映画感想あれこれ映画「塔の上のラプンツェル」感想

時間が合わなかったので2Dで見て、近場で字幕がなかったので吹き替えで見て、それでも大変楽しかったので、ぜったい3Dの字幕で見たい!と思うのですが、さてどこでやっているのか。3Dの吹き替えでもう一回見て、そのあと字幕でやってるとこが見つかってまた見るはめになったりしたら、いくらなんでもアホだよねー。

友人キャラママによると、江戸時代の妖怪の一つに「毛女郎」というのがいて、髪がやたら多くて長く、ていうか髪だけで顔も見えないんだそうで、遊女屋の廊下の暗いとこにじーっと立ってるだけで、別に悪さはしないらしいんだけど、やっぱ恐いっちゃあ恐いですよね。
それでなくても髪って無気味なもんではあるので、それが長くてのたくってて、塔から下ろす避難ばしごになるっていうのは、大変な設定ですが、そのちょっとした無気味さもうまく使って、大変魅力的なヒロインでした。明るくて元気で賢くて、世間知らずで、あれは育て方もよかったんじゃないかと、ちょっと考えてもしまうわけですが。

うねりまくる長い金髪が武器になり道具になるのも快感だし、情ない王子役の盗賊もいい味出してるし、おなじみの動物キャラではその名もマキシマスという硬派でマッチョなウマが大活躍で大いに笑えます。
もしこれが、「グラディエーター」のヒーローを意識して同じ名にしてるんだとしたら(そうに決まってる気がする)、楽しいけど、あの人間のマキシマスはもっと複雑で無気力?でこんな単純じゃなかったと思うんですが、ま、いいや、そんなのは。

ヒロインの両親もいかにももの悲しげで優しい表情がよくできていて、でも、(以下はネタばれ)育ての親の魔女がねー、なかなかの名演で、それだけにラプンツェルが真実を知ったとき、ばしっというか、ばきっというか、一瞬のためらいもなく彼女を切りすてるのが、豪快というかさわやかでもう、この映画の私が一番好きなところかもしれん。その場面がというんじゃなくて、どういうか、その設定が、その背骨が。

よく言われるように、おとぎ話の継母は、実際の実の母の投影なんでしょうから、あの継母の魔女みたいな実のお母さんはきっと世間にやまほどいるし、あれが男の子でも同じかもしれない。で、この映画の今風の味つけ、メッセージは「そんな親とは手を切りましょう、イェイ!」ということなんだろうと思うから、当然ああなるし、あれでいいんだろうけど、でも私は(それはよかれあしかれ、これまでのアメリカか欧米の映画にずっと感じてきたことだけど)、どんなになじんで親しんで世話にもなった相手でも、許せないことがあったら、即きりすてて後悔もせず、新しい生活に飛びこんでふりむかない、という精神があらためて、あー、最高!とうっとりしました。

それでもう、まるで見る気も読む気もなかった「八月の蝉」が気になって本を買って読んでしまいました。まー、あれも塔にこもるんですね、一種の。でも(ネタばれよん)主人公はまだ幼いとき、育ての親とは別れるんで、まあその点からもあまり比較にはならなかったんですが、解説でええとええと度忘れしたけど、男性の方が書いておられた、乳児や幼児を育てる喜びは男女を問わず、まさにそうだと思いました。

ちなみに、でも、だからこそ、女性が子育てを押しつけられてもそれが不快なだけなら拒否もできるけど、楽しくもあるところが難しいんだよなーと、いつも考えることを思いました。多くの女性がそうやって仕事をあきらめて子育てに専念するわけなので、まあ、その喜びを味あわせてもらえない男性も気の毒なのかもしれないけれど。その点にもふれた、とてもいい解説でした。

今回の特に原発事故で、赤ちゃんや子どもを連れて避難する家族も多く、私が親でもそれはそうするだろうなあと思う一方、まず大半は絶対に、母親が子どもとともに避難する、母親だけがそうするケースが圧倒的に多いのだろうと思うと、この災害で仕事を捨てざるを得ない女性がものすごくふえているんだろうなと思います。
ただでさえ、ぎりぎりの状況で歯をくいしばって子育てし、自分の生きがいの仕事をつづけてきた人たちに、この事態は苦しい選択をせまっているにちがいなく、その点でもなんかもう、くやしくてなりません。…って、なんでもう、ラプンツェルの話からまた震災の話になっちゃうんだよー。

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カツジ猫