映画「アナと雪の女王」感想集映画「アナと雪の女王」感想(おまけの4)
ところで、あの映画の、多分一番肝心のメインの、エルサの魔力か超能力かそういうものの本質って、いったいどういうものだろうというか、うーん、うまく言えないが、どういうものとして描かれているのだろう。そこがものすごく、いいかげんに見えてならない。
たとえば映画「かぐや姫の物語」は、姫の抱える問題と悲劇がどんなものか、ものすごくはっきりしぼって提示していた。だからこそ、それは今の女性や人間の抱える悲劇と、きっちり重なって息苦しいほど心を打った。
回りを凍らせる、というエルサの力はわかりやすいし、映像的にも美しいのだが、それがどういうものなのかということを、この映画は全然教えてくれない…きっと考えてないんだろう。
観客が、しょうがないから、それぞれに、自分の好きなように重ね合わせたのは、興行的には成功したのかもしれない。誰もがそこに、見たいものを勝手に見たのだ。
ネットやその他で見ても、いろんな人が書いていることはばらばらだ。統計をとってるヒマもないから、漠然とした印象だが、それは「人を傷つける力」だったり「既成の枠にはまらない生き方」だったり「いい子でいなければならないつらさ」だったり「期待にこたえなければならないプレッシャー」だったりする。ある程度はばが出るのは当然だが、それにしても、この映画の場合、人々がエルサの悲劇に見ているものは、あまりにちぐはぐすぎる。
何だかもう、無責任に感心してしまうのは、今の世の中、誰もがよっぽど自己抑制して、無理していい子になっていて、自分をぱあっと解放したいと思っているんだなあということだ。「ああ、私はエルサだ!」と思う人は、多分この映画に一番感情移入できて幸福だった人たちなんだろう。しかし、そんなこと聞いちゃさぞかし憎まれるだろうけど、本当にあんたエルサか? その前に、エルサって誰よ、って話もあるが。
インチキ占い師の初歩的手口は、「ああ、あなたは人が好くて損をしてますねえ」と客に言うことだというのは有名な話だ。そう言われると大概の人が、「その通りです、私のことをずばりと見抜いて下さった」と占い師を信頼するらしい。この映画を見て、たくさんの人が「そう、私もエルサのように自分を周囲に合わせて来た、もっとありのままに生きたい!」と思ってる図っていうのは、私には、(ぶっちゃけここまでけんかを売るのはヤバいと真剣に思うがしかし)相当に気味が悪い。
インチキ占い師は、相手のことを見抜いてるのではないし、知っているのでもない。ただ漠然と誰にでも通用しそうな殺し文句を投げかけて、わかってもらえた気分にさせる。この映画のエルサと彼女の魔力の設定も、私にはそれと似た、怪しげな殺し文句に思えてならない。
どーでもいいけど私は定年前の数年間、職場で相当煮詰まってカリカリしながら生きてたが、周囲にいつも言ってたのは「いやー、私もストレスばっかりの毎日だけど、きっと私自身が私のまわりの人たちには、それ以上のストレスを与える源になってるