近世紀行文紹介温泉紀行の部

目次

前号までに、題名のみからは内容の推測できない近世の紀行類の書名をあげて、その内容を紹介してきた。まだ補充すべき作品も多いが、一応ア~ワ行までを終了したものとして、今回からは、題名等から内容のわかる作品を項目別に紹介して行く。最初は、温泉に入湯した、いわゆる入湯記類を紹介する。なお、今回は、前回までと違って、私が直接見ていないが目録等で書名などがわかるものも、「未見」と断った上であげる。この中には乾々斎文庫蔵本のように散逸して現存が確認できないものも含んでいる。

青根御湯治之記(伊達重村)

明和九年。未見。乾々斎文庫本。所在不明。

あたみ温泉紀行(作者不明)

宝暦三年。都立中央図書館加賀文庫蔵。写本一冊。外題「あたみ温泉記行」。内題なし。七月十五日に江戸品川を出発し東海道を経て鎌倉に着く。更に藤沢、伊勢原、沼目、曽我の中村、小田原など経て箱根へ行き、滞在の後、熱海に向かい、八月七日に帰着する。無駄のない記述で道中のさまを記している。感傷性は薄い。曽我の遺跡のことなどがある。温泉の描写よりは途中の見聞の記事が多い。

熱海温泉図彙(山東京山)

文政十三年。「日本図会大系」(角川書店)に翻刻あり。板本 一冊。名所図会風の構成で温泉の由来や効能、入浴法、旅館のことなどを記している。図も多く、描写は具体的で内容も豊富で面白く読める。名所図会の体裁ではあるが、冒頭などは一人称で紀行の記述である。これは奇談集や名所図会にしばしば見える形態で作者の意識や、作品の分類を考慮する際に留意するべきことである。

熱海紀行(堀親昌)

未見。正保四年。個人蔵。

熱海紀行(田中伯元)

元文四年。都立中央図書館加賀文庫蔵。写本一冊。漢文紀行に、和歌や明神の由来を記したものを附す。冒頭に前年の正月に左半身を患い、仕事がままならなくなったため、官暇を賜って熱海に湯治に行く旨を記す。神奈川から大磯、小田原を経て熱海に着き、遊覧している。岳陽楼の記事あり。温泉の描写は、簡単だが具体的で細かい。

熱海紀行(抱景子)

寛延三年。碧冲洞叢書第九十輯に翻刻あり。冒頭に「年頃身にいたわる事ありて、それのとし八月はじめの八日、伊豆の国熱海の湯あみに思ひ立侍る。」とある。小笠原、かぢか沢、身延山からさつた峠、吉原、沼津、三島を通って、熱海に至る。その後、東海道を経て鎌倉めぐりをし、戸塚、八王子を経て帰宅する。はじめの部分はやや古めかしい感じがする。古典紀行を多く引用し、また故事の紹介も多い。入浴の記事はそれほどなく、中途の記事が主である。

熱海紀行(中山高陽)

安永八年。国会図書館蔵。写本一冊。六月一日に江戸品川を出発して東海道を経て大磯、小田原、根府川を通って熱海に行く。更に箱根を巡り、富士へ向かい、再び東海道を経て帰宅する。中途の記事は簡単で熱海の部分が詳しい。記事は漢文調で歯切れよく、温泉街の宿のさま、人との交流などを非常に具体的に描写する。海女や八丈島の記事もあり、内容ゆたかな作品である。奥書は「安永丙申記高陽山人」とある。

熱海紀行(藤原祐邦)

安永八年。筑波大学図書館蔵。写本一冊。冒頭に「安永己亥の歳、としごろの願ひにて病婦を携へ豆州熱海の温泉におもひたち侍りぬ。」とあり、江戸品川から東海道を経て熱海に行く。しかし、温泉や入浴の記事はまったくなく、むしろ軍記物、史書に関する記事が多い。

熱海紀行(清水長平)

寛政七年。未見。乾々斎文庫本。所在不明。

熱海紀行(也有)

享和元年。帝国文庫に翻刻あり。八月二十九日に江戸を出発、九月二日に熱海に至る。途中の記事はなく、いきなり熱海に到着している。記事は非常に簡単で ある。作品自体が短い。筆致は軽妙で明るく、発句をまじえて、笑いが多い。

熱海紀行(成島司直)

享和二年。慶応大学図書館蔵。写本一冊。三巻に分かれており、江 戸から東海道を経て熱海に至るまでが第一巻、熱海滞在の記事が第二巻、帰路の記事が第三巻である。この作者の他の紀行類と同じく、細やかな観察と丁寧な和文で綴っており、特に中巻の熱海の町の記事は、説明も詳しく内容も面白い。ただし、入湯そのものの描写はない。汐湯の描写には山東京山の「熱海温泉図彙」と共通の表現がある。

熱海紀行(作者不明)

文化二年。未見。乾々斎文庫蔵本。所在不明。

あたみ紀行(山本正臣)

文化四年。静嘉堂文庫蔵。写本一冊。外題「山本清渓あたみ紀行稿」。内題なし。江戸から東海道を熱海へ赴く。温泉町の様子、湯屋の様子など、図やスケッチをまじえて、細かく具体的に記している。更に箱根にも入湯する。ここの描写も詳しい。その他、周辺の遊覧や道中のことも、丁寧に綴っていて、温泉紀行の名作の一つといっていい。これは自筆本で、無窮会神習文庫に写本が二部ある。その関係なども考察すると面白いであろう。

熱海紀行(斎藤県麿)

未見。文化六年。無窮会図書館蔵。

熱海紀行(平田湖貢)

文政四年。慶応大学図書館蔵。写本一冊。外題・内題ともに「熱海紀行」。友人の末理(林十郎左衛門)、柳露(三宅三郎右衛門)らと共に、江戸から東海道を通って金沢、鎌倉を遊覧、熱海に着く。滞在の後、箱根にも行く。湯治の日々の様子は「又或日は汐干の磯に出、巌を伝ひ貝を取り、又或日は狩人の翁に伴はれて山を巡り、或は川辺に臨みて釣りを垂れ、又或時は高楼に登り海山の詠めに乗じ觴(さかずき)をあけ欄干に倚て糸竹の声(コヘ)を聞。又静夜にしては謡あり、茶を喫し、又或ときは何国と知らぬ旅客(タヒビト)に言葉をかはし交り、亦つれゝゝの宵ゝゝは浜辺に出て、あし火焚く漁りの海士の網引を見、沢辺に行て蛍を狩り、又は侘人の別荘に尋訪ふ日もあり」などと詳しい。道中の記事も挿絵など描いて、発句まじりによく書いている。ただし入湯そのもののことは、あまり具体的ではない。

