お買い物と文学10-兵士が買う本

大西巨人「神聖喜劇」は、第二次大戦中の対馬を舞台に軍隊内部のさまざまなドラマを描く、質量ともに大変なスケールの長編小説だ。(ぶあつい文庫本で六冊ある。)
おまけに主人公の青年東堂太郎が超人的な記憶力を持つ読書家なので、引用される古今東西の書籍の原文と、それに関する彼の考察の量と言ったらはんぱなく、一方で兵営内のまったくそういった教養とは関係ない、滑稽で不条理な日常も細かく描写されるから、下手すると、文庫本一冊の半分過ぎても、作中に流れる時間はまだ三十分も経過しない。

それにしても、人を殺し殺させるという、どこからどう見ても異常で狂気で非道徳的なことを、秩序を保ち節度を守って遂行しなければならない、戦争と軍隊とは根本的にものすごい矛盾をはらみ、無理をする世界だから、七十年代に書かれた、これも戦争文学の傑作、ジョーゼフ・ヘラーの「キャッチ22」もそうだが、この小説にもどこか「不思議の国のアリス」にも似た、悪夢のような滑稽さがただよう。

東堂太郎は、まさに、その決定的な矛盾を衝いて、独自の戦いをくり広げる。人殺しという野蛮きわまる目的を持つ軍隊が、決して地獄でも無法地帯でもなく、むしろ徹底的に規則と法に基づいて緻密な秩序のもとに運営されるのを逆手にとって、圧倒的な記憶力を駆使してあらゆる法令や規則を暗記し、それをたてにとって上官たちの理不尽さと対決しようとする。もちろん、最終的には、すべての責任を免除され、どんな罪にも問われない、神に等しい天皇という存在が、この体制の頂点にある以上、底抜けか天井ぬけの法体制にすぎないことは、彼自身がよく知っており、最終的な勝利はあり得ないこともわかっている。

東堂は理性や知性とともに、強靭な精神力を持ち、外見の優しさにもかかわらず、戦闘能力にもすぐれている。彼のこの非現実的なほどのスーパーヒーローぶりが気にならないのも、彼をとりまくさまざまな人々の豊かな個性が、決して型通りの悪役や善人ではない、複雑な要素をはらみつつ、単純でわかりやすい型にもはめて、巧みに描き出されるからだろう。「中国人を焼き殺した」と公言してはばからない農民出身の大前田軍曹も、学歴や肩書を気にして似非教養人ぶりを発揮する、俗物きわまる神山上等兵も、皆それぞれ、はじけるほどの魅力にあふれている。

そこに描き出されるのは戦時の話というだけでなく、平和な時代の日常の社会とも重なってくる世界である。私は、この小説の古い本を九州大学の地下書庫の棚で見かけて、横目で見ながら何となく気になり、その後文庫本で出版されたのを購入して、一気にはまった。私だけではない、母も夢中になった。二人は前後してこの小説に読みふけり、中身を話し合い、時には声に出して読んでは笑いあった。大人になってからめぐりあった本の中では、母と共有した唯一の本であり、最も私の血肉に溶けこんだ本と言っていい。今も開いてページをめくると、登場人物たちに混じって、どこかに母がいるような気配を感じる。

この小説に戦闘場面はない。すべてが閉ざされた兵営の中、軍隊と言う組織が生み出す、まさに「神聖喜劇」である。日夜続く訓練の中で、ある日の引率外出中に、三十分あまりの自由行動が許されて、兵士たちは対馬の村落を散策する。それも終わった後の小休止のとき、東堂は、道のかたわらの文具や雑誌も売る雑貨屋の中に、雑誌「中央公論」があるのを見つける。

私は、表戸に近寄り、ガラス越しに店内を眺めた。出入り口の内側(私から向かって)左手に台があり、その上に婦人雑誌、娯楽雑誌、少年少女雑誌の類が幾冊ずつか載っている。その中に一冊だけ『中央公論』二月号すなわち最近号があるのを、私は、認めた。この望外の事実に、私は、愉快な昂奮を覚えた。
表ガラス戸より二、三歩後退した私は、上衣の第二ボタンをはずし、襦袢左胸部の物入れから貴重品袋を引き出し、貴重品袋から金入れを取り出し、さらに金入れから一円五十銭(五十銭玉二つと十銭玉五つと)をつまみ出し、一円五十銭を左手に握って、金入れ、貴重品袋、および上衣の第二ボタンを元どおりに片づけた。
「おれは、ここで雑誌を一冊買うから、上官たちがもどって来やしないか、気をつけていてくれ。手間どりゃしないから。」と、私は、曾根田、生源寺たちにささやいた。
「この店の中に入るとか。」一瞬、曾根田は、心配そうな顔をした。「そりゃ、―いんにゃ、よし、見張っとく。教官やら班長班附やらは、あっち(南)のほうに行ったばかりじゃけん、まだしばらくはこっちに来んじゃろう。何かあったら、合図をするよ。」
「買いたいような雑誌があるのか。」と生源寺が問うた。
「うん。『中央公論』の二月号が、一冊だけあるようだから」
「へぇ? こんな所の本屋にねぇ。―まぁ、たいてい大丈夫だろうが、とにかく急いで買うがいいな。」
素早く私は、表戸を開けて店内に入った。少し奥のほうで、一人の中年婦人が、商品棚の整理か何かをしている。それが店主(の妻)であろうか。彼女は、表戸の開く音で振り返り、すぐに私のほうへ出て来る。私は、目当ての雑誌を手に取り、表紙正面の「新人小説二篇」ならびに「特輯/大東亜戦争の前進段階」という刷り込みを一見し、目次を検することなく、ひっくり返して、表紙背面に値段を求める。「○停特価九拾銭」。私は、心が落ち着かず、気が急く。
「これを下さい。はい、お金。九十銭。このままで―包まなくて―いいです。」と私は、値段の活字印刷を示しつつ断わって、五十銭玉一つと十銭玉四つとを差し出した。店の婦人は、値段を確認してから、九十銭を受けとって、「ありがとうございます。包み紙を上げましょうか。」と言った。私は、謝絶し、上衣の第二および第三ボタンをはずし、まず残りの六十銭(五十銭玉一つと十銭玉一つと)を襦袢の物入れにじかに入れ、次いで『中央公論』を上着と襦袢との間に押し込み、その上で二つのボタンを掛けた。私は、あわただしくそんなことをしながら、店外にもしばしば目を配った。曾根田たちは、まだ別に危険信号を出さなかった。
「この雑誌は、毎月来るのですか。」と私は、店の婦人にたずねた。
「はぁい。いえ、それとは限らんとですが、そんなむつかしい雑誌が、毎月一冊は、ほかのに混ざって来るとです。『改造』とか『新潮』とかちゅう。それでも、買う人は、めったにありません。」
雑誌台の向こうの本棚に書籍もいくらか立てられていたけれども、私は、ろくに見なかった。たいした書物は、ないようであった。
「そうですか。―では、さようなら。」
「はい。大きに。」
私は、表に出た。
曾根田が、「あぁ、済んだか。上官たちは、まだじゃばってん、やっぱりはらはらしたぜ。」とほっとしたように言った。私は、「心配させて、悪かったな。」と感謝した。

