映画「アナと雪の女王」感想集映画「アナと雪の女王」感想(おまけの7)
エルサの両親がアホだというのは前にもちょっと書いたけど、彼女が妹を、それも事故で傷つけたぐらいで、彼女を隔離し、自分たちも国民からお隠れになり、あげくにそこまで囲いこんだ娘をおいて長期旅行に出ちゃうというのも、つくづく根性も知恵も責任感もない国王だというか、この映画の特徴だけど、何考えてんのかようわからん人たちではある。まあ若いんだろうし、心を病んだ娘の介護疲れで旅もしたくなったんだろうとでも思っておくしかないんだろうか。
この両親がこういう反応するから、幼いエルサは当然自分の能力が、危険な病気と感じてしまう。しかしまあそんなことに、まともに怒ってもしょうがないが、親はこういう事故が起こった時、エルサに対して「何でもないよ」という態度をとってやることが基本中の基本じゃなかろか。私なんか、その昔、最愛の猫キャラメルが、けんかか事故かで、かたっぽの目の玉を飛び出させ、顔にぶらんとぶらさげて、朝っぱらからのそのそ帰ってきた時も、とにかく騒いで動揺させてはいけないと、脱力した低い声で「やれやれ、キャラ」とかつぶやきながら、静かに病院に電話したぞ。(ちなみにお医者さんが、目の玉を押しこんでまぶたを縫ってふさいでくれて、その上から何週間か薬をすりこんでいたら、目はもとどおりになりました。ちゃんと見えてもいたようで、死ぬまで不便はなさそうでしたよ。)
娘を溺愛していたら、もうちょっと何かやりようはあろうと思うんですが、じゃあそこはあきらめるとして、国王としてもこの人は逆に欲がなさすぎると思うのが、娘がああいう能力を持っていたら私が父王なら、妹の一人や二人傷つけても気にもしないで、国を守って発展もさせる最終兵器として、エルサの能力を開発利用させるのに特別予算をつけますわな。まあ、それはそれでエルサにとっては別の不幸なんでしょうが。
つまりさっきの、「人よりすぐれた能力」とあの魔力をとらえた場合、エルサはともかく、父や周囲が、それをすばらしいと思わないで、危険なものとしてひたすら抑えこもうとする、って、これも愛情面から見ても、逆に現実的な政治面だか社会面から考えても、すごくおかしな気がしてしまうんですけどね。女装癖とか手足の欠損とか不治の病とか、そういうのに対してしそうなこと(してはいけないことですが)なら、まだ納得がいくけども。あんなすごいパワーを利用しようともまったく思いつけない王や側近なんて、政治家として人の上に立つ資格ないですよ。
そういうところも、あの魔力が、きっちり描かれてないし、伝わってこない一因です。
それと、これは、あの魔力を「人よりすぐれたところ」つまり絵画や音楽や文学や科学の才能としても、「人とちがっているところ」つまり女装癖とかアル中とかと考えても、どっちでも共通することと思うんですが…エルサは自分の「凍らせる力」を好きなんでしょうか嫌いなんでしょうか。いくら映画を見ても、そこがはっきりしないんですよ。
幼いころは、もちろんそれは無条件に好きだった。でも最愛の妹を傷つけるわ閉じ込められるわ城は閉鎖されるわとなると、当然もう無邪気に好きにはなれないでしょう。でも問題はその後です。
音楽の演奏、絵画の制作、プロレス、野球、ダンス、文章表現、その他いろいろ、幼いころにも成長しても、「それで金が入る」「喝采される」「人に好かれる」「人を幸せにする」という成果で、それが好きになってるということは当然あります。だけど、そういう評価とは無縁で、あるいはそれがもうなくなってしまって、またはそういう表現をしたら攻撃される苦しめられる命をとられるということになってもなお、「でもやめられない、どうしても」という、その活動そのものへの情熱と愛情が、きっとあるでしょう。
エルサは、そういう意味で、「凍らせること」が好きだったのでしょうか? たとえ妹を殺しても、これはやめられないと思うほどに? そこまではないにしても、どこまで、どの程度? 私にはそれがわからない。まったく、全然、わからない。まったく映画はその点を、わざと見せないでいるのだとしか思えない。