熱海紀行(由比演貞)

天保六年。東北大学図書館狩野文庫蔵。写本二冊。道中日記風の稿本で、湯場の図示などもある。冒頭に「旅行用心集」「有馬山温泉記」を引用。他にも各所で同二書を引用している。細かい情報が記されていて、資料として面白い。

熱海行記(宮正葩)

元禄十年。慶応大学図書館蔵。板本一冊。京都井上忠兵衛、江戸玉置治郎兵衛の刊記がある。東海道を経て熱海、箱根へ行く。林羅山の「丙辰紀行」風に項目を立てて、漢文と和文を交えて記している。記事は簡明で感傷性はない。入湯の記事はあまり詳しくない。

熱海行紀(菊地半隠)

未見。「近世漢学者著述目録大成」にあり。所在不明。

熱海十興(作者不明)

未見。元禄四年。乾々斎文庫本。所在不明。

熱海湯治記(作者不明)

元文五年。東北大学図書館蔵。写本一冊。外題「熱海入湯道記」内題「熱海湯治記」。五月九日に江戸を出発十一日に熱海に着いて滞在し、二十八日に帰宅するまでを一つ書の項目にして記している。ややメモ風な部分もあるが、入湯のさまなどもよくわかり、また中途の茶屋でも名物などを記して、旅の生活がある程度わかるなどの面白さがある。

熱海道中記(作者不明)

明治年間。慶応大学図書館蔵。写本一冊。戯文調で、挿絵を多く交える。特に古い紀行の引用はなく、当時の旅や宿泊の様子がよくわかる。

熱海日記(清薫)

享和元年。香川大学図書館蔵。写本一冊。江戸から東海道を通って、箱根に達し、同地や熱海の周辺を遊覧している。温泉のことも含めて、記事は詳しく細かい。日記的性格が強く、日常の生活を丁寧に描いている。

熱海日記(片岡寛光)

享和三年。東京大学図書館蔵。写本一冊。江戸竹芝から東海道を経て、大磯、小田原、土肥、真鶴が崎を通って熱海に着く。長編の力作で内容も豊富で、特に中途の道中の描写は長い。それに比すると入湯の様子はあまり具体的でない。雅文意識が強く、同行の父の漢詩なども収録しない創作姿勢とも関係があるか。嘉永と明治の跋文を有する。

熱海日記(萩原丈阿)

文政八年。東京大学図書館洒竹文庫蔵。写本一冊。江戸から東海道を通って箱根へ行き、小田原、早川、真鶴が崎を経て熱海に至る。俳句や俳文が多く、記述は簡単である。「梺を下るに滝の温泉は山の洞より涌出。湯口に(二字不明)やうのものしつらひ、注連を引たり。樋口爰かしこにわかれて、熱湯の滝をなす。滝壺には小蟹のおのれとあつまつて爛れ死すことおびたゝし。流れゝゝの末ども、都て湯けふり絶事なし」などの記事あり。

あたみ日記(藤原葛満)

慶応元年。京都大学図書館蔵。板本一冊。22・7cm×15・5cm。青色表紙、左肩白題簽。三十二丁。外題・内題ともに「あたみ日記」。刊記なし。本牧、金沢、浦賀を経て熱海へ行く。本の下半分に地図がある。海路をとっており海の遊覧が多いのも珍しい。箱根へも行っている。風景描写や湯の説明も丁寧で面白い内容が多い。字が少し読みにくい。

あたみまで旅の記(養拙庵)

未見。乾々斎文庫本。所在不明。

熱海道之記(月済)

未見。文化十一年。乾々斎文庫本。所在不明。

熱海路の記(万事庵)

未見。天保三年。乾々斎文庫本。所在不明。

熱海游記(岡鹿門)

未見。嘉永六年。「蔵名山房雑著」(明治一四)に翻刻あり。

熱海遊草(作者不明)

年代不明。徳島市立図書館蔵。漢文紀行。「早発」「舟中」「六郷渡」「宿平塚」「発熱海」などの項目をたてて、道中の様子や熱海や箱根付近のことを綴っている。

安政六年乙未日記熱海紀行(大槻磐渓)

嘉永六年。宮城県立図書館蔵。写本一冊。自筆本である。外題「己未日記熱海紀行」。漢文日記で前半は江戸に滞在しており、友人等との交遊などを記している。後半になって熱海へ向かう。熱海での記事も友人との交際のことなどが多く、温泉についての記述はあまりない。

温海入湯記(宮坂子遠)

文政十三年。慶応大学図書館蔵。写本一冊。外題「温海入湯記」中表紙題「宮坂子遠著温海入湯記」「宮坂子遠浴泉記旭山楼筆叢四十九全」。内題「温泉之記」。漢詩の部分と、和文の日記の部分とが交互に存している。日記の部分は記録的だが、温泉に入った回数、食事の内容、読んだ儒学の書などが記してあって、湯治の実態がよくわかる。末尾に作者とこの書についての羽柴雄甫の明治三十三年の識語あり。

温海の記(池田喜代井女)

年代不明。「荘内女流文集」に翻刻あり。八月八日出発して、三瀬を経て温海に着く。明るい生き生きとした文体で、途中の風景や旅のさまを描いており、才気が感じられる。「平家物語」の記事の引用あり。「湯本の記」にも平家にまつわる古跡のことが出ており、北陸各地にも軍記物のこのような影響があったか。女性紀行に出るのは珍しい。また、この種の優雅な女性紀行には入浴の記事は出ないのが常だが、この作品では帰途につく日に出発前、あくまで入って名残を惜しむとの記述があり、非常に簡単だが、入浴を示す記述が登場しているのは注目すべきである。

有馬温泉記(高泉性)

