映画感想あれこれ動物救援サイトのアドレス(と、映画「ラプンツェル」感想つけたし)

◇再度アップしておきます。
カツジ君、「ぼくのしごとだ!」と怒らないでね(笑)。

被災動物たちを救いたい

東北地方太平洋沖地震犬猫救援活動

ゆきうさぎさんが教えてくださった昨日の「ひるおび!」は、余震(どーでもいいけど震度6とか7とか、それはもう余震とは言わんだろと言いたくなるのですが)のニュースが入ったせいか、時間がずれて、番組の最後に、かなりあわただしく放送されました。
それでも放送していただいて、ほんとにありがたかったです。

外を歩いている犬や牛の姿は多かったけど、家の中には猫なんかもっといるんだろうなと思って、息を殺して見ていました。
街並みがきれいで、それほど災害のつめあとがないだけに、首輪がゆるゆるになるほど、やせてしまった犬の映像がひときわ目にやきつくようでした。

◇ちぐはぐすぎる話ですが、ちょっと前に「塔の上のラプンツェル」の3D字幕が少し遠くで上映されていたので、電車で行って見てきました。
字幕と吹き替えの差はあまり感じなかったです。だいたい、ヒロインのご両親やウマやカメレオンなどの重要人物?は、せりふなしで、すべて表情としぐさだけで演技してるもんなー、だからあんまり影響はない感じ。声優陣もがんばってるし。

だけど、3Dはねー、もー絶対この映画は3Dで映画館で見た方がいいですよ! たくさんのランタンが空にのぼって行く、最高に美しいシーンがあるけど、3Dだとね、あそこでランタンが一個二個、すうっと目の前までただよって来るんですよ。もうほんとに、手でふれられそうに!
私のいるよな田舎だと、字幕はこの週末あたりで終わっちゃうかもしれませんが、とにかく、これは見て損はない。美しいし、楽しい。

で、(以下ネタばれ)私はあいかわらず、ヒロインが今までいっしょに暮らしてきて、それなりにかわいがってもらったかもしれない育ての親を、真実を知った瞬間、即座に拒否する、あの精神が大好きです、いやされます(笑)。
でもさ、ネットなんかで見てると、はたしてっつーか何つーか、「育ての親が死んだのに、あんなにハッピーエンドで幸せそうにしてるのに違和感」だの「それなりに、かわいがってたし、いい関係だったのに」だの「もっと、育ての親が、ひどいこと言ったりしたりする場面を、せめて最後に入れたらよかった、そしたら納得できた」なんて、とぼけた意見が多いのな。あ、まあ、わかるんだけど。そーゆー意見も出るとこが、この映画、憎くもすきなくも、ばっちり計算に入ってる、想定内の確信犯だと思うけど。

悪い、しいたげられた関係だったら誰だって切り捨てるのは簡単でさお客さん。黒人奴隷と主人だって、植民地だって、拉致監禁された相手とだって、虐待される子どもと親だって、そこには必ず喜びも愛も信頼も生まれてしまう。人間だもの、そうしなきゃ生きていけない。

決定的に許せない、裏切られた、とわかった時に切り捨てるのは、だから、相手との悪い思い出や、悪い関係だけじゃない。いい思い出も、いい部分もいっしょに切り捨てなくちゃいけないのが、キビシイし、つらいし、でも避けては通れないことなんだってば。

あの魔女が再三ゆーでしょ。「私を悪役にしたいの」「悪役は私なのね」「どうでも私を悪役にしたいの、そんなら悪役になるわよ」って。してきたこと考えたら、スタート時点であんたしっかり悪役じゃんと思うわけですけど、彼女は自分もだましてるんでしょーが、「私がこーなったのは、あんたのせい、私の方が被害者」って、自分の犠牲者にプレッシャーかけて、トラウマ作ることめざしてるんだよ、ほろぼされる置き土産に。もー、そのくらい見抜けよな、彼女に同情する皆さんよ。あ、いかんいかん、またしても「グラディエーター」のコモドゥスその他もろもろ、この種のアホを思い出してしまった。

どんなに恩恵受けてようが、親しい関係にあろうが、それを切り捨てなきゃ前に進めない、自分はまちがった情報しか与えられてなかったってわかった時点で、情け容赦なく、雑にでも乱暴にでも、そんな絆は断つしかない。
「世話になってたでしょうに、養ってもらって、それなりにかわいがられてもいたんでしょうに」と、ヒロインが育ての親を切り捨てたことを責める人たちは、キャラママさんが言ってた、原発の電力を使っていい思いしてたんだから、文句を言うのは筋ちがいと言う人たちの感覚とまったく同じで、人が良すぎる、やさしすぎる、そう考えることで、ひどいめにあった人たちを更に傷つけ苦しめることに、まったく気づいてない。あの魔女みたいな存在は、そこにつけこむんだよったら。…って、また「ラプンツェル」の話が原発問題になってしまうのは、いったいどうしたことなんだ。

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