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ジンジャーが咲く

ずっと咲く気配もなかった中庭のジンジャーが、昨日突然いっせいに、三本の大きな茎から真っ白の花が咲いた。まるでお祝いかなんかのようで、とても嬉しかった。さっそく切って部屋に飾る。ユリのような優雅さはなく、野の花らしく荒っぽいが、清々しい香りはユリよりずっと強くて、家中にあふれる。ただ今年は香りが弱いような気もする。私が風邪気味のせいかしらん。どちらにしても、心がときめく。

ヴィヴァントというドラマが話題になっていて、中国を名指ししたかなり過激な戦闘ドラマらしい(大ざっぱですみません)。現実の隣国を敵として悪として描くその内容と表現に非難や批判も多い。

私はこのドラマを見ていないが、非難のコメントを見ていると、たしかに危険な要素を持つ作品だとは思う。ただ私は自分の思想信条とは別に、というよりド反対の作品でもそれはそれとして、好みになる要素があればはまるので、見たら気に入った可能性もあるが。

そもそも、「風とともに去りぬ」は、けっこう露骨に人種差別だし(今とはいろいろちがうかもしれんが、ヒロインの夫や恋人なんか皆立派な人だけど、クー・クラックス・クランって、極右テロリスト団体のメンバーじゃなかったっけ)、「三銃士」だって、負けずに露骨に貴族の立場からの庶民差別だし(理想的人物として描かれるアトスの発言に典型的)、だけど私はどっちも大好きな作品だし。

そして「三銃士」なんか何度も映画化されてるけど、最近じゃ特に、主人公たちは王に反抗して民衆のために戦うように描かれるし、原作者がそれ知ったら憤死するだろう(案外しないかもだが)けど、私はあんまり気にならないし。

ついでに言うと、「ちびくろサンボ」のお話も子どものころから大好きで、人種差別と批判されて、変な改作の絵本がいくつか出てるのは大嫌いだし。(そもそも人種差別との批判はあたらないという分析や解釈もある。)今ではまったく発禁状態なのも、むちゃくちゃ不満だし。

かと言って、最近の大河ドラマの主人公たちがそろいもそろって、変に平和主義者で、支配者から庶民まで、平和を願って見せるのは、気持ち悪くて大嫌いだし。特に戦国時代の権力者たちが、そんなわけないでしょうが。

だからもう、そんな偏向ドラマだからって、やかましく言わんでいいやんという気もちょっとあった。

でも、考えてみたら、多分冷戦まっただなかの時代で、テレビよりも客層が限られた映画でも、「007」の映画化では、原作ではこれ以上ないぐらいはっきりと、ソ連とKGBを悪者にしていたのを、スペクターとか何とかいう国際犯罪組織に変えちゃうという配慮をしてたぐらいだし、なんぼ凋落したとは言え、普通に不特定多数が見るお茶の間のテレビで、そういう配慮まったくなしの他国攻撃のドラマを作るとは、たしかに相当不用心というか、非常識だという気がしないでもない。国際基準や放送基準の歴史に照らしても。

そう思って見ると、こんな大がかりなドラマで、そういう点を無警戒に作ってしまうのは、たしかにテレビ局もマスメディアも、どこか底が抜けたというか一線を越えちゃったかなとも思う。何より先日チラ見したワイドショーでの「フランスと日本はデモや民主主義の感覚が違う」と専門家という人が、しらっと公言し、連日日本で起こってる数千人規模のデモについてはまったく報道しないままで、日本にデモは似合わない根付かないみたいな、嘘八百を広めるのを見ていると、どうやらそれだけのドラマを作った以上、もう変な方向からの後戻りはできなくなってるんじゃないかと、いやな実感も生まれて来た。

高市首相は福田赳夫もと首相の名前を読み間違えるし、それも相当すごいけど、それ以上に心配なのが、昔麻生首相とかが、アホな読み間違いをした時にはそのままだった官邸や政府の報道が「読み間違えてない」と映像込みで擁護にこれつとめてることで、教養がない知識がない礼儀を知らないとかはまだしょうがないとして、それを見え見えの口実で糊塗してなかったことにしようとするのが、本当に危険だと思う。

危険と言うならこれも前から言ってるけど、小泉進次郎氏を防衛相にしとくのも、本当にガス台のそばに灯油を置いてるどころじゃないほど危なっかしくて毎日生きた心地がしない。この人ほんとに自分が何してるかわからないで、発言行動するからなあ。何とかに刃物というか、テロリストの覚悟もないまま爆薬身体に巻いて歩いてる人とか、そのくらいのヤバさだと肌で感じるんですが。

まあ、選挙でネタニヤフ首相やトランプ大統領の勢いがそがれそうなのは少しはほっとするけれど、どこまでこの全世界がそろって聖書の豚の群れみたく、破滅に向かって暴走するスピードは弱まるのかしら。

私が恐怖で狂わないでいられるのは、たとえば授業で学生たちに毎回書いてもらう小レポートだ。乱暴な言い方でまとめると、私たちの若い頃より、皆本当に頭が良く、感受性も豊かで多様で、苦労もしてるし、思考も柔軟で型にはまっていない。だからこそ、強引で一方的な私たちをはじめとした古い世代(特にこの時代がというのではなく、要するに目上の年長者、上司とか教師とか)にしたいようにされて、型にはまって行くのかもしれない。私もたいがい、もう世の中どうなっても知るかと思いがちだけど、こういう今の若者たちを少しでも知ってしまうと、戦争や災害や貧困で死なせるのはもったいないと、つくづく、ついつい、思ってしまう。