延宝六年。祐徳文庫蔵。板本一冊。27.2cm×18.0cm茶色表紙、左肩打付書。十丁、十行書。外題は「高泉禅師常喜山温泉記侍者道享記 全」。内題「高泉禅師常喜山温泉記侍者道享録」。京都田中太兵衛の刊記あり。末尾に延宝五年の作である旨を記す。漢文紀行で後半は漢詩集。前半は行基の逸話や温泉の様などを記するが、この部分は短い。

有馬温泉紀行(西沢一鳳)

嘉永三年。「新群書類従」二に翻刻あり。有馬の地に記述をし ぼり、往復の道は同じだからと復路のみを記すなどの配慮がある。貝原益軒や河合章尭の書を冒頭に引用する。内容は具体的で細かく、有馬の町や湯屋の様子を歯切れよい軽妙な筆致で生き生きと描いている。

有馬温泉記附古代鐘銘(松下見林写)

岩瀬文庫蔵。写本一冊。外題「有馬温湯記古代鐘銘西峯先生真蹟」。内題「摂州有馬温湯記」。内容は林羅山・堀正意「有馬温湯記」(板本)の写しである。

有馬温泉小鑑(作者不明)

貞享二年。京都大学図書館蔵。板本一冊。地誌風の案内記で、 温泉の由来や各湯について記している。湯船や町の具体的な描写はそれほどないが、代わりに非常に詳しい挿絵があって、見ていると町や湯屋の様子がよくわかる。有馬の菊屋五郎兵衛の刊記あり。末尾の十四丁は、勢州榊原温泉の湯元の刊記がある同温泉の案内記「温泉来由記」の合冊である。

遊有馬温泉紀行(松永昌三)

未見。「詞林意行集」五に所収。

遊有馬温泉記(堀正意)

未見。「詞林意行集」五に所収。

有馬温泉への道の記(本居大平)

未見。愛媛県立図書館伊予史談会蔵。

有馬温湯記(林道春・堀正意)

寛文十一年。京都大学図書館蔵。板本一冊。27.0cm×18.2cm。青色表紙、左肩白題簽。外題「有馬温湯記全」。内題「摂州有馬温湯記」。朱にて書入れ多し。小川伊兵衛の刊記あり。漢文で、温泉の様などを具体的に詳しく記述しており、実用も兼ねたこのような具体的説明が温泉紀行の文体の基礎の一つとなっている。

有馬紀行(遅春)

年代不明。柿衛文庫蔵。懐紙一葉。「松下主人真実の奇談あれども、これは書キ不申候かし」と冒頭にあり、有馬の宿での発句などを記している。末尾に「右有馬紀行文遅春」との署名と朱印がある。

有馬紀行たゝひ越(嘯山)

安永八年。天理図書館綿屋文庫蔵。京都から有馬へ向かう。発 句や漢詩をまじえつつ、温泉や周辺の地のさまを描写している。文章の部分は全体として、やや少ないが、湯船の説明などは丁寧で資料として役に立つ。

有馬行紀(菊地半隠)

未見。「近世漢学者著述目録大成」などにある。所在不明。

有馬湯治(坂上二酉)

宝暦七年。無窮会図書館神習文庫蔵。「紀行八種」(写本一冊)の内。内題「有馬紀行復遊紀行坂上二酉述」。五丁、十四行書の短い作品で、発句が多い。「幕に入れば病人の幕より上る有さま、湯下駄はき漸々にあゆむ。浴衣を壺折に立出るは、能の橋掛りを思ひやりて、病人の鏡の間なり花の幕」などの記述あり。

有馬湯治日記(智忠親王)

正保三年。宮内庁書陵部蔵。写本三冊。第一冊は正保三年、第二冊は慶安二年、第三冊は同三年の記事を記す。内容は「四日天晴詠歌有二首 辰ノ刻湯入巳の刻時雨少降未刻湯入」などといった日記風のメモである。

有馬入浴日記(吉田東洋)

嘉永四年。「吉田東洋遺稿」(日本史籍協会)三に翻刻あり。漢文紀行である。温泉紀行にしばしばあることだが、題名はこのようなものでありながら温泉の記事はまったくなく、いつ入浴したかもわからない。

有馬入湯記(作者不明)

国会図書館本。写本一冊。大坂から有馬へ行く。年代も作者も不明だが、内容は大変面白く、湯治地のさまや自分の病状、交遊、宿のさまなどすべてについて具体的に記し、赤湯のことなど珍しい記事も多い名作である。

有馬之日記(布門)

元文三年。大阪府立図書館蔵。板本一冊。外題「有馬之日記」。内題 「有馬の日記」。跋文によると、湯元の宿の主人や町の湯女たちに読んで楽しんでもらおうとして本にしたとあり、有馬温泉には特に強かった湯治客と地元の人々との交流の深さがうかがわれる。内容は発句もまじえながら、明るい筆致で、冗漫に流れず生き生きと入湯の日々をつづっている。温泉紀行の代表作の一つにしてよい。挿絵も数葉入っている。末尾には彫工の名を記すのみで、書肆の名はなく、今日の自費出版の類であろう。

有馬の日記(本居大平)

天明二年。叢書江戸文庫「近世紀行集成」(国書刊行会)および「本居宣長全集」に翻刻あり。平明で丁寧な和文で、往復の道のさま、温泉の様子、自分の健康状態、湯治の日々などを綴っている。温泉紀行の名作の一つである。

ありまの旅行・あづま路の記草稿(卜部兼敬)

享保七または十九年。天理図書館蔵。仮綴 の写本六冊。図書館のラベルによって第一冊から第六冊までとする。第一冊(15.0 cm×23.3cm)と第二冊(15.3cm×22.5cm)は横本。第三冊(20.5cm×14.4cm)、第四冊(26.1cm×19.6cm)、第五冊(25.8cm×19.7cm)、第六冊(25.8cm×19.4cm)と大きさや書型は一定せず、六丁から二十四丁とおおむね短い。内容は旅中や往復のメモ風である。買った土産物のリストなどもある。

有馬山紀行(大宮卓)

正徳三年。写本一冊。「国書総目録」には柿衛文庫にあるとするが同文庫には現存しない。

有馬山温泉記(貝原益軒)

宝永八年。国会図書館等。板本一冊。「益軒全集」七に翻刻がある。案内記の体裁の18.2cm×12.2cmの中本で、簡略で平明な記述で、途中の名所や温泉の事を綴っている。京都柳枝軒の刊記あり。益軒の案内記類の中でもよく読まれたもののようで、各図書館に多く残る。また、益軒の他の案内記類と違って、「東路之記」「己巳紀行」の二写本の中に原型が見出せない作品であり、その成立の過程については今後の調査が必要であろう。

