お買い物と文学15-猫の入れ物

かなり以前に作家の坂東真砂子氏が育てられない子猫を殺して処分しているというエッセイを書いて、相当に非難された。
坂東氏が批判の強さをどこまで予測された上で書かれたことか知らないが、もしかしたら、それほどまでに攻撃されるとは思っておられなかったかもしれない。少なくとも私が子どものころには、増えすぎた子猫は川に投げこんだりして殺すのは普通で、私の母のように相当の猫好きな人でも、そうやって殺していた。私自身もそうしていた。
まだ避妊や去勢は一般的でなかったし、私自身の感覚では、保健所に持って行って自分の見えないところで、いわばきれいに殺してもらうぐらいなら、歯を食いしばってでも自分の手で殺すべきだという気がしていた。それは今でもそう思っている。
ちなみに、自分で殺すのはいやだから、人にそんな仕事をさせられないと思うから、私は死刑に反対である。

社会の常識や感覚が変わるのはよくあることだし、坂東氏の発言が強いバッシングを招いたように、子猫を殺すことなどとんでもないという意識が普通になったことを私は歓迎する。だが、坂東氏に対して浴びせられたことばの数々を見ていると、この基準で行くと多分私は猫好きとか動物好きとか呼ばれるにはふさわしくない人間だろうということも実感する。

一応言っておくと、「赤毛のアン」の続編の「アンの愛情」は、アンの大学時代を描くが、そこでいっしょに家を借りている大学の友人三名と彼女は、迷子の猫を飼えそうにないからと庭で殺処分しようとしている。それが失敗したので、結局その猫を飼ってかわいがるのだが、うまく行っていればアンと友人たちも坂東氏と同じことをしたことになる。また童話「小さな牛追い」「牛追いの冬」の中では、幼い子どもたちが、かわいがっていた子ブタをクリスマスのごちそうに殺して食べるのを特に悲しみもしない。猫について書いた昔の作家たちの短編小説など読んでも、案外冷たい描写が多い。そういうことを思うにつけても、坂東氏を異常とか非常識だとか片づけるのには、私はとても違和感がある。

今では私も猫たちを避妊去勢し、庭に金網の小屋を作ってその外には出さない。
この小屋を作ったきっかけは、かわいがっていた二匹の猫がエイズに感染しているとわかり、他の猫にうつしてはいけないと思って家で飼うことにしたからだ。それからもう三十年近くになる。二匹はもう亡くなり、今は老猫二匹と成猫一匹がこの小屋を利用している。

私がこの小屋を作ると決めたとき、叔母は「だって、あなたの猫だって、よその猫からうつされたんでしょ」と、だから出歩かせてうつしたっていいじゃないのと言わんばかりの、医者をしている人間にもあるまじきことを言った。私は笑って聞き流し、大工さんを呼んで工事にとりかかったが、大好きだった猫たちが、あまり長生きしそうにないと思って、気は重かった。
そうしたら、小屋が完成しかけた時に、誰かが子猫をそのすぐ外に捨てて行った。かわいいキジ猫三匹か四匹だった。

私はあんなに暗いみじめな怒りに燃えたことはない。飼えない猫を保健所に持っていくのさえ無責任に思えて、わが手で殺して来た私が一番軽蔑し憎悪するのは、こうやって、幸せそうな他人のところに、事情も状況も知りもしないで、押しつけて行く無責任な臆病者である。もしかしたら、こんなやつに限って「ひどい」と眉をひそめて坂東氏を批判したりするのかもしれないと思うと、なお許せない。

しかも、そのバカが「猫たちが幸せに暮らせそうな、大きな金網の小屋のお庭があるおうち」と思った私の家は、天国でも楽園でもなかった。エイズで死ぬしかない猫たちを閉じこめて、せめて安らかな最後の日々を送らせようとしている場所だ。うらやましがったり、おすそわけをしてもらったりする対象では全然ない、悲しみにやっと耐えているような場所だし、仮に私がその子猫たちを飼ってやりたくても飼いようがない場所なのに、そこに、「ここなら飼ってくれるだろうから、幸せになるんだよ」とおいて行く、独りよがりの思いこみ。何一つ知らないで、知ろうともしないで、人に自分の残酷さを丸投げして行く、その甘ったれた、とことんのバカさ加減に、私は全身で逆上した。

大工さんたちが、「かわいいのに」とあきれて見ている目の前で(もしかしたら、この大工さんたちも、「ここにおいておけば」ぐらい言ったのではないかと、ちらと思ったりしながら)、私は子猫たちを箱に入れ、車で遠くに捨てに行った。悲しみやくやしさで心がぐちゃぐちゃで、わけもわからず走り回っている内に、日が暮れて暗くなり、ひと気のない田んぼのあぜ道で箱から出すと、子猫たちは一散に走って草の間に消えた。

