙な気もするが、宣長の散文性よりも、こちらの方が格調と緊張感があると判断されたか。また、このような考証も、近世紀行の持つ大きな特徴の一つではある。

旅の余波嘉成

宮内庁書陵部蔵。写本一冊。「片玉後集」三二所収。22.2×16.7cm。十一行書。三丁。外題「片玉後集 三十二 草津日記下 旅の口すさみ」。内題「旅の余波」。冒頭「こぞの秋はおもひかけずおもふどちともにかみつけの草津の出湯あみしつゐでに信濃路よりしてみちのくにのさかひをかけておもひたち、葉月三日にむさしのくにとしまの郡江戸のやどりを出、板橋のむまやをはじめて・・」あちこちを旅した折の心境を思いつくまま書きつけた随想。特に具体的な記事や、土地のことがあるわけではない。

旅の日記根本重蔵

無窮会図書館神習文庫蔵。写本一冊。文久三年、江戸から東海道を経て九州に向かう。同行の友人たちとの関わりがよく描かれる。弓矢場で弓を射て楽しむ記事などもあり。大坂からは船で瀬戸内海を通り、豊後の鶴崎に上陸、府内に至る。やや記録的な飾らない文体で旅のさまを描き、珍しい記事もある。ただし九州関係の部分はほとんどないといっていい。

旅の日記孝継

九州大学図書館蔵。写本一冊。外題「旅乃日記」。内題「旅行の記」とある。嘉永五年、主君にしたがって「東のみ旅」に赴く紀行。高知の城下を発って、比島、一宮、国見峠、本山、笹ケ峰、立川を通って丸亀に至り海上を室へ渡る。その後、姫路、明石から湊川を経て京に入り、石部、水口、石薬師から東海道へと進み、江戸に入る。平明な和文で、読みやすいが、記事は型にはまらず、ありふれていない珍しいものが多い。同行の人や宿の人との交流なども含めて旅の日常が飾らぬ筆致でよく描かれている。江戸に近い街道で、馬に乗った若い気の強そうな女を見た記事など、旅人たちにも目をよく注ぐ。字は少し読みにくい。

旅のねざめ素丈坊

国会図書館蔵。板本一冊。22.7×15.9cm。茶色表紙。外題・中表紙(青色)題ともに「旅のねざめ」。八行書。三十四丁。享和二年に讃岐の素丈坊が、弟子たちにすすめられて、四国の各地を旅したもので、冒頭は徳島に訪れた岡山の任他斎が、この行の出発にあたって、一文をよせて、詠んだ句を発句とした歌仙ではじまる。内容はすべて、各地で詠んだ句と歌仙である。翌年帰着し、旅先で書き留めたものを刊行する事情は、蓼花の跋に詳しい。

旅の恥かきすての日記燕石贅人

国会図書館蔵。写本二冊。茶色表紙。26.5×18.2cm。中表紙題「西遊日記」。朱で「西遊日記・旅(以下判読不可)」と訂正。内題「旅の恥かきすての日記」。第一冊十四丁・第二冊十五丁。朱多し。天保甲辰(弘化元)年の、九州旅行である。讃岐から船出して、下関を経て、小倉に到り、宗像・箱崎・太宰府・唐津・長崎などをめぐっている。記述は詳細で、軽妙、しかも冗長ではない。近世紀行の名作の一つといってよいだろう。

堂飛乃日難美松岡行義

宮内庁書陵部蔵。写本一冊。25.5×17.7cm。十一行書。十一丁。銀砂まじり薄茶色表紙。外題「堂飛乃日難美」。内題「多悲乃日難見」。奥書等はなし。弘化四年に天皇の即位の儀式を見物しようと京に行くもの。江戸から中仙道を経て京にいたるまでが七丁で、以下「在京日次別記 大和路記行別記」とあって京から草津、石部を経て、伊勢に参詣、桑名、宮から東海道に入って帰着する。和歌をまじえた手なれた紀行文。簡略なところは簡略だが、安定していてくどくなく、具体的で面白い。てらいがなく、記録的だが記録に終わっておらず、素朴だが稚拙ではなく、個人の視点も失われていない。