有馬山温泉記追加(河合章尭)

宝永八年。無窮会図書館織田文庫等。板本一冊。17.8cm×11.9cm。「有馬山路記拾遺」「有馬めぐり拾遺」などの別名あり。「有馬山温泉記」ほどではないが、よく読まれて多数残っている。早稲田大学図書館本の中表紙などに「貝原先生えらび給ひし有馬道乃記にもれたる事を記す」と書肆柳枝軒が記しまた冒頭に「京都より有馬迄の道の事は貝原益軒の記に残る所なし。唯瀬川より西池田の辺、所々予が観覧するの所を少ばかり書くはふる而巳(のみ)」とあるように、「有馬山温泉記」を補うものとして書かれた。記述の態度もおおむね同一である。

有馬遊覧紀行(作者不明)

未見。「元禄書籍目録」にある。所在不明。

有馬私雨(平子政長)

寛文十二年。「近世文学資料類従」(勉誠社)の「有馬地誌集」に 翻刻と解説あり。温泉の由来や付近の名所を狂歌や発句をまじえて綴り、挿絵も多い。実用性も考慮して具体的な説明を記す、このような創作態度は以後の温泉紀行類の基礎をかたちづくった。益軒の案内記類などと同様、後の作品への影響が非常に強い書である。「有馬地誌集」には他の有馬の地誌(紀行的要素が薄いと判断して、本稿では省いたもの)も数点収録されている。

滑稽有馬紀行(大根土成)

文政十年。叢書江戸文庫「近世紀行集成」(国書刊行会)に翻刻あり。京都から有馬への行程、また有馬での湯治の実態を、滑稽本風の会話体で笑いをまじえて、細かく描いており、入湯の様子の詳細がよくわかる。挿絵もあり。

伊香保記(中川内膳室)

寛永年間。「女流文学全集」三に翻刻あり。江戸から鴻巣、熊谷など経て伊香保に至る。女流紀行らしい優美な文章で、道のさまや旅の様子、宿の人々との交流を明るく記している。周辺の遊覧も行っている。ただし入湯そのものについての記事はない。

伊香保紀行(跡部良顕)

元禄十一年。祐徳文庫蔵。板本三冊。23.0cm×16.0cm。白色表紙、左肩白題簽。外題「伊香保紀行上(第二冊は中、第三冊は下)」、内題「伊香保温泉紀行」(第一冊)。冒頭に漢文の序があり紀行論などを述べている。また温泉の由来などを記し、挿絵もある。「予、去年の夏の比より病を患て、薬鍼の療をつくすといへども効なし。今年戊寅の三月官命のゆるし有て、上野国伊香保山の温泉に赴く」とはじまり、第一冊末尾にも「温泉の療を求め侍るも公の仕をおもふゆへなり。君臣有義おろそかに思ふべからず。遠遊紀行は父母をおもふ志よりあらはし、この紀行は君に事しむ為の志なれば」と、このように療養にはげむのも公務をまっとうするためだという公務員の鑑のような記述がある。益軒やその他の作品にも同様の記述がしばしば見え、当時の旅や休暇に関する意識を探る一助となろう。

伊香保紀行(鈴木之徳)

天明二年。乾々斎文庫本。所在不明。

伊香保紀行(宮本英斐)

天明八年。宮内庁書陵部蔵。写本一冊「片玉集」五十八所収。和歌と漢詩が大半で、入浴の記事などはない。

伊香保紀行(本阿弥忠恒)

寛政五年。宮内庁書陵部蔵。写本一冊「片玉集」五十七所収。和歌が多く、「十二日、雨はれて、いかほを立出ぬるに、湯のやどりのあるじ『むかひゆとて人々くるならひあり。やつがれにも又くるとしの夏はかならずきたまへ』などいふに、そのことちぎりつゝ立わかるとて」のような流麗な和文で綴っている。旅の中途の記事はなく、また入湯の記述もそれほど詳しくはない。

伊香保紀行(作者不明)

年代不明。内閣文庫蔵。「いかほの里にもなりければ、それと知らする滝の音、おどろゝゝしふひゝきて、やどり取べき家の方は、柴の庵のよにもあや敷(しき)が一村続き見へたり」などのような、やや雅文がかった文体で綴り、平家の故事、社寺の縁起、また滑稽な記事などもあるが、入湯のことはない。末尾に現世を礼讃した記述がある。

伊香保日記(不角)

延享二年。京都大学図書館蔵。板本をペン写した写本一冊。発句が多く、入湯の記事はない。

伊香保日記(玉上允資)

天保十四年。未見。慶応大学図書館蔵。

伊香保日記(小林病翁)

未見。「越佐名家著述目録」にあり。所在不明。

伊香保の口すさみ(山岡浚明)

明和元年。筑波大学図書館蔵。写本一冊。丁寧な和文で書かれた力作である。風景描写に工夫がこらされており、物貰いのこと、難船のことなど興味ある記事も多い。前半の記述はひどく感傷的だが、後半はそれほどでもなくなる。帰路を急いでおり、帰宅の場面などが詳しく書かれている。

伊香保の日記(村田たせ)

天保七年。未見。九州大学図書館蔵。

伊香保の道ゆきぶり(倭文子)

寛延三年。有朋堂文庫「日記紀行集」に翻刻あり。作者は国学の才媛として当時も有名で、この作品もよく知られている。女性らしい細やかな観察に基づく優雅な和文で、旅の間の見聞や宿のさまを綴っており、女流紀行の名作である。ただし、このような紀行にはよくあることだが、入湯や温泉についての記事そのものはない。入浴のような肉体に関することの描写は俗的なものとして排除されたか。

伊香保道記(並河誠所)

享保元年。東北大学狩野文庫蔵。写本一冊。四月末に江戸を出発し、熊谷、岡部、本庄などを経て伊香保に至る。帰途のことはまったく記されない。ややくせのある軽妙な文体で、芭蕉の友の仙人のことなど、興味を引く内容の挿話のさまざまが長く記される。末尾に西鶴もどきの湯治客の語りがある。

伊香道の記(木村御綱)