と思ったら、水音がした。田んぼのわきの用水路に一匹が落ちたらしい。ばしゃばしゃ水をかいて、もがく音が暗闇にひびき、私はそのまま動けなかった。
どのくらいたったかわからない。短い間だったかもしれない。足元にこわれた黒いこうもりがさが落ちていて、私はそれをつかんだ。それで引き上げようと思ったのかしれない。そして、用水路の方へ走って行ったとき、水音はやんだ。こわれたかさを手に持ったまま、私は暗いあぜ道で、いつまでも立っていた。

あれからもう三十年近くたつ。それでも私は、あの水音を、あの暗闇を、子猫たちをおいて行った、その人間に伝えたい。こんな立派な金網の小屋を猫のために作る家なら、きっとこの子猫も飼ってくれるだろうと、虫のいい脳天気なことを考えた女か男か子どもか大人か、いずれにしても、その人間に、あんたがそうやっておいて行った子猫は数時間後に真っ暗い田んぼの用水路で、もがいて溺れて苦しんで死にましたよと、胸ぐらつかんで耳の穴に鼓膜が破れるほど、どなりこんでやりたい。
自分はせいぜい親切なことをしたつもりで、その人は、その水音を、私に聞かせた。そのあぜ道に、私を行かせた。自分がする代わりに、そのことを私にすべてやらせた。そして自分は都合のいい空想で、痛みと苦しみを回避した。回避したことさえ気づくまいとした。絶対に、そのすべてを、その人に教えたい。絶対に、その人を私は許さない。

坂東氏を批判するのはいい。皆が彼女の行動に激怒し戦慄する世の中になったことを、くりかえすが私は喜ぶ。私のしたことを同じように思われても、やはりその点では感謝する。
しかし、それなら、保健所に持ちこんだり、ましてや飼ってくれそうな余裕がありそうな他人に押しつけたりする行動にも同じように激怒し戦慄するがいい。殺すしか選択がないのなら、わが手で殺せ。その選択から逃げるな。手を汚さず、口をぬぐって、善人づらして、とぼけて生きるな。

まあ、もちろん今だったら、動物愛護団体の「みなしご救援隊」に五万円払って終生飼育を頼むなど、もっとちゃんとした解決法がある。だが私は猫に限らず一事が万事、「あの人は私とちがって余裕がありそうだから、救ってくれるだろう」と無責任に思いこみ、自分のするべき選択や決断を他人に丸投げして心の平安を得るような人の根性は、どんなに社会やしくみが変化しても、よい世の中になったとしても、きっと変わらないだろうと思っている。

そういうわけで、私は自分がそれほどの猫好きとは思っていない。しかし回りはそう思っているようで、いろんな猫グッズをプレゼントしてくれる。ありがたいのだが、なまじ好きなものに関するグッズほど、これはと気に入るものはなかなかない。下さった人の気持ちがうれしいから、大切に使っているが、気のおけない友人だと、「こういうのが、かわいい猫っていうのよ」と、私の目から見たら気持ち悪い甘ったるい顔の猫のおもちゃなど持ってくるのに私もうんざりして、「もう猫のものはいらない」とか言ってしまう。
本も同様で、いろんな方からいただいたり、自分で買ったりするのだが、どうしても取っておきたいほどのものはなく、ある程度たまると適当に、猫好きの人に譲ってしまう。

そんな中で、どうしても手放せず、くりかえし何度でも読んでいる猫の小説が三つある。どれも全然有名ではない。多分そんなに名作でもない。だが、なぜか、私の心のつぼにはまって、書棚で目が合うたびに、読み返さずにはいられないのだ。
一冊は文庫本の「猫の事件簿」シリーズの中の「貴婦人のペルシャ猫」に収録されている「ただでは死なない」(シャーリン・マクラム)という短編だ。共同経営者に工事現場で殺された建築家の男性が、猫に生まれ変わって復讐のために犯人の家に住みついたら、何と相手は猫好きでかわいがられてしまうという話。例によって、気軽に猫好きの友人に返さないでいいよみたいな感じで貸してしまったら、次第に禁断症状にあえぎ、もう絶版になっているのに震えあがって、アマゾンで注文してとりよせた。笑える上に、世の中の飼い猫は実際このように飼い主に殺意を抱いているのではないかと実感できるのがすばらしい。

