映画感想あれこれ3:10後遺症
天気予報があたらないのはこんな時にはうれしいけどさ、あんまり寒くもなかったですねー、特に今日なんかは。
「3時10分、決断のとき」の後遺症その1。口ひげなんかとてもきれいで見るからに文明人の都会人の紳士で、あんなん西部を旅してたらまっさきにすぐ死にそうな割には、けっこうがんばって生き残りつづける西部のビジネスマンバターフィールドさんが、見るたびだんだん気になってきて、だってこの人、特に最後のどたばたのあたりでは、観客の代弁者のような「そこにいて、見る人」という大事な使われ方してますよね。
だいたいまあ、この映画、脇役までがものすごくいい俳優使ってるのか、最初に襲われる駅馬車に乗ってる男たちも、撃たれたらすぐ交代して危険な位置で撃ち返しまくるし、最後の駅の駅長も、えらいよねー。周囲で銃撃がたけなわで、血なまぐさい男が二人ころがりこんで来ても、時間聞かれて「3時10分だ、汽車は遅れてる」とかちゃんと返答するんだもん。
まあ、当時は実際そんなもんだったのかもしれませんが、一般人でも普通の市民でも、ただの普通の仕事してても、普通に命を張ってなきゃつとまらなかった世界が画面から伝わってきます。
で、つれづれなるままにパンフレットをめくっていたら、バターフィールドさんは、海外ドラマの「Lの世界」に出ているそうな。「デスパレートな妻たち」も「LOST」も100円で借りられる旧作分のDVDを見てしまって、何か他のシリーズないかなとちょうど思ってた時なので、見てみようかと思ってます。
後遺症その2。映画の原作はエルモア・レナードの小説とかで、文庫本も出てるというので、今日福岡のジュンク堂でさがしてみました。
時間がなくてあわててたせいか一向に見つからず、音を上げてカウンターで「エルモア・レナードの文庫本で今すぐ買えるのありますか」と大ざっぱすぎる注文をしたら、担当の男性がうやうやしくパソコン打って「ただいまお調べしておりますのでお待ち下さい」と言うもんだから、どうせないんだろうとたかをくくって、そのへんのシャーロック・ホームズの料理本とか赤毛のアンの料理本とかつまみ読みして遊んでたら、ほどなく別の背の高い男性店員が目の前にあらわれ、「お客さま、これだけありましたがいかがいたしましょうか」だと。見たら10冊ほど両手にかかえてる。その間まさに数分ですよ。どうやってさがし、どうやって見つけたんだろ。
ジュンク堂って時々むかつく店員がいて二度と買うもんかと思ったりするのだけど、今回はさすがに立派なもんだと感心して、せっかく集めてくれてるのをバラバラにするのもしのびなくて、「あ、全部買うわ」とひきとってしまいました。
そのまま買って帰ってきて、まだ見てもいないのだけど、きっといろんな出版社ので中身が重なってるよな、やな予感がする。
それでなくってもこの前書庫を整理したら、文庫本の三分の一とまでは行かなくても五分の一は確実にミステリとSFだったのに、われながらあきれはてて恥じ入って、もうちょっとは古典でも読もうと決意したばっかりなんだけど。
でも実際、このところいろんな作家の表現や調査や実験が、普通の小説よりミステリとSFで花開いてるような気がするんだよね。昔からかな、そんなの、それとも。
いっしょに買ったジル・チャーチルの新作なんかでも思うけど、こういう主婦探偵ものって、どう面白くてもこう毎回普通の町の普通の家で殺人や犯罪が起こるっていう不自然さはぬぐえない。でも、その背景となる日常生活の描写やなんかが楽しくて面白くて勉強になって、つい読んでしまう。
こういうのって、もはや犯罪を登場させなくても普通にある町や主婦の話として書けそうな気がするんだけど、そうならないのがやはりミステリの持つ要素が何か必要なんだろうな。
第一、昔だったら、今でも戦時下では、それこそ日常生活だって殺人や死体にあふれてたわけだ。平和な時代を描くのは、それに比べるとたしかに難しいんだろう。
(次に続きます。)