年代不明。未見。「埼玉名家著述目録」にあるが所在不明。

夷曲堂出湯の道振(夷曲堂主人)

未見。乾々斎文庫本。所在不明。

伊豆巡湯譚(沢庵宗彭)

未見。寛文三年。大橋図書館蔵。

伊豆めぐり(月巣)

天明二年。柿衛文庫蔵。板本一冊。短い作品で発句が多い。「伊東の温泉は田中に茅葺る屋一軒あり。浴するものもまれゝゝ見ゆ」などと見聞したことを綴っている。源頼家の古墳のことあり。

いで湯の家つと(作者不明)

未見。慶応元年。カ-ド不備のため所在等不明。

鶯宿御湯治扈従日記(作者不明)

文久元年。慶応大学図書館蔵。写本一冊。文字が非常に読みにくく、題名もあるいは違っている可能性もある。一つ書きの記録で、むしろ文書の類とすべきか。ただし記事は細かく、大名一行の具体的な入湯の様を知るには便利であろう。

奥州湯岐磐城温泉紀行(道廼屋百合丸)

文化八年。船橋市立図書館蔵。写本一冊。平岡から木下し、武井、夏海、額田、など経て湯本に至り、逗留の後、田尻、大沼、などを通って再び平岡から白川に至る。短い作品で、七五調の文章で「上船尾〔一里十二丁〕より湯本村〔十六丁〕山形屋にぞつきにける。こゝは平(たひら)の城近く賑はふ里にやどりして湯女の鶴代や象野等や花の吉野が咲花の艶あるいろに愛(メデ)つゝも四好の楼のたのしみに七日八日もゆあみして同く廿日に四好楼出るなごりのいとをしく、植田町までもとの道かへる心もあとやさき」などと旅の様子を描いている。

温泉紀行(可庵文思)

文化九年。未見。天理図書館綿屋文庫蔵。

温泉紀行(久保木竹窓)

文化十二年。未見。無窮会図書館神習文庫蔵。

温泉紀行(大村由己)

年代不明。未見。宮内庁書陵部。

温泉紀行(周鳳)

年代不明。未見。御茶の水図書館成箕文庫蔵。

温泉紀行(吉見幸和)

年代不明。未見。鶴舞図書館蔵。

温泉紀行(作者不明)

年代不明。未見。東京大学史料編纂所蔵。

温泉紀遊(若霖)

宝暦十三年。未見。柿衛文庫蔵。

温泉行記(立原万)

寛政五年。静嘉堂文庫蔵。写本一冊。日記あるいは記録的な作品。寛政五~文化三年にかけての各地(鹿島、熱海など)への温泉行の記録。文化三年四月廿四日の条には書肆の須原屋伊八のことあり。他にも地方の事件など面白い記事が多い。文化三年の折の入浴のための暇願の文の写しも、資料として貴重である。

温泉再遊(釣月)

享保元年。宮内庁書陵部蔵。写本一冊「扶桑残玉集」二十四所収。冒頭に温泉の由来などについての考察があり、日本各地の温泉の名をあげている。「やつが れ六とせあなた足いたみて、塔の沢にゆあみして、しるしありしかば、此度かひないたみて筆とるに物うければ、二たびおもひ立」とあるように、塔の沢の湯治記である。江戸を出発して東海道を進み、温泉に滞在し、その後、箱根や鎌倉などを遊覧している。この作者の他の作品と同様、和歌をまじえた平明な和文で、古典紀行なども引用しながら、道中の見聞や、自分の心境を綴っている。入湯の具体的な記事はほとんどない。

温泉日記(蘆舟)

未見。嘉永二年。乾々斎文庫本。所在不明。

温泉日新録(人見竹洞)

延宝元年。中野三敏先生蔵。写本一冊。熱海湯治の漢文紀行であ る。冒頭に脚の病を得て、官暇を賜り湯治に赴く旨を記す。日付にしたがって日記風に湯治の日々を記しており、「九日此日浴湯数回」などと、入湯の状態がうかがえる。周辺の遊覧などもよく行っており、湯屋の説明などもある。

温泉道之記(作者不明)

未見。延岡内藤家蔵。

温泉遊記(作者不明)

元文五年。カ-ド不備により所在等不明。

温泉遊草(深草元政)

文政五年。京都大学図書館蔵。板本一冊。26.3cm×18.1cm。青色表紙、左肩白題簽。外題「温泉遊草全」。内題「温泉遊艸」。京都村上勘兵衛等の刊記あり。寛文年間の二度の湯治を記する漢文紀行。温泉の具体的描写などはない。由来などはあげる。

温泉旅行日記(官松)

文化十二年。国会図書館蔵。写本一冊。外題「温泉旅行日記全」内題なし。冒頭に文化十二年の官松自序と天保八年の磯貝惟道の和歌がある。番場、四日市から江戸を経て、東海道を箱根へ行き、入湯する。描写は具体的で細かく、戯文調で面白い。「扨、昼時分になれば雨も少々止けれ、底倉へ遊びに行ん序(ついで)に土産(みやげ)物なども求んと、皆打連立、ふらりゝゝと先、川越屋伴蔵といへる引物屋の見せに行、細工物種々求」などと、湯治や温泉街の風俗もよくわかる。

城崎紀行(樋口好古)

年代不明。未見。蓬左文庫蔵。

城崎紀行(義宥)

文政八年。未見。内閣文庫蔵。

草津温泉記(松崎慊堂)

未見。「近世漢学者著述目録」にあり。所在不明。

草津紀行(鎌原桐山)

未見。個人蔵。

草津紀行(遊佐好生)

未見。「国書解題」「地誌目録」などにあり。所在不明。

草津紀行(新井精斎)

未見。「近世漢学者著述目録」にあり。所在不明。

草津行(作者不明)

未見。

草津日記(嘉藤尚成)

寛政七年。宮内庁書陵部蔵。「片玉後集」三十一・三十二所収。写本二冊。「旅の口ずさみ」の坂本栄昌と同行の旅である。「秋の千ぐさ」「みなれ棹」などの項目を立て、和歌をまじえた丁寧な和文で、道中や温泉の様を詳しく記し、その後、日光や松島まで遊覧している。長編の力作なので、全体に比すると温泉の記事は少ないが非常に具体的に細かく書いてあり、湯船の様子などもよくわかる。