旅の笑草平元正信

宮内庁書陵部蔵。「片玉集」三所収。友人の道奥が武蔵国へ旅だつに際して、「何ぞ思あたれる事あらば倭文にて書綴て見せよ。旅のすまひの慰にもなし、又は一夕の閑話に心ちして見たき」と頼まれたので記したとあって、自己の経歴や仕事、また学問や教育、日常の心構えなどについて簡単に述べている。最後に何よりも身体を大切にすることが大事だとして旅中の無事を祈っている。旅に際して書かれたものだが、紀行文ではなく、内容も特に旅とは関係ない。

旅枕道枝折関根美尾

香川大学図書館蔵。写本二冊。外題「旅枕道枝折」。内題なし。文政二年、江戸から発って東海道を進み、四日市、白子を経て伊勢に参詣する。その後、伊賀、三輪、奈良、吉野を通って大坂に着き、讃岐の金比羅へ船で向かう。更に厳島に参詣し広島を見物、船で帰って播磨を遊覧し京に入る。京とその周辺を見物の後、中仙道を通って帰宅する。作者は女性のようであるが、それを感じさせないほど、長い行程を積極的に遊覧しており、記事の内容も豊富である。京都に関する部分が多く、第二冊目の大半はそれに充てられている。ために、この種の都会見物の紀行が陥りがちな、名所の地名の羅列から逃れているのもよい。

中馬紀行青木重隆

国会図書館蔵。「酔霞楼叢書」第一所収。書誌については「陟 録」を見よ。十行罫紙使用。十五丁。漢文紀行。桑名在住の作者が、広瀬蒙斎の「轍環録」が「一世喧伝」したのを見、また義父翠樹や晩香も中馬道を通ったので、自分も行きたかったが病気がちのため、親戚にすすめられて東海道を通ったが、今回は死んでもいいと思って甲州道を通ったと冒頭にある。江戸から小仏峠、鶴川、初雁、巨麻、栗原、笛吹川、韮崎、金沢、高遠、飯田などを経て、まごめから十石峠、中津川を通って名古屋に着く。末尾に「嘉永二年十二月」とあり。記事は細かく、心情描写などもあって、面白い。

蝶の遊山崎北華

帝国文庫「続々紀行文集」所収。元文三年、江戸から松島に赴く。芭蕉「おくのほそ道」を強く意識してその後をたどっている。松島で芭蕉と夢中に問答を交わし、その時見た象潟の印象を壊したくないとして、そこから引き返してしまう。文体は工夫をこらして洗練され、題材もよく選択されている。ただし、後の国学者たちのめざした紀行文の基準からすると、やや作為がめだつであろう。いわゆる日記的日常がなく、卑俗な題材をとりあげていても、芭蕉の作品と共通する詩的な緊張感がある。

塵坑幽岩

刈谷図書館蔵。「蓬蘆雑鈔」第六十七(写本一冊)所収。二十五丁。十行書。題名の由来は冒頭に、心につもるちりあくたをかきあつめて、「ちりあな」としたとある。鎌倉から出発して江戸を経て、奥州に向かい、松島を見物して、帰途は日光にたちよっている。和歌や漢詩をまじえて、やや古めかしい文体だが、次第に記述が長くなり、面白くなる。義経伝説などとりあげ、軍記物の影響もつよい。(この項は、福岡教育大学聾課程・片山磯美さんの協力を得た。)

月波日記小津久足

無窮会図書館神習文庫蔵。写本二冊。23.3×16.0cm。十行書。第一冊・七十七丁、第二冊・六十九丁。外題「月波日記」。内題も同じ。黄色表紙。文政十二年奥書。朱入り。文政十三年(と本文にあるが十二年の誤りか)、伊勢から伊賀を越えて、奈良を見物し大坂に至り芝居見物などした後、湊川、兵庫、須磨を訪れ遊覧して大坂に帰る。(以上第一冊)その後、大坂から熊野に向かい、紀三井寺に参詣、大坂に帰って、京都に行き、鈴鹿を越えて伊勢に帰る。この作者の紀行文は、いずれも近世紀行の代表的名作といってよく、この作品も細かい描写と豊富な内容で、よくととのっている。また、しばしば芝居見物をしているのが目にとまる。