他に私が気晴らしにしているのは、ブログを読んでる人にはわかるだろうが、テレビその他で金をかけずに楽しんでいる、いろんなアホな情報だ。でも、先日、ホークスの千賀投手と甲斐選手のことを書いたついでに、二人のことを書いた記事が見つからないかと、自分の過去ログをあさっていたら、在職中にルーム(私のいた大学ではゼミをこう呼んでいた)の学生たちと、当時のホークスの選手たちをクラス分けするなら、誰が自分のクラスにほしいか(うちは一応教育大で学生の多くが教員志望)と雑談してる記事があって、笑いもしたが、研究教育学内事務で超多忙な時期にも私はこんなバカなことしてたのかと、いささかがっくりもした。

とは言え、やっぱり今読むと、なつかしい選手の名前も出て来て面白いので、一応リンクしておきます。

やりたい放題

明るくなる家

ちょうちょがひらひら

そう言えば昨日だっけ、ホークスの周東・栗原両選手がシリーズ制覇後の多分ほろ酔い(と思いたい)インタビューで、オフに二人でどこかに行くならどこがいいかとジョークで聞かれて、「旅館で部屋付きの風呂に二人で入っていっしょに夜空を見たい」とか、危なすぎる解答をして、コメント欄も司会者も、多分恐すぎて、みだらな突っ込みをしていないという話を書いたのですが、多分その前後の別のインタビューで司会者がまた、「何か日本シリーズの間のお二人の仲のよさのディープな話はないですか」と、ヤバい質問をしていました。

そうしたら素直で警戒心皆無(としか思えない)の栗原選手が、考えた後で、「何もないです、試合の前に二人でいっしょに寝るぐらいです」とまたとんでもない解答をして、シングルベッドで同じふとんで枕のとりあいをしただの、時々相手のいびきで眠れないだの、周東選手が腕を貸してくれただの(腕枕と言いかけただろ)と、ぺらぺら言ってのけて、だから私が昨日も書いたように旅館の風呂云々はウケ狙いでも何でもなく、日常の延長から自然に素直に出てきた空想だなと、あらためて確認しました(笑)。
 周東選手はもうフォローも補正もあきらめたのか、ずっと隣りで笑っていて(こういう時にこの人は、変につつましい奥さま風に見えるのが不思議。近藤選手が相手の会食の時もそうでしたが)、司会者が「否定してもいいんですよ」と救いの手を伸べても、栗原選手と顔を見合わせて「そうだね」「そうそう」みたいにあいづち打ってるし、まあ、そこで相手を一人残すようなこともできないでしょうが。

昨日の話以上に刺激的ですが、同じようにかそれ以上かファンもメディアもびびったようで、「シングルベッドで180と178センチの二人がどうしていっしょに寝られるんだ」「ハグし合ってたのか」「重なってたに決まってるだろ」ぐらいしか、よこしまな突っ込みは本当に皆無で、やっぱり攻撃は最大の防御というか、これはこれですごい。

しかしまったく、超超超いらん世話だが、周東選手はそろそろ栗原選手に発言に気をつけるよう注意しておいた方が(もうしてるかもしれないが)何かと安全だと思うぞ。多分あんまり効果はないだろうけど、何もしないでいるよりは少しは役に立つかもしれない。

他の選手たちのやりとりにも、いろいろ面白いのがあって、その内に紹介しますが、このような雰囲気は多分ホークスの大きな武器の一つだろう。私は松井監督、工藤監督、噂では稲葉さんなど、選手の人権を認め、近代的な発想を基本とした新しい感覚の人たちが増えるのは大歓迎だし、期待もするが、この雰囲気や、それを築くものを作り上げるのは、そう簡単ではないだろうとも痛感する。孫オーナーや王会長の姿勢が高く評価されるが、私がしばしば「親の顔じゃなく、教師の顔じゃなく、子の顔や生徒の顔が見たい」と毒づくように、親や教師は子どもや教え子によって、育てられるものでもある。王さんや孫さんが、すぐれた指導者や支援者であり続けるのは、あのような選手たちと触れ合い、見つめていられるからこそ、生まれるものでもあると思う。

日本シリーズの連勝もあって、セ・リーグを中心とした人々の中に、チームや選手をもっとどうにかしなければという声が真剣に上がりつつある。一方でホークスの金力その他を理由にして、そんな改革の必要はないと言い続けるファンもまた多い。私はもちろん、前者の声を尊重し期待するが、新しい監督の過去や人気ばかり持ち上げて、すぐに成果が出なければ、まためちゃくちゃにたたいて攻撃失望するに決まってるメディアやファンのことを思うと、今から何だか憂鬱だ。

さっきの話で言うと、チームや監督や選手を育てるのもファンだ。私は球場に足を運んだことは数えるしかないが、ある試合で隣に座ったグループの、頼もしげなお姉さんが、私に途中の休憩の時に、飛ばす風船をわけてくれた。その後の攻撃で、近くのおじさんが、選手のプレーに対して、怒りのヤジを飛ばした。するとお姉さんは、前をむいたまま、大きな声で「そーゆーの、やめよーやー」と大喝した。

いつもそうではないだろうし、ヤジのすべてが悪いとも思わない。あんまりけなげで一喜一憂し、涙や祈りばかりのスタンドでも、選手は逆に緊張するだろう(笑)。でも、球場でもコメント欄でも、自他のチームの選手に対して、愛情や礼儀を守ろうとする余裕を失わず、笑って楽しむ精神は、やはりファンとしての責任だと思う。国や教室や家やチームをどのようにするかは、上に立つものだけの仕事ではない。

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カツジ猫