草津道の記(一茶)

未見。「一茶文庫」六に翻刻あり。

草津遊艸(一万田希)

天保九年。国会図書館蔵。写本一冊。下書き風の断片的なもの。入湯の具体的記事はない。安積艮斎のことが出ている。

君侯浴間遊覧記(作者不明)

未見。寛政三年。乾々斎文庫本。所在不明。

毛野浴温泉記(作者不明)

文政十二年。岩瀬文庫蔵。写本一冊。26.2cm×17.3cm。茶色格子縞表紙、左肩貼題簽。三十八丁、十七行書。罫紙使用、朱入り。図少々あり。外題「毛野浴温泉記全」。中表紙題「毛野浴温泉記」。内題はなし。末尾に枡野屋五郎治(日光鉢石町)刊の地図を貼付している。六月七日に主従十人で江戸を出発し、額田、磯部など経て白川、那須、日光などを巡る。日付にしたがって日記風に記すが内容は地誌的で、馬子の病気や村々の生活などをよく観察して記している。鶏を飼うことを許さぬ村など珍しい記事もある。冒頭に漢文の温泉論あり。

越路の湯あひ(作者不明)

天保九年。未見。無窮会図書館蔵。

再遊有馬記(渡辺月右)

年代不明。中村幸彦先生蔵。写本一冊「東西の記再遊有馬記」の内。中村先生のカ-ドによれば作者は宝暦四年生、天保九年歿。淡路国由良浦内田村の庄屋で、淡路の地誌「堅磐草(かきわぐさ)」などの著がある。淡路から船で兵庫に渡り、付近を見物して有馬に向かう。発句を交えて飾らない筆致で、道中や有馬の町の様を綴っている。物売りの舟が賑やかなことなどの記事もある。地方の人の温泉紀行として興味深い作品である。

酒折湯島記(西園)

文化六年。国会図書館等蔵。写本八冊「官遊紀勝」の内。作者は本草家で幕府に仕え小石川の御薬園の管理をしていた。「官遊紀勝」は六つの紀行文から成り、後の作品ほど次第に描写が具体的で面白くなっていっている。この作品は二番目のもので、途中の村の石地蔵や武田信玄の古城跡の記述などが細かい。温泉の記事は「湯治場も村戸つ?き、場所は一軒なり。湯もぬるく入こみにて、むさき所なり」とある程度。なお詳しくは、拙稿「渋江長伯『官遊紀勝』について」(福岡教育大学紀要三十三号)を参照されたい。

塩原温泉記(佐分亭主人)

文化十三年。都立中央図書館蔵。板本一冊。「多田温泉記」と同様に、温泉の効能などについて述べたもの。冒頭に椎園による書き入れがあり、それによると、佐分亭は福原織部という人で、塩原温泉に入浴した折、この書を書いて宿の主人に与え、主人は喜んで出版して売ろうとしたが、現地の人々が他国の人に書かれたのが口惜しいと言って売る事を許さなかったため、佐分亭が板木を持ちかえり、天保十四年、本にしたものを椎園は山口藤九郎から貰ったとある。湯治客がこのようなかたちで入湯記を書いて宿の主人に贈ることはしばしばあったようである。

塩原温泉記(酒井嘉)

嘉永元年。未見。尊経閣文庫蔵。

塩原紀行(作者不明)

寛政十年。未見。「旧三井鶚軒文庫」目録にあるが所在不明。

塩原考(林知脩)

天保三年。未見。国会図書館等。

寿山温泉記行(上田貞能)

年代不明。岩手県立図書館蔵。謄写版刷の活字本一冊。内容は漢詩集で、温泉の記事はほとんどない。

上州草津入湯道中日記其外諸書(志賀九郎助)

未見。弘化五年。長崎県立図書館蔵。

杉田氏両湯日記(杉田玄端)

安政三年。未見。東北大学狩野文庫蔵。

滝温泉紀行(作者不明)

未見。文政十二年。乾々斎文庫本。所在不明。

但馬紀行(撫草庵実雲)

天保十年。国会図書館蔵。写本二冊。江戸を出発して東海道から 大坂、畿内、木曽路を巡る大旅行で、整った序跋を有している。挿絵を交えて内容は豊富で面白いものの、特に入湯の記事はなく、温泉紀行とは言いがたい。

但馬道の記(竹裏軒雪山)

安政三年。国会図書館蔵。写本一冊。外題「但馬道の記」。内題なし。八月十四日、君命によって江戸を立ち、但馬の御陣屋へ向かう。往復とも東海道を通り、発句を主にして道中の様子を記している。文章の部分は京都を過ぎた頃から多くなり、城崎の部分では温泉について、かなり詳しく記述しており、資料として貴重であろう。

多田温泉記(作者不明)

安永九年。大阪府立図書館蔵。板本一冊。茶色表紙、左肩白題簽全17丁。外題「摂州多田温泉記附録諸国温泉考全」。内題「多田温泉記」。多田の湯元行事の刊記があり、温泉の効能を記している。石牛居士の序文には二十年来この地に入湯して感じた効能を「温泉考」として書して宿の主人に与えた旨が記されており、客と宿屋の関係を知る一助となる。

旅のくちすさみ(坂本栄昌)

寛政七年。叢書江戸文庫「近世紀行集成」(国書刊行会)に翻刻あり。草津温泉の入湯記である。湯船の説明なども具体的で、あまり派手ではないが淡々とした素朴な味わいがある。嘉藤尚成「草津日記」と同じ旅で同行しており、作品の雰囲気も似たものがある。

玉匣両温泉路記(原正奥)

天保十年。叢書江戸文庫「近世紀行集成」(国書刊行会)に翻刻あり。熱海と箱根の各温泉の湯治の日々を描いている。途中の道中、温泉のこと、付近の遊覧、宿の様子など、平明な和文で細かく描いた長編の名作。旅日記論などもあって、一定の創作意識をもって記していることがわかる。

俵山御湯治(作者不明)

未見。山口文書館蔵。

俵山御入湯記録(作者不明)

未見。享保十一年。山口文書館蔵。

但泉紀行(新宮涼庭)

未見。弘化三年。国会図書館等。

但泉紀行附温泉論(作者不明)

