映画感想あれこれ映画(と小説)「武士道シックスティーン」感想

「赤ずきん」の映画の内容がどんなのか、まったく見当がつかないのと、紙兎ロペのふぬけたしゃべりが何だか聞きたくなって、映画館に行こうかと思ったけど、時間がないのであきらめて、近くの本屋で気軽に読める本を物色した。前にテレビの深夜放送でちょっと見た「武士道シックスティーン」が面白かったので、その原作と続編の「武士道セブンティーン」と買ったら、2冊ともあっという間に読んでしまって、時間つぶしにもならんかった(笑)。

でも、いい小説だ。
私が映画を見て一番感じたのは、しょーもないことなのだが、2人の少女がたたずむ、どってことない、どこにでもある草っ原の緑の美しさだった。それはカメラマンをほめるべきなのかもしれんけど。
以前、黒澤明の「夢」を見たとき、第何話だったかのお雛様が人間の姿で出てくるやつ、まるで感情移入できないを通り越して、すごくイヤだったのは、雛たちが立つ枯れ草混じりの田舎の土手の斜面が、ちっともきれいでなかったことだ。枯れ草になっても何でも、田舎のああいう場所はとても美しい。それを人間化した雛の無気味さとともに表現してくれなくっちゃとイライラした。

もっとも、これは自然に恵まれ過ぎた環境で過ごしてきた人間の感覚なのかもなあ。
福島の放射能汚染を告発した、このブログでも紹介した、例のNHK教育の番組、2ちゃんねるの実況で、何人もが現地の風景に「きれいなところなのになー」と声をあげていたのが印象的だった。たしかにきれいだが、別にそう言うほどもなくふつうじゃんと、昔も今もそういう風景のまっただなかで生きてる私は思ったわけで、そこには「何そんなこと今言ってるの」という、軽い驚きさえあった。
この前見た「パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉」でも、肝心のその神秘的で美しい泉の周辺の風景が、ヒロインたちが「美しい…」と感にたえたようにつぶやいてたわりにゃあ、これまた私には、え、そんなのそのへんにけっこうあるじゃんという感じだった。だいたい、インディ・ジョーンズ系のどんな映画でも、この究極に神秘的な理想郷、というやつが、私にはいつも昔遊んでいた、そのへんの裏山に見えて、さんざん苦労して行った結果が、うちの裏山かよーと何となく思ってしまうのが、我ながら不幸だ。

でも「武士道シックスティーン」の場合、別に普通の小都市で、草原もほんとにどこにでもある、ただの空き地だったのに、その緑の雑草のみずみずしさは、風と水の匂いさえただよってくるようだった。2人の少女を演じた俳優もよかったし、映画全体もとてもうまくできていたから、それともあいまってのことだろうが、私自身の高校時代の友人たちとの毎日が、その時の気持ちが、全部ふうっとよみがえるほど、あの野原の草が風にそよぐ、ただの、普通の背景のシーンはすばらしかった。

少女っつうか女性が戦闘能力があって、その方面のスポーツでストイックな努力をしている話は、女子プロレスを描いた桐野夏生「ファイアボール・ブルース」(だったと思う。タイトル合ってるか自信ない)もそうだったけど、ほんとに清々しくて困る(笑)。別に戦闘系のでなくてもスポーツでなくてもいいんだろうし、そういう題材あつかったからって、全部が私の気に入るような作品になるわけではないだろうけど、桐野夏生の作品の中じゃ私はあれが一番好きだし、「武士道」シリーズの魅力も、たしかにそれと共通すると思う。

登場人物も皆魅力的だし、好きなシリーズができたのはうれしいな♪
ひとつ、いちゃもんをつけるなら、無理もないけど、「セブンティーン」の方の福岡の方言がなー。うまいんだけど、ときどきおかしい。あ、私も福岡や博多や北九州の方言、よくはわからんのだけど、地元の出身じゃないから。
でも、吉野先生が70ページで「おまえのコウモトの、コウの字は、どういう意味ばい」っていうのは、やっぱおかしいよ。多分そこは「どういう意味な」でしょう。「どういう意味や」かな、せめて。
方言を自由自在に使いこなして、使いたおしまくってた大西巨人の「神聖喜劇」の快感が、あらためて思い出される。
当然、誰かチェックしたんだろうに、惜しいよなー。

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カツジ猫