映画「アナと雪の女王」感想集映画「アナと雪の女王」感想(おまけの5)
そもそも、あのエルサが氷の城を作る場面で「ありのーままにー」と共感して合唱したくなる人たちって、いったいぜんたい、どういう心情なんでしょうか。どっからどう考えても、あの場面から前向きの力強さは生まれちゃ来ないと思うんですが。
エルサはええかげんに描かれてる分、誰もが感情移入できるユルさもたしかに持ってます。やかましいこと言わないで勢いの気分のノリで「私と同じねー」と言っちゃうんなら私も言える。すでにもう、この「感想」の文章すべてがそうですが、この映画を愛した人たちをきっと私は傷つけている。エルサの氷のかけら同様、人の心を凍らせている。
女性の権利について、集団的自衛権について、原発の再稼働について、親しい友だちや優雅な奥様たちとの楽しいお茶会で語りたくても語れない、語ればしらけて、皆を不幸にしてしまう、だから沈黙するしかない、そんな苦しみや孤独を毎日毎分私は味わう。
私の本音を口にし、真剣に考えていることを訴えれば、周囲はそれこそ凍りつき、人によっては深く傷つく。そういう点では、ふれるものすべてを凍らせる、愛する者を傷つける、幸福にしたい相手を幸福にできない、そんな孤独と悲しみはいつも私と同居している。
本音を聞きたい、本心を言え、本当の姿を見せろ、そう私に要求する人に対して、私はいつも、あんたは私の正体を知ってそう言ってるのかと問いかけたい。私があなたを信じて自分を見せて、その結果、あなたがそれに耐えられるか、世界がそれに耐えられるか、あなたは保障できるのか。そんな覚悟もないくせに、本当に恐ろしいものなどまだ見たこともないくせに、責任もとれない要求をするな。そう詰め寄って、なじりたい。
実際には私はそんなに相手を信用してませんから、にっこり笑って、あらーこれが私よ、ひっくり返しても何にもないわーと言います。もうこのトシになると、そもそもそれ以前に、そんな質問をさせるすきなど作りません。氷の部屋に閉じこもり、雪だるま作って遊んでます。
ええ、ええ、エルサと重なる部分なんか私にはいくらでもありますともさ。
でも、だからこそ、あそこで正体暴露して逃げ出した彼女が、自分の能力発揮して氷の城を作る場面で、私は何の高揚も、カタルシスも感じない。せいぜい思うのは、「あー、皆に背を向けて孤独に生きるなら、まずもって、そんな目立ちまくる城なんか作っちゃ危ないでしょうが」ということやね(笑)。
監督や脚本や制作者サイドが、あの場面をどーゆーつもりで作ってるのか、感動していっしょに歌おうかっちゅう人たちがどーゆーつもりでそうなるのか、私はどうもわからない。あれはどう転んでも、「どう思われてもいい、私はもう私らしく生きるのだ」なんて力強い宣言じゃない。ちらっとそう見えなくもない描き方してるけど、やっぱりあれは、「もう疲れた、誰ともいたくない。人とふれあったら傷つける。一人でいるのが一番楽だわー」でしょう、せいぜいが。
その気持ちも、これまた私はよくわかりますよ。猫もふくめて最愛の人間もふくめて、幸福な時間陶酔した時間快感に身をまかせた時間すべてを含めて、私は他者といるのは大きな幸福ですが、一番好きなのは一人でいる時です。愛さえも、快楽さえも、素晴らしいものほど疲れもする。人とのかかわりはすべて、相手を大事にするほどに私にはどこか仕事で、一番幸せを感じるのは、そういう人間関係もある上での、孤独です。いやもう、ひょっとしたら、なくてもいいかもなあ。
あの場面に共感してる人たちの中には、その両方が…「一人で好きに生きる」という力強い宣言と、「無理をするのはおしまい、もう疲れたの」というため息とがあるんでしょう。もしかしたら一人の人の中にさえ、それがごっちゃにあるのかもしれない。
でも、そのいずれにせよ、私はそういう、力強くあるべき「好きに生きるわ」宣言や、ため息まじりの「そっとしといて」お願いが、ああいう、敗北と逃亡の中で、弱音と先の見通しのない絶望とからまって歌い上げられるというのが、ほんと許せんのですよ。制作者はいったい何を考えてるんだと思う。「ありのままに」生きることの大切さ、「ひとりにしておいて」という願いの切実さ、それは私に言わせれば、勝利と幸福の中で歌わなければならない。たとえ歯をくいしばっても、敗北や逃亡の中で歌っちゃいかんのです、あの歌は。
なぜかって?わかりませんか?(と、ほとんど私は絶叫する) まっとうな、正しい、あるべき要求と宣言が、度を失って不幸になってる負け犬の弱音と思われて無視されてしまうからですよ。普通の状態じゃない、病気の精神が言わせてる一時の世迷い言と片付けられてしまうからですよ。
苦しい時や、どん底の時には、歌うべき歌は別にあります。あんな大切な正論を、切実な要求を、あんな先も見てないやけ半分の境地で口にするのは冒涜なの。戦術的にも超まずいの。
エルサがバカなのは、まあしかたがないとして、制作サイドがあんなことした時点で私はもう確信してます。彼らにとって「ありのままに」生きる生き方なんて、本当にどーでもいいし、ちっとも大切なものじゃないんだって。
それが証拠に、それ以後彼らは、エルサのそういう欲求を、きちんと解決もなーんもしなかったでしょ。後半からラストにかけて、ぐちゃぐちゃにして、ごまかした。あれは本当にひどいです。結局、昔よくあった、バカな若者が反抗してなだめられて家族のもとに帰ってハッピーエンド、という図式の、手際の悪い焼き直しにすぎない。何が新しい映画ですか、ごまかされちゃいけません。古色蒼然の枠組みから一歩も出ていない映画です。
私の言っていることは、ややこしいし、わかりにくいかもしれないけど、わかって下さい。わかってくれなきゃいけません(笑)。