月のめぐみ作者不明

大阪市立大学森文庫蔵。写本一冊。九行書。十五丁。外題「月のめぐみ」。内題なし。友人たち数人と、京都から近江に月見に行く紀行である。比較的短く、またさほど珍しい内容もないが、友人たちと酒をくみかわしたりしながら、湖のあたりを逍遙し、美景を楽しむ、風雅な小品と言えよう。

月のやどり東走

豊橋市立図書館蔵。写本一冊。九行書。二十一丁。外題は「月のやどり いつくしま日記 東走」。内題「いつきしま紀行」。五升庵瓦全の序文あり。享和二年、京都から大坂に行って船に乗り厳島に参詣する。更に広島を見物、福山、藤戸などを訪れ、四国に渡って弥谷に行く。その後、播磨に上陸し、帰宅する。長途の割には短編で記述もあっさりしているが、旅の様子はよく描かれ、描写も丁寧である。広島の城下が繁栄していたこともうかがわれる。

爪じるし二畳庵蘭芝

帝国文庫「続紀行文集」所収。天明七年、伊予から畿内、大和、山城を経て、摂津、紀伊を巡る。発句を交えた、短い作品。筆致は明るく、風景描写や旅のさまに、生き生きとした観察がある。

鶴芝道彦

国会図書館蔵。板本七冊(二冊に合冊)「道彦七部集」第一冊所収。22.7×15.5cm。茶色表紙。外題はともに「道彦七部集 一-三(四-七)」である。中(原)表紙(紺色)題と各冊の内容を以下に述べる。第一冊・「霍芝 みち彦七部帖一」。東海道などの紀行や句文を集めたもの。紀行文としてまとまったものではないが、やや面白い記述もある。享和元年。十九丁。第二冊・「むまの上 二」。享和二年の鴻巣、浦和などの江戸近郊旅行。(ア行・「馬の上」を参照せよ)短いが軽妙な味。さし絵もよい。十一丁。第三冊・「渋四手 三」。句作のことなどの論で紀行ではない。第四冊・「そろごと 四」。武蔵野、草薙、亀窪、入間、くらぶ山、桂木山などをめぐる。句をまじえ、短いが旅先の宿の描写等もあり、風景描写もある。寛政六年、巣兆校訂。七丁。第五冊・「鳶の眼 五」。第六冊「置洗濯 六」。いずれも句集。第七冊「略くろねぎ」。友人長翠の熊谷村にある庵の周辺の景色などを記している。近郊紀行と共通するところがある。後に句が付く。内題に「くろねぎ ふみの庵記」。十五丁。

徒然日記屈竜

東北大学図書館狩野文庫蔵。写本一冊。嘉永二年の春、花見がてらに江戸を発って、取手や水戸をめぐり、湯本に入浴し、鹿島に参詣し、仙台まで至る。ところどころに丁寧な挿絵があり、本文にすべて振りがながあって板行を意図したものかもしれない。花や風景の描写もあり、それぞれの町の説明も詳しい。明るい娯楽的雰囲気の漂う紀行文。

丁固松我答

架蔵本による。板本一冊。22.6×15.8cm。十行書。三十五丁。茶色表紙。外題「紀行 丁固松」。内題なし。文化三年、京都から若狭、小浜、敦賀に至り、山中温泉、越後高田、鶴岡、山形立石寺、酒田、南部、松島、仙台、那須野、日光など巡って江戸に達し、東海道を進んで伊勢に詣で大津を通って帰宅する。江戸から先は句が中心で記述は簡単である。行程から言って、芭蕉を意識しているであろうが、特にそういった記述は目立たず、むしろ落ち着いた丁寧な筆致は、国学者たちの和文紀行とさえ通ずるものがある。俳人たちの紀行にも、こういった散文的な傾向が出てきているというべきかもしれない。

丁丑紀行大高子葉

「大高源吾紀行」を見よ。

丁未旅行記池田綱政

帝国文庫「続々紀行文集」所収。寛文七年、江戸を出て東海道を経由して京都に入り、船で備前に帰国する。近世に数多い大名紀行の一つであるが、歯切れのよい冷静な記述や知的な好奇心、行動的な旅人の姿勢は、恵まれた環境によるものではあれ、近世紀行の新しい性格をよく示す、早い時期のものとして注目される。海路をとっているために、中国地方の部分がないのが惜しいが、名作の一つである。