東堂は上官や軍隊にすきを見せたり弱みをつかまれたりしないよう、常に緊張し慎重である。それ以上に彼は、自分の欲望や望みに対して、ましてや人に借りを作ることについては、非常にストイックな人間でもある。その彼がまったく迷うこともなく、衝動的に危険を冒し、友人たちも巻きこんで、本を買おうとする行為は、書籍や知識というものに対しては、まったく違う基準で彼が生きていることを示すだろう。
それは、他のことでは何一つぜいたくをさせなかったのに、本だけは惜しみなく買い与えた私の母、今も書籍や資料に費やする金についてはまったくしまりがなく、罪悪感も感じない自分自身と共通する感覚だ。かつてはそれは別に珍しいものでもなかった。
そして、今も書店に普通に並ぶ「中央公論」は、当時はこういう存在であったというのも、感慨深い。

東堂の仲間たちは出自も経歴もさまざまで、ここにいた生源寺は神主で知識人だが、他はそうではない。職人である室町から、この直後、「その『中央なんとか』ちゅう雑誌は、そげんまでして買わにゃならん品(しな)たいねぇ?」と無邪気に聞かれた東堂は、それが「心に錐のように食い込んだ」という。おそらく、普段の自分と異なる、耽溺や衝動、はなはだ限定された範囲での異常な「お買い物心理」に、その時あらためて彼は気づいたのだろう。
なお、東堂のこの行為は、見ていた者がいて、後にとがめられる。しかし、知識人ぶりたがる神山上等兵が理解を示してくれたおかげで、それ以上問題にならない。そして、何かと言えば自分の発言や態度について、厳しく細かくチェックを入れる東堂なのに、このてんまつの最初から最後まで、自分と仲間の危険を顧みず行動したことについて、先の一瞬の動揺以外には、一度も少しも反省らしいことを述べていない。

で、これが、東堂たちと同じ戦争に、私の叔父が学徒兵として出征するときに、姉である母に頼まれて、書き残していった三枚の色紙。
天皇の詔勅が出て、敗戦が決まった日の夜、祖父母と母は二階の座敷で寝ながら、「これで私たちもおしまいで、皆死ぬのだろう。元ちゃん(叔父)だけは、大陸伝いにどこかに逃げて、板坂家の血筋を伝えるかもしれないね」と、話し合っていたという。

親戚には子どもたちが皆戦死した家もあったが、叔父は無事に帰って来たし、わが家もその後何事もなく全員が、平和な戦後を長く生きた。叔父はその後、国文学者としてアメリカの大学に勤め、三人の子どもは皆、米国籍を得た。叔父の墓も米国の墓地にある。
だが、その米国と戦って死ぬことを覚悟しなければならなかった叔父のような青年の一人一人を思うとき、私は女の一人として、男を戦争に行かせることを黙認するのは、最大の差別に手を貸すことになると、あらためて確信する。そう思うと、この色紙を書かせた母の残酷さも何となく許せない。

三枚の色紙は長いことむぞうさに、中学以来私が自分の部屋にしていた二階の暗い九畳のへやの、古い大きなたんすの中に入っていた。私はそれが何かわからないまま、よく、それを手にして、書かれた文字をながめていた。
アメリカの家族に送ろうかと思いつつ、つい額に入れて今の家の玄関に飾ってしまったのは、それが叔父というより、あの暗い部屋でともに青春を過ごした、どこかの青年のもののような気がしてしまったからかもしれない。「本の保管をよろしく」と色紙に書き残した叔父の文字は、危険を冒して「中央公論」を買った東堂太郎を、同じように本を愛し、そして帰って来なかった他の多くの若者たちを、いつも私に思い出させる。

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カツジ猫