あらゆる創作活動には、毒があります。たとえ世界を滅ぼしても、愛する人を殺しても、いい絵が描ければ、小説が書ければ、音楽が生み出せれば、そっちを選ぶという狂気が、芸術家や科学者なら誰でもある。エルサはその点、どうなんでしょう? そういう狂気がなかったら、そもそもあれだけの魔力は持てない(獲得できない、じゃなくて、維持できない)と私には思えてならないんですが。
彼女が髪振り乱して生き生きと生まれ変わって氷の城を作ってるのを見れば、答えは明らかだと皆が言うでしょうね。彼女はあの力を国や妹以上に愛しているのだと。でも、あれは彼女が何かをふり捨てて選んだ道じゃないのですよ。失敗して追われて(厳密には勝手に逃げたんですが)、しかたなくやってることです。そこが卑怯で中途半端で、ごまかしだって言うんだよなあ。「好きでやってるんです!」と言いながら、「こうするしかなかったんですう!」って逃げ口上が、いつもぴっしゃり、はりついている。悲劇のヒロインと戦う女を、同時に演じようとする。その小賢しさがキライなんです。
それにしても、彼女はあそこで、あれだけのものを作れる。それどころか、逃げる際に、国中を凍らせてしまう。だから、ものすごいパワーはたしかにある。でも、そのパワーの源が私にはよくわかりません。
私の固定観念から来る狭い常識かもしれませんが、あそこまでのすごいものを作り出し生み出すのは、「愛情」か「憎悪」か「恐怖」です。エルサは最後に「愛だわ」とか言って悟りを開くんですから、あの時点では国民とか家族とかそういうもののために自分の何かを犠牲にしようということはないはずです。もし「愛情」があるとするなら、それは「凍らせること」そのものへの、激しい強い情熱でしょう。でも、この点で彼女はずっと懐疑的で消極的だったように見えるのです。
仮に、あの時点で「妹などどうなってもいい。私は氷があれば最高に満足!」と彼女が言ったとしても、誰も信じません。「妹なんか死んでも、いい氷細工が作れれば幸福!」と言ったって、当のアナを含め誰も信じません。「皆のことを思うから嘘言ってる」と思い、「自分を悪者にして世界を救おうとしてる」としか思いません。
はい、非常に唐突ですが、だから薄汚いと言うんです(笑)。私は自分でも時々やるからわかるんですが、最高の詐欺師は、本当のことを言っても、皆が信じないで勝手に嘘を信じてくれる。ですが、その報いには、自分自身も何が本心か永遠にわからなくなる。ざまみろ(笑)。
エルサは、あの場に及んでも、やっぱりいい子でいたいんですよ。イコール、つまり、制作者は、彼女をいい子にさせておきたいんですよ。彼女は世界や家族がどうでもいい、氷の魔法にとりつかれた魔女じゃない。迷って、つらくて、開き直ってるだけで、こんな彼女は本当の彼女じゃない。そういう逃げを打っておきたい。
でも、そんなうじうじ迷ってる、フツーのかわいい女の子に、あんな城が作れますかねえ? ましてや国を、しかも無意識に(はっ、どこまでカマトト、おんどれは)凍らせられますかねえ? そこがもう、決定的に不自然なんです、この話は。
「愛情」でないんだったら、あのパワーの源泉は、「憎悪」か「恐怖」ですよね。そりゃ、幽閉された孤独の間に、自分でも気づかない家族や周囲への憎しみが、つもりつもって、あれだけの力になったんだとすれば、それはそう不自然じゃないし、何とも非常に恐い話じゃありますけど、納得はできる。
でも、彼女の表情やことばからは、そんな憎悪は浮かび上がらない。それだけじゃない、前にも言ったように、あの凍った国の雪景色に、そんな憎悪や恐怖の産物らしい、ねじくれた不気味な悲しさは皆無なんです。ほんとに、ふつうのきれいな雪景色ですやん。
それも、彼女が感じ悪くなるのを恐れて、そうしたんでしょうが、おかげでエルサは狂気でもなきゃ残酷でもない、優しいかわいい女性になって、あの城だの国の凍結だのという強大なパワーを生み出すのに、まったく力不足な存在になってしまっているんです。
あ、やっぱり、「6」の最初に書いた、エルサのような人に、あんな強大な魔力が持てるわけない、っての、私の偏見じゃないかもしれない(笑)。