轍環録広瀬蒙斎

国会図書館蔵。「酔霞楼叢書」第一所収。書誌については「陟 録」を見よ。十行書罫紙使用。十六丁。朱あり。漢文紀行。文政七年、名古屋から甲州方面を旅行する漢文紀行。記事は細かく具体的で、個人的なことも交えて詳しい。風景描写も多い。

天樹公紀行佐竹義和

宮内庁書陵部蔵。写本一冊。「片玉集」六五所収。23.1×16.5cm。外題ははがれて見えず。右肩に打ち付け書で「別荘三十景詩歌序 天樹公紀行 奉納大崎神社願書・・・」などとあり。内題なし。十一行書。六丁。冒頭「去年より国にやすらひぬる折から(略)いでや八龍瀬の辺に狩せんと思立て、けふきさらぎの五日、巳の刻ばかりに久保田を立出て」鷹狩りに行く。しかし、風や雪が強くてなかなか狩りができない。七日には雷にあう。そのあと、五月雨沼の片目の神竜や魚のことなど記される。十三日に帰城。末尾に「北の方への消息」一丁が付いている。

東行晴雨隆範

宮内庁書陵部蔵。写本一冊。27.6×19.2cm。茶色表紙。九行書。四十四丁。外題「東行晴雨」。中表紙に「文化九壬申歳 東行晴雨 隆範」。内題なし。末尾に「隆範しるす」とあり、自筆か。文化九年二月十三日、春日野から笠置、関、伊勢、亀山、宮、鳴海を経て東海道を進み、鎌倉から江戸、やや滞在ののち、中仙道から美濃路を通って京都に入る。末尾に文化十年の清雅僧都からの文と等覚(「師」といっている)の文の写しが二丁付く。和歌をまじえた和文で、路次の風物への観察は細かく鋭く、風景描写などもあって美しい。花のことなどもよく記している。名作の一つといっていい。

東海濟勝記三浦迂齋

「随筆百花苑」第十三巻所収。金井寅之助氏の周到な解説がある。宝暦十二年四月から八月まで東海、奥羽、北陸をめぐった旅の紀行文。和歌をまじえて読みやすい和文だが、内容は豊富で大変面白い。作者は播州高砂の大庄屋で本草学に造詣が深かったと言う。その科学的姿勢は文中にもよく示される。友人たちとの交流が多く描かれることも含めて、達意の和文は、本居宣長・太平らが完成する国学者たちの紀行文と明らかに同傾向のものであり、また、この本草学者としての姿勢は益軒・南谿をつなぐものとして存在する。近世の紀行文学史上における国学と博物学の接点をさぐる上で、この作品はきわめて貴重な存在である。私事で恐縮だが、かつて大阪府立図書館で、この本を見た時、大変面白かったので思い切って全冊写真を注文した。そして、いつか翻刻しようと思っていて、気がついたら「百花苑」に入っていた。しまったと思った一方、名作は誰が見ても名作なのだなと奇妙に安心させられた。

東光日録堀杏庵

「東行日録」に同じか。「杏庵紀行」を見よ。

東西遊記橘南谿

平凡社「東洋文庫」等に所収。京都の医師だった作者が天明年間に医術修業のため各地を巡った時の見聞を、項目別にまとめて寛政七~十年にかけて板行したもの。近世、近代を通じて根強い人気を博した。(庄野潤三「絵合せ」や泉鏡花「夜叉ケ池」にも、うなぎが山芋になる話、ぼた餅と名乗る化け物の話などが引用、利用されている。)読み物としての面白さを充分に意識した、適度にめりはりのある歯切れよい文体と豊富な情報は、近世前期の益軒の紀行と並んで、近世後期の代表作たるに恥じない。しかし、それだけに近世の紀行文が、芭蕉の作品などを基準として、文学性に乏しく衰退期にある等の批判をうける時、代表としてよく引き合いに出されることともなった。今日では既に、この作品はある程度評価されるようになってはいるが、他の作品に与えた影響の大きさ等はなお今後、検討されなければなるまい。

山記勝千村仲泰

無窮会図書館神習文庫蔵。板本一冊。22.7×14.5cm。青色表紙。外・内題「 山記勝」。刊記なし。八行書。十七丁。家の近くの常に遊ぶ山、「 山」に登った時の漢文紀行。友人たちのものも含めて漢詩なども記す。内容にそれほど珍しいものはないが、風景描写は多く存する。

