映画「アナと雪の女王」感想集映画「アナと雪の女王」感想(おまけの6)

まったくこの分じゃ、おまけその20ぐらいまでは行くのかもな。まあいっか。

もうだんだん、映画の話からは離れて行きそうな気もするが、いろいろ整理するつもりで書いておきたい。
私が何となくしっくり共感できてないひとつに、そりゃもう偏見と言ってくれてもいいのだが、あれだけの強烈な(一国全部凍らせるような)魔力を、エルサのような人が持てるわけがないという実感がある(いやー、偏見だな、やっぱりこれは)。

魔力や才能に(いっしょにするかね)理由求めたってしかたないから、それはもう、生まれつきで天が与えたものだとしてもいい。妹を傷つける前のエルサは、それを無邪気に発揮していた。
もしあの不幸な事故がなかったら、エルサの魔力は順調にすくすくと発展して行ったのだろうか。それとも、大人になるにつれて薄らいで消えたのだろうか。トロールたちの予言からすると、前者であるような気がするが。

宣伝の効果はさておくとして、これだけ人をひきつけ共感させたからには、エルサのあの能力と、それを封じるしかなかった日々と、それを公開し解放せざるを得なかった恐怖と喜びとは、多くの人に共有できるものであったにはちがいない。
そんなに多くの人が、自分や身近な存在にひきつけて理解したエルサの魔力とは、たとえばどういうものと重ねあわされたのだろうか。

私は美貌も腕力も知性も能力もすべて、「人より抜きんでた」「人とちがった」才能とは、どんな場合も例外なく、ある種の弱点であり障害であり恥部でもあると思っている。たとえ今は運よくたまたま、攻撃も差別も排除も利用もされないでいるとしても、いつそうなるかわからない危険性を常に秘めていると感じている。

計算が早い、足が速い、文章がたくみ、歌がうまい、絵がうまい、そういったことのすべてはそういうもので、それらをエルサの魔力と重ね合わせて理解する人たちも多いだろう。
しかし、そういう、明らかに人より優れた何かということではなく、ただ、人とはちがっている、それを知られればうけいれてもらえない、かくし通して皆と同じふりをしていなくてはならない、そういう程度、そういう種類のこととして理解した人も多いだろう。いきなりだが女装癖とか。SMとか。同性愛とか。エイズとか。ハンセン病とか。出身地とか。国籍とか。出自とか。大阪でのジャイアンツファンとか。広島でのホークスファンとか。博多でめんたいこが嫌いとか。(だんだんばかばかしくなるからやめよう。)

異質なものをいやがるのが、どこまで人間の本質なのか作られたものなのか、私にはわからない。
だが、とにかく、人とちがったものが警戒嫌悪拒否される社会、そういう社会を快適と感じて望む人たちは、見渡す限りすべての人が、皆、同じ基準で同じ目的をめざして生きていると思っていないと安心できない。最高、最終のゴールがどこかにあって、自分もふくめてすべての人は、それをめざして進んで行く、その線上のどこかにいると思っていないと安心できない。
ゴールできない人、ゴールの近くにいない人は、ただ、そこに行けなかった負け犬である。強くない男、美しくない女は、ただ、基準に満たない存在として、二流三流の粗悪品としてだけ認識される。そういう、わかりやすい世界にするためには、ものさしはたった一つでなければならない。すべての人を例外なくランクづけしていなければ、自分自身がその中で、どこにいるかを確認していなければ、つかの間も安心はできないのだから。

世界を凍らせる選手権でもあれば、エルサは当然最高だが、そのものさしで並べようにも(多分)大抵の人は、そういう能力がまったくないから、エルサ以外は皆最下位で、これではランクづけができない。同じ程度の人間同士で、同じ線上で競い合い励みあうことでしか、努力する気力を持てない人には、こういうものさしは魅力がなく、使う意味もない(まあたしかに意味はない)。

実際には、人の好みも目的も、人の数ほどあるのだから、そんなゴールも、ものさしも、幻想っちゃあ幻想だ。だがその幻想に多くの人がしがみつくほど、自分にそんなゴールはない、自分はその線上にはいないと宣言するのは難しくなる。そして皆が、誰かの作った基準に合わせて、ふつうのいい子になろうとする。エルサに共感し、その運命に泣いたのは、そういう人たちが多いのだろう。

それはともかく、「人よりすぐれていること」と「人とちがっていること」は、似てはいるけど、同じではない。そしてかなり多くの場合、本人にも、そのどっちなのかはわからない。ただの「みにくいアヒルの子」なのか、それとも未来の白鳥なのか。
そして、実際には白鳥になれないみにくいアヒルだって、ちゃんといるわけだし、白鳥になったらなったで、みにくい白鳥だっているだろう。
いやつまり、「人よりすぐれていること」にも、「人とちがうこと」にも、それぞれに、さまざまな問題や課題があって、決してそう単純なことではない。
しかし、この映画の、エルサの魔力は、その二つをいっしょにしてしまっている。もしかしたら、あえて。
だから、たくさんの人に共感されたのだろう。しかし、私のような人間はとまどわされるのだろう。

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カツジ猫