弘化二年。刈谷図書館蔵。板本一冊。25.5cm×17.9cm。青色表紙、左肩貼題簽。四十二丁。外題「但泉紀行附温泉論」。内題「鬼国山人但泉紀行」。城崎温泉の漢文紀行である。

塔沢温泉紀行(跡部良隆)

享保七年。祐徳文庫蔵。板本三冊「伊香保紀行」の第三冊。内題「塔沢温泉紀行」。漢文、漢詩、和歌から成り、全九丁。天和三年の湯治行。江戸から東海道を経て塔沢に至る。後半は父の教戒や母の和歌を並べたもの。江戸平野屋勘兵衛等の刊記あり。

塔沢記(作者不明)

未見。元禄十二年。「地誌目録」などにあり。所在不明。

塔沢紀行(藤本松庵)

未見。元禄七年。岩瀬文庫等。

塔乃沢御紀行艸稿(作者不明)

天理図書館綿屋文庫蔵。写本一冊。25.4cm×17.4cm。白と茶の縞表紙、中央貼題簽。七十七丁、七行書。外題「塔乃沢御紀行草稿」内題なし。箱根の入湯記である。四月十四日に江戸を立ち、東海道を経て鎌倉を遊覧、更に進んで箱根に至る。発句をまじえて道中のさまを綴っており、同行者のこと、土地の名物のことなども少し出るが、入浴の記事などはない。むしろ鎌倉の部分に多く筆を費やしている。(この項は樋口浩明氏の協力を得た。)

塔峯紀行(作者不明)

静嘉堂文庫蔵。写本一冊「あづま紀行」の附。「右ノ方に十二三丁行、塔の沢といへる温泉、湯屋七軒、人家三十軒程」といった地誌的なメモ風の内容。入湯の記事は特にない。

斉宣公御湯治の記(作者不明)

未見。天保六年。無窮会図書館神習文庫蔵。

寝覚之記(生駒固房)

明和五年。京都大学図書館蔵。写本一冊。但馬の国湯の嶋に湯治に行くもの。冒頭に紀行文論や出発までのいきさつが詳しく記されている。尾張から伊勢に参詣し、吉野、奈良を経て大坂、京都、兵庫を遊覧、その後湯の嶋に向かう。温泉の記事は簡単で、更に宮津など付近を見物し、京に戻って名所を巡る。後半は各社寺の縁起や名所の由来を項目別に記している。長途の旅を丁寧に記しているが、温泉紀行としてはものたりない。

箱根入湯の記(白石千別)

未見。九州大学図書館蔵。

箱根之日記(結城光昭)

未見。嘉永六年。乾々斎文庫本。所在不明。

箱根浴湯記(作者不明)

文政元年。神奈川県立図書館蔵。写本一冊。江戸から東海道を経て箱根に至り、滞在の後、江ノ島などを見物して帰る。優雅な和文で旅先の人々との交流などをよく描いており、特色ある記事が多く面白い内容である。奥書に作者七十一才の時の作とある。

戊寅春遊記(貝原益軒)

元禄十一年。「戊寅の春、津のくに有馬温泉のゆあみの暇給はり家婦をもたづさへ、且京都にも淹留すべき由、君命をかうぶり二月六日の晩、郷里を出つ」とはじまる、有馬温泉の入湯記である。益軒の他の有馬温泉行の紀行文との関係など、今後の検討が必要であろう。暇を貰ったことなどについて君恩を感謝する記述が数ケ所に見える。

牟婁温泉道之記(仲野安雄)

享保元年。徳島市立図書館蔵。写本一冊。外題「牟婁温湯道記紀行二巻之内」。内題「牟婁温泉道記」。跋文によると享保元年、若い頃の作品を考閲して整えたという。洲本から由良、加古を経て湯崎に至る道を、益軒の案内記風に項目を立てて説明している。作者は国学者で「有馬山温泉記」の板本に多くの書き入れをした一本が国会図書館に残る。また外題の「紀行二種」のもう一つは河合章尭「有馬山温泉記追加」の板本を書写し、更に自己の見解を書き加えたもの。益軒紀行に触れる中から自己の紀行の形式を築いていった一例とも言えよう。

山代温泉道記(作者不明)

未見。貞享四年。「加能郷土図彙」にあり。所在不明。

山中温泉紀行(五十嵐篤好)

文政六年~安政三年。慶応大学図書館蔵。写本一冊。和歌が多く入湯の記事はない。しかし記述は細かく具体的で「さらばとて山代にゆきぬ。大なる家にやどりすれば、女ども出来て『米はいくます買てん、な(菜)は何よけん』などいふ。『三人りにしあれば、馬のごとくひたらんとも、かぎりあンなるべし。もとより人なる物をや』といへば『さるいたづらごと、なし給ひそ。まろう人さはにて事しげきを』と腹だつを、とらへて、なほ戯つ?わらふ。あるじ入り来るに女どもは出ゆきぬ」などと面白い記事が多い。

遊温泉山記(鎖国主人)

未見。文政三年。乾々斎文庫本。所在不明。

湯沢紀行(煙霞病客)

貞享元年。京都大学国文学研究室蔵。板本一冊「東路之記」の附。27.0cm×17.3cm。青色表紙、左肩白題簽。外題「鴨長明東路之記南詢士湯沢記行」。内題「湯沢紀行」。「東路之記」二十八丁、「湯沢紀行」十六丁、更にその後に内題「春の家づと」として八丁があり、帰途のことを綴っている。京都川勝五郎右衛門等の刊記あり。「みづから病にこもり居侍りて、ゆあみにまからんとのこと物しけれど、ひとりあるたらちめのけしきうか?ひて過ぬ。ことし天和甲子の春、おもひ立幕下に二旬ばかりの御(ミ)暇申たまはり、きさらぎ望日の朝のこる比、首途してゆく」とはじまり、漢詩をまじえながら綴っている。感傷性は薄い。東海道の記事が多い。温泉そのものの描写はない。

湯島温泉記(河合章尭)

享保十八年。京都大学人文研究所蔵。板本一冊。17.5cm×13.0cm。原表紙なし。内題「湯嶌温泉記」として81丁、「京より丹波国笹山迄行程名所古跡」として22丁。京都柳枝軒などの刊記あり。貝原益軒の案内書類と同様の体裁で、項目を立てて簡明に京都から湯島への往復の道筋や名所を記している。冒頭に「且京より宮津までの事は貝原益軒の諸州巡の記に潤色するものなり」と記すごとく益軒の「諸州巡覧記」の影響が強く、またそれを補充するものとして書かれている。

