映画感想あれこれ世界滅亡と幼児誘拐(何ちゅうタイトル)

今夜というか昨夜は、テレビで映画「トロイ」を放映してたので、ちょっと見たのですが、あまりにもものすごいカットの多さに、これはもはやこの映画ではないと判断して、冒頭15分たらずで見るのをやめてしまいました(笑)。何だかなあ。

少し前に映画「チェンジリング」を、これもかなりいいかげんに横目でテレビで見てたのですが、そのまっとうな力強さにびっくりしました。興味はあった映画なのですが見落としていて、ラストがどうなるか情報がちらとも入らないでいるのは奇跡に近いから、早く見ないととあせっていたのですが、つまり失踪した息子は結局どうなるのかとか。見て納得、なるほどねえ。そこもきっちり描かれてはいますが、ポイントはそこには必ずしもないんですねー。
この監督の作品はいつもそうだけど、まっとうで寸分のすきもなく、そこが安心で満足できる一方で、何というか、はまる余地がありません(笑)。

で、同じころ、たまには封切りと同時に見たい!って気分で、「ラブリー・ボーン」を見てきました。誘拐されて殺された14歳の少女があの世からこの世を見て語るという構成で、どぎつそうな内容の割には、主役の少女もかわいくてうまくて、ほのぼのといとおしい映画になってました。
でも、ただ、これはまた、どことなくちぐはぐ、ばらばら、すきがありすぎで、原作を読みたくなり買いました。文庫本で出てるのは助かりますけど、ものすごく厚くて、まだ途中です。
アメリカで大ベストセラーになったらしいけど、なるほどいい小説です。これは別に殺された少女の話ではなくて(もちろんそうなんですが)、たまたま殺されたというだけで、輝くような青春小説で家族の小説で人生の小説なんですね。それでいて、この設定、この視点でなくては書けない、いろんな要素もつまっている。中断されたからこそ美しい生活の細部とか、事件にあって残された被害者家族の再生の難しさとか。
映画「ゴースト」とか小説「椿山課長の七日間」とか、そういった、死者が主人公の作品は多いし、それぞれ名作ですけど、「ラブリー・ボーン」はスケールの大きさや深さや描写の細かさや複雑さがやはり段違いです。

ただそれは、他の作品が悪いというんじゃないんですけど。たまたまいっしょに買って読んだ桐野夏生の「残虐記」も幼女誘拐ものでしたけど、一気に読めて面白かった。「ゴースト」「椿山」なんかもそうですけど、余計なものはこさぎ落として、話をしぼってる分、わかりやすくてストレートに訴えてきます。それはそれでいい。
「ラブリー・ボーン」はもっと複雑で雑多です。だからその分、豊かです。ただ、だから映画化は至難の業というか、無謀ですよね。成功しているとは言えませんが、よくも失敗しなかったよと評価したい。むしろ原作に敬意を払って生かそうとしたから、中途はんぱになってるのかも。「L.A.コンフィデンシャル」なんかみたいに、原作は原作だけど、映画はもう別物、ぐらいに監督のテーマと色に染めかえてもいっそよかったんではあるまいか。

それとこの前町をぶらついていたら、DVDを安売りしていて、「渚にて」があったので、たしかキャラママがほしがってたしと、思わず買ってしまいました。1500円だったもん(笑)。これも「2012」だの「むかしのはなし」だのって最近終末ものが私たちの間で話題になってるからなのかもな。ニコラス・ケイジの「ノウィング」もDVDを見よう見ようと思いながらまだ見てません。
でも、キャラママとも話してたけど、「むかしのはなし」は面白かったんですが、「渚にて」を読んだり見たりした後だと、「地球の終末が迫ってるのに、なんで政府は人々に自殺用の毒薬を渡さないんだ」とも思うんですけどね。まあそうなったら犯罪とかが起こってしまうからなんでしょうか。「渚にて」は、その点でも古きよき時代の終末ものなんでしょうか。国民と政府と軍部が完全に情報を共有できてますしね。今思えばウソみたいな理想世界じゃん。

「2012」はその点ひどくて、国民ていうか人類の圧倒的多数は何も知らされないままに終末を迎えるみたいなかたちで、あれは私なら腹たつなあ。ああいう政府や指導者や世界は作りたくないよなあ…もうできちまってるかもしれんけど。

ゆきうさぎさん。
そのうち、梅見にうかがいます!

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カツジ猫