東山道日記山鹿素行

「山鹿素行集」第七・全集巻一所収。承応三年の木曽路行。寝覚の床から、上松・福島を経て、軽井沢・坂本・松枝で終わる。以後は欠。地名ごとに項目を立て、片仮名と漢字で「望月 入口ニ越後ヘ行道アリ。左也。シミズノクワン音、布岩アリ」などと、簡略に事実を記す。記述に無駄がなく、記事には興味あるものもある。木曽路の資料として貴重であろう。

道中誌林子平

「林子平全集」二所収。「安永道中誌」を見よ。

道中便草保教

岩瀬文庫蔵。写本二冊。安永九年の序文がある。名所図会風に項目をたてて、江戸から久能山、秋葉山、伊勢、大和、紀伊、大坂、讃岐、播磨、京都、木曽路をめぐって、名所や神社仏閣について説明を加える。距離や茶屋の位置など、実用を主とするため、やや記述が簡単なところもあるが、資料として貴重である。体裁や字体はよく整っており、読みやすい。名所図会類との関係についても、検討の必要があろう。

東都春作者不明

静嘉堂文庫蔵。写本一冊。文政年間の将軍の加階の儀式について記録したもので、紀行文ではない。

東遊紀行作者不明

慶応大学図書館蔵。写本一冊。18.6×12.8cm。茶色表紙。中(原)表紙は青色で、右端に「鎮西男子徳隆(花押)」と書き入れ。外題なし。中表紙題「客枕光陰記」。内題「東遊紀行 慶応紀元乙丑梅雨之月尽日発府 東游紀行改作客枕光陰記」。九行罫紙使用。全四十八丁のうち、冒頭十五丁「東游紀行」。ついで明治五年「出京紀」(二十九丁)。元治元年「登嶽行記」(三丁)。漢文紀行で、内容は、蒸気船で品川から横浜、浦賀、明石、四国、小倉などをめぐるもので、夷船と対戦もしている。背景などの検討をすれば、面白い資料であろう。ほとんどが船上の生活であるのも珍しい。

東遊紀行作者不明

東京大学図書館蔵。写本一冊。24.3×17.1cm。共表紙。外題「東遊紀行」。内題なし。八行書。十八丁。「渡部文庫」「阿波国文庫」朱印。「ことし水無月廿日あまり東路に遊んことをおもひ立て円位法師のむかしをしのび伴ふ人とてもなく杖と笠とをのみものし侍る」とはじまり、京から東海道を経て、伊豆から鹿島へ向かい、松島まで行って帰途、江戸を通過して木曽路から帰郷する。江戸の記事がほとんどない。和歌を交えて、簡略な記述だが、珍しいところにも行っていて、結構面白い内容もある。「国書総目録」では、慶応大学の同名の書などとともに、内容不明の同項目になっている。

東遊紀行下村通明

高知県立図書館蔵。写本二冊(国書総目録では一冊とある)。高知を出発して川ノ江、鳥越を経て海路を岡山に渡り、播磨に達して須磨、明石を見物、湊川から西宮、大坂に行き、京都から東海道を通って江戸に着き遊覧する。(以上第一冊)その後、江戸を出て、再び東海道を通り四日市から白子を経て伊勢に参詣、奈良、吉野、高野に行き、堺から大坂、京を見物して帰る、漢詩文集。本文の記述もかなり詳しいが、全体に作者自身かと思われる、細かい和文の注が書き入れられていて注目される。

東遊雑記古河古松軒

平凡社「東洋文庫」その他に所収。天明四年、岡山の郷土史家古松軒が奥羽巡見使の一行に加わって、松前まで赴いた時のもの。近世の紀行文の中ではこれまで比較的よくとりあげられ、注目されてきた作品である。藩の内情にふれることが多かったためか板行はされなかったかわりに、写本のかたちで多数が残る。その中で東京大学図書館蔵の一本は、他とちがって、より原形に近いかたちをとどめている。諸本と、その近世紀行文学史上の位置等については、拙稿「古松軒の林子平批判」(近世文芸31号)・「東京大学南葵文庫本『東遊雑記』の性格」(熊本商大論集48号)を参照されたい。

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