湯倉温泉紀行(一方庵玄英)

天保十二年。叢書江戸文庫「近世紀行集成」に翻刻あり。東岱の序文がある。眼病の治療のための湯治であるが、最後まで回復せず、また湯治場の様子も期待したような快い環境ではなかったことなどを淡々とした筆致で描いている。このような失敗におわった湯治のさまを描いた作品は珍しく、冷静な記述態度とともに注目すべき名作である。中途の道のさまも廃村や飢饉のことなども登場し、また同伴している女の童や駕籠かきとの交流も描いて細かい。挿絵が数葉ある。

湯の山紀行(白明房)

未見。元文二年。乾々斎文庫本。所在不明。

ゆの山ふみ(連阿)

享保四年。宮内庁書陵部蔵。写本一冊「扶桑残玉集」二十五に所収。熱海から塔の沢の入湯記。和歌をまじえた雅文で綴り、生活描写はあまりないが、湯の由来なども記して、かなり詳しい紀行文である。雨が多いのが眼につく。「五月朔日、巳の時ばかりにやどりを出る。かねて熱海の湯をこそと思ひよりしが、だれゝゝせし人々いひけるは、『かの湯はしほにて夏にむかひては、いかゝあらん。塔沢こそしかるべきかたにおぼゆれ』などすゝめられしかば、かの山にぞ心ざす」などの記事あり。 湯原入湯路次記(三宅裕守)未見。天保六年。乾々斎文庫本。所在不明。

湯本紀行(小堀政一)

寛永十九年。「続群書類従」紀行部に題名のみあり。

湯本の記(侍女豊崎)

貞享四年。内閣文庫蔵。写本一冊「墨海山筆」五十一所収。金沢から山代温泉に赴く。和歌を交えて優雅な和文で、途中の情景を綴る。海の風景が多い。ただし作品そのものは短く、冒頭に「年比いたはり侍るに、山しろとかやいふ所に薬の温泉有て、万の病を治するよし或人つたへけるにより、貞享四年の夏のはじめ、いとしのびて、かの里にいたりて温泉のあそびし侍りぬ」とあるものの、温泉や入浴の記事はまったくない。

湯山紀行(馬光)

元文四年。天理図書館綿屋文庫蔵。写本一冊。23.1cm×16.1cm。茶色表紙、左肩打付書。全四丁。外題・内題ともに「湯山紀行」。相模の芦刈の湯の入湯記である。江戸から東海道を経ている。発句をまじえた短い作品で、入湯の記事などはない。(この項は樋口浩明氏の協力を得た。)

湯山遊観路程記(貝原益軒)

延宝八年。天理図書館蔵。写本一冊。23.1cm×16.4cm。金灰色布の帙入り。青に渦巻地模様表紙。帙題「湯山遊観路程記貝原益軒自筆」。外題なし。中表紙(原表紙・共表紙)題「湯山遊観路程記」。内題「自湯山行京路程」。十二丁、七~九行書。奥書「延宝八年五月八日於大坂旅舎書之損軒」。有馬温泉行の紀行である。益軒の他の作品と同様、地名を項目として簡略に記事を記す。内容は「有馬山温泉記」と共通するものもあるが、原本とするほど同一ではない。益軒は有馬に数回行っており、その折々に記したものを「有馬山温泉記」にまとめたか。なお考察が必要である。

浴湯紀游(成島司直)

享和二年。宮内庁書陵部蔵。写本一冊「片玉集」所収。鎌倉、金沢箱根などの温泉をめぐる漢文紀行。「熱海村」などの項目をたてて具体的に説明している。ただし温泉の記事は「熱海村」と「走湯」程度で少なく、また入浴の記述は皆無である。

浴風紀行(作者不明)

年代不明。中野三敏先生蔵。写本一冊。八月二十二日に出発して、鳴子や川度の温泉を巡る。車湯、赤湯などの湯の様子や周囲の景色などを具体的に説明している。

浴湯日暦(作者不明)

年代不明。刈谷図書館蔵。写本一冊。28.5cm×20.8cm青色表紙、左肩打付書。全四十七丁、十行書。外題「浴湯日暦」。内題「浴湯日記」。有馬温泉の入湯記である。京都から大坂を経て、和歌の浦、兵庫など広い範囲を遊覧している。作者は儒者らしく、太極論をはじめとした哲学、道徳論が多い。記事は漢詩をまじえて具体的で、思想家の紀行として面白い。馬子の少年への気づかいや、熊沢蕃山に関する記事も見える。

浴陸奥温泉記(作者不明)

文政十年。「随筆百花苑」に翻刻と詳細な解説がある。歯切れいい文体で磐城温泉等の陸奥の温泉について記す。長久保赤水紀行を多く引用し、赤水と同様、地誌的、記録的で興味ある記事が多く、みちのくの紀行として重要であろう。ただし、全体として、温泉そのものに関する記事は少ない。

浴呂紀行(山崎五沃)

天明八年。天理図書館蔵。写本一冊。14.2cm×20.8cm樺色帙入り、青色表紙、左肩貼題簽。全三十丁、十二行書。朱入り。外題・内題ともに「浴呂記行」。痔疾のために下呂温泉に湯治に行った折のもの。漢詩や狂歌、発句をまじえ、めりはりの強い軽妙な筆致で道中の様を活写する。村々の様子や温泉の様、入湯のこともよく描いていて傑作の一つである。(この項は樋口浩明氏の協力を得た。)

竜神出湯日記(伊達自得)

慶応三年。未見。「伊達自得翁全集補遺」に翻刻あり。

竜神湯あみ紀行(富永芳久)

年代不明。名古屋大学図書館蔵。写本一冊。湯治地や療養のさま、交遊の様子などが非常に詳しく描かれている。ほうき星についての記事がある。末尾は未完か。

湧温泉(無外)

嘉永六年。柿衛文庫蔵。板本二冊。但馬温泉のことを記す。ただし、大半が「一ト里はわきゆの湯気や八重霞」などの俳諧である。題名は「わきゆ」と読む。安政六年の序文あり。桃谷と夜舒の校合である。

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