映画「アナと雪の女王」感想集映画「アナと雪の女王」感想(おまけの14)
◇何度もお断りしときますが、すでに映画の感想というよりは、私の生き方?についてくっちゃべるシリーズと化しておりますので、映画ファンの方はあしからず(笑)。
先日、Yahooの感想欄で、この映画が好きな方が、「キライキライと言いながら、細かく見てはあらさがしするのは結局好きなんじゃないか」と言っておられて、まあそれもありますけどねー、でも好きでからんでるっていうのも、この映画と私の場合ちょっとちがうなあ。
私の祖母はもうずっと前に92歳で死んだのですが、最後までどの程度ぼけてたのかどうか、周囲に悟らせなかったようなところがあって、そもそも見るからにほっそり小柄でひよわで、30歳ぐらいの時から死ぬ死ぬと言っていたのに、その年まで生きたような人で、無口でひかえめでにこやかで優しくて、ヤマトナデシコを絵に描いたようでしたが、その実は亭主関白でわがままで暴君だった祖父よりも、よっぽど肝が据わっていました。
何でも、夜に物音がすると祖父は恐がって、祖母を起こして「見て来い」と言い、祖母はさっさと確認しに行って「何もいませんでしたよ」と報告していたそうです。
母がよく言っていたのは、母たちがまだ子どものころ、帰宅した祖母が「今そこで、火の玉(人魂)が飛んでいるのを見たよ」と話し、少ししてから、「どうも気になるから、もう一度見て来よう」と言って出かけたという思い出です。
「おばあちゃんはすごいと、あの時つくづく思ったよ」と自分もたいがい普通じゃないぐらい、恐いもの知らずの母がくりかえしていたものです。
私は祖母にも母にも遠く及ばないビビりなのですが、「アナと雪の女王」が不快で気味悪いのに、なぜ、どこがそうなのかを確かめずにはいられなくて、何度もこうして書いてしまうし、あまつさえ、あろうことか、何度も見てしまうという気分は、どうも祖母が火の玉を確認しに再度出かけた気分と同じような気がします(笑)。やっぱりどこかに共通するDNAがあるのかもしれない、と一族の血の絆を妙に意識してしまったりして。
◇そもそも、そろそろエルサのことばっかりじゃなくて、アナのことも書かないとなあと思い、そうすると私はアナのことなどほとんど気にして見てなかったのにあらためて気づき、やっぱりもう一度見ないと悪口は書けないなあと思ったばっかりに、この忙しくてお金もないのに、昨日予定をかいくぐって三回目を見てきました(笑)。
まあ、やっぱり見てよかったですね。最初も二回目も、「これだけ評価されるんだから、そんなにひどいはずはないけど、でもよくわからんなあ」などとぐちゃぐちゃ考えていたので疲れて、いろいろ考えてる内に見落としたり見逃したり頭と目が拒否したりした場面も多くて、ようやくいろいろ気持ちを整理できました。
まったくもう、自分で自分にご苦労様としか言いようがない。
でも弁解すると、それだけこの映画(今さらですが、ファンの皆さんごめんなさい)しっぽがつかみにくいんですよ。どこがどう嫌いなのかさえ、とても説明しにくいし、言えば言うほど自分が悪人のような気がしてくる(笑)。
私が「赤毛のアン」のモンゴメリーを少々の偉大な文学者よりも、はるかに高く評価して「この人はすごい」と感服する理由のひとつは、「アンの幸福」だったかな、彼女が小さい学校の校長先生をしてる時代(「柳風荘」ってとこに下宿してたとき)に彼女を崇拝してつきまとう、ヘイゼルっていう若い娘さんの描写です。彼女は夢見がちでおしゃべりで、昔のアン自身に似ているのでアンはかわいがっているのですが、下宿のメイドのレベッカ・デューは「私はあんたの昔を知りませんけど、あの娘とあなたとは似てなんかいなかったと思いますよ。結局あの子はクリームのまねをする脱脂粉乳にすぎませんよ」とか言います。
彼女は結局アンを手ひどく裏切って、しかも自分が被害者意識にどっぷりひたり、アンは自分がヘイゼルに持ち上げられていい気になっていたことも自覚して反省しつつ、彼女の正体を見抜きます。
いやー、私、小中高ではそんなことなかったし、まあ大学時代もなかったんですが、その後就職してどういうか、ちょっと安定した職場や評価を得たあたりから、妙にこういう女性に好かれることが増えました。
口をきわめて私をほめる。返す刀で自分もほめる(笑)。私と自分が似ていると言う。私とちょっとでも長く居たがるけれど、そのこと自体よりも「それだけ一緒にしていろんな話をした」という事実を作りたがる。とかまあ、いろいろあるんですが、結局どう考えても自分が好きで、でもどういうか、それをあらわにして人に嫌われるようなことはしない。
あ、周囲もけっこう、私とその人が似てると思ったり言ったりすることが多かった。でも結局私はその人といても楽しくはなかったし、その人に魅力も感じなかった。
今思えば、小中高から大学の友人、家族から私はもっときちんと激しく愛されて傷つけられも傷つけもしていたから好みがぜいたくになってたんでしょう、ありがたいことに。
そういう、なんかこう、どこか私に似てるけど決定的に何かがちがう、やたら私を崇拝する人っていうの、私はそれまでたいがい文学作品を読んでいたけど、見たことなかった。モンゴメリだけでした。荒削りでも大ざっぱでも、とにかくまちがいなく、あのタイプの人間というのを描き出してくれたのは。だから私はいまだにモンゴメリという作家に感服し、深く尊敬しています。
言っときますが、もっとバカで非常識で私を傷つけたりした人は男女を問わず、いくらでもいます。でも私、そんな人の方が、このヘイゼルタイプよりははるかにましと、いつも思ってるんですよねえ。
そして一番困るのは、こういうことを私が書いたり言ったりすると必ずと言っていいほど、全然、絶対、そんなタイプじゃない人が「あ、私のことだ」と落ち込む一方、ヘイゼルタイプの人は確実に1000%、自分のこととは思いません。難しいものですねえ。だからもう最近では私は説明するのはやめてます。気になる人は「アンの幸福」読んでみて下さいな(笑)。
で、この映画の主役二人も、この映画全体も、見れば見るほど、考えれば考えるほど、ヘイゼルのような女性を相手にしているときの気分にすごく近い、もどかしさ、いらだたしさ、気味悪さを味わうんです。正体をあばけない、そもそも正体なんてない、にせものと向き合っているような。
ううむ、本題にも入らないうちに時間切れか。いったん切ります。