もう一冊は二見書房から出ている単行本「気ままな猫の14物語」(レスリー・オマーラ編)の中の、Q・パトリック「ふとった猫」(羽田詩津子訳)。アジアの戦場で日本軍と戦っている海兵隊が、攻撃のときに破壊された家で悠然と化粧していた太った猫を見つける。隊のマスコットにしようとするが、猫はなぜか最初から、何の変哲もない醜い兵士の一人にものすごくなつき、他の人間には目もくれない。もちろん兵士もうれしくて、猫と深い愛情で結ばれるという話で、数ページの超短編なのだが、切なさと幸福感がはんぱない。
私は好きな映画や小説の二次創作もそこそこ書くが、実際に文字にしなくても脳内で作った二次創作は幼いころから限りない。最近ではめったにもうしなくなったが、この短編に限っては、決して文字で書くことはないだろうが、この兵士と猫が無事に戦場を生きのびて故郷に帰り、どんな風に暮らすかという物語を何度もいくつも頭の中で書くたびに、幸せで心がとろけそうになる。

そして三番目がこの「飾り窓の猫」。迷子になった高級猫が保護センターで、汚れもつれた毛を刈ってもらい、変な姿になっているのを、アンティークショップを開いたばかりで、ネズミに困っていて、猫のことは何も知らない若い女性がひきとって飼う。仕事仲間としての二人の関係がさわやかで、猫のことをあまり知らない飼い主の女性のすることなすことも、危なっかしいが新鮮である。
彼女は店の経営者だから、売買の場面も多く、最後のハーレクインロマンスもどきのハッピーエンドも、商取引が関わっている。「お買い物要素」が高く、それが効果的に使われている作品と言えよう。
これは、その中で、彼女が買う側になっている場面。この時に手に入れた籠を、彼女はバイクに乗る時に猫を入れる籠に使い、それが実は価値ある昔の帽子籠だったので、著名なアンティーク店の息子である青年が買い取りたいと話しかけ、二人は親しくなるのである。

「あんたが在庫品全部を襲わないうちに、例のオークションへでかけたほうがよさそうだわ」ケイトは長い髪をヘルメットに押しこみながら、言った。「あんたも一緒に来なさい。あぶなくてどこへも置いとけやしないわ」スヌーピーはボール箱へ飛びこみ、おとなしく立ったまま、ケイトにスカーフでくるんでもらった。そのスカーフが必需品になっていた。これを身につけないことにはどこへも行く気がしなかった。でも、外出は怖くなかった。ケイトにくっついて月へだって行くだろう。オークションは古い田舎の納屋で開かれ、周辺から人々が品物を売りに集まってくる。ケイトは自分が専門とする時代のものを定期的に買いつけていたが、今回は興味のない大型家庭用品が多かった。本当に欲しいと思った品はひとつきり。第二次世界大戦前の子供のゲームばかり集めたコレクションだ―ロット―、ドミノ、蛇とはしご、家族合わせ、ルードウ、ティドリーウインク(すべてゲームの種類)―どれも使い古された品だが、作りのしっかりしたものばかりだった。このゲーム類はひとまとめにして、蓋つきの大きな楕円形の柳細工の籠に収められ、その籠の側面には閉じ開きのある模様が編みこまれていた。ケイトはこの競売に参加し、競り落とした。「あの籠もついてるんですか?」あとで彼女は競売人に尋ねた。
「そっくりあなたのものですよ」と競売人はうなずいた。「よかった」とケイトはスヌーピーに聞こえるように言った。「ボール箱がバラバラにならないうちに、この籠に取り換えましょう。いい考えでしょ? じつに名案だわ」その晩、ケイトはスヌーピーが心地よく籠を使えるように風を通さない工夫をし、丸くなるためのクッションを敷いた。スヌーピーはこの改良された籠を見て、悪くない仕上がりだと思った。試しになかへ入ってみると最高だった。

二見書房『おしゃべり猫のティータイム』より「飾り窓の猫」 ステラ・ホワイトロー 中井京子訳

で、これが私の愛猫キャラメルが、別に彼用ではなかったのだが、私のバッグに勝手に入っているところ。二歳でエイズと言われた彼は、結局金網の小屋の中で、いたって元気に八歳まで生きた。私がこの小説を好きな理由のひとつは、主人公の猫の「奥深く緑色の輝きを宿した淡い琥珀色の目は忘れがたい印象を残し、まるで、草地を流れる澄んだ川の水面に点々と陽の光が躍るようだった」という描写が、キャラメルとまったく同じだったからかもしれない。私はよく、本を片手にキャラメルの目をのぞきこみ、この部分を小声で読んで聞かせては笑った。

彼がまだ元気なころ、私は近くの海岸の砂浜で、何気なく砂を指にくぐらせていて、そのなめらかで細かい手ざわりが、キャラメルをなでた時と同じなのに気づいて、ああ、彼が死んでもこの砂浜で砂をすくえば、彼の毛皮を思い出せるとわずかに慰められた。同じように、もう二十年もたって、写真には写らない彼のひとみの微妙な色合いを記憶に呼び戻すのに、この文章は欠かせない貴重な資料になっている。

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カツジ猫