近世紀行文紹介紀行「妙海道の記」メモ(1)

◇老婆心から言っておくと、これ、「妙海」という人の「道の記」つまり旅行記でして、「東海道」「東山道」みたいに「妙海道」てのがあるわけじゃないよ。…というと、もうそれでまちがって「妙海道」というのがあると思いこんでしまう人がきっといるのだろうなあ。長年の教師活動の体験から言って、こうじゃないよ、と注意すると、もうその言葉を耳にしただけで、こうだと思いこんでしまう人間ってわりと多いんですよ、いやほんと。でもまあいいや、そんなのにまで、かまっていられん。

◇これは国会図書館にある全部で10冊の写本です。あとで何冊かずつ合綴(まとめてとじる)してるんで、もとの形ではもっと冊数が多いです。つまり、相当の長編なのですよ。わりと長い作品が多い江戸紀行の中でも多分一番長い部類に属します。

◇ぶっちゃけ裏話をばらしますと、私は江戸紀行を研究しはじめたごく初めの頃、大学院生だったと思いますが国会図書館でこの本を見つけて、こんなに長編だし面白いだろうと思って(だいたい江戸紀行の長編の作品にはずれはないと感じていましたので)思い切って少なからぬ金をはたいて、全冊を撮影紙焼きしてもらいました。
で、家に帰ってゆっくり中身を読んだらばあなた、これがもう、面白くないの何のって(笑)。

不思議なのよね、もう幕末ですしね。安政から慶応にかけての、主として青森と京都を往復している長途の旅だし、この時期には小津久足が近世紀行の最高のかたちをもう確立してる。それは写本でしか流布してないからたとえば妙海さんには、このような新しい紀行のかたちが共有されてないってこともあるかもしれないけど、彼(ぎょ! まさか彼女じゃないだろなあ)の周辺にだって、もうそういう新しい紀行はいくらでもあったはずで、影響うけずにいることが逆に難しいと思うんだよね。なのになぜかもう、地名と歌と、あたりまえのことと平凡な感想とが、だらだらだらだら続くだけ。
何これー!と私は頭を抱えたし、研究生活の最初で大金投じたこの作業がこういうことになったのは、ある意味トラウマになりかねなかった。いやまあ昔も今も私は、そういう失敗があるとますますやる気になるってことでは人後に落ちない性格なんで、まあほとんどやる気に影響はなかったんですが、それにしてもね、印象的な事件でした。

◇しょーがないから、紙焼き写真を製本したぶあつい資料はしまいこみ、以後何回か「こんな世にも面白くない紀行がある」と酒の肴にしたり、一度はちらっと学会発表の資料に使って、今井源衛先生が「たしかに、これは何だろうねえ」と首をひねっておられたぐらい、やっぱり面白くなかったんですよ。まあ、そういう風に使ってました。

次におおっと思ったのは10年以上も前ですか、いろんな図書館が資料をマイクロフィルム化して何十万円ちゅうばか高いお値段で売り出し始めて、多分予算消化に困ってた各図書館とかが買ってたんだと思うんですが、そういった資料のひとつに、「妙海道の記」が売り出されていたんですよ。
「なななな何? 何で? なぜ、よりによってあれ? 国会図書館には面白い紀行が他に山ほどあるのに!」と私が目をむいたのは、紀行研究者のはしくれとして、こんな凡作が世に出回ったら、近世紀行のイメージが地に落ちると心配したのと、それこそこんなもん高い値段で売りつけていいのかという、よそごとながらの良心の呵責みたいなものがあったからです。

それに「何でわざわざこれ?」と思ったあと、ひょっとしたらと思い当ったのは、国会図書館ってこっちが注文して大金払って撮影しても、マイクロフィルムはもらえないんだよね。図書館に引き渡さなくちゃならない。まあそういう所は多いんですが。って、ほとんどがそうですが。
だから、私が注文した分のマイクロフィルムがあるわけなんですよ。国会図書館には。だから、新しく撮影とかしないでも、それをそのまま売っちゃえばいいんですよ、多分。
しかも、この紀行がいかにくだらんかってことを私はどこにも書いてないし、大部だし、きっとそこそこ名作じゃない?と図書館の人が思ったとしても不思議はないわけで。
そうなると私はこれまた「あちゃー、あれがつまらんということを言わなかった私の責任でもあるなー。でも今から言ってもどうなんかなー。営業妨害になるかもしれんし、紀行の普及の邪魔になるかもしれないし、それはそれでちょっとなあ」などと、いろいろうじうじしてる内に結局そのまま、また時はどんどん流れたのですよ。
うーん、こんな調子で書いてたら、いつ終わるのかわからんなあ。ひとつにまとめるのって、無理そうだから、今回は連載にするか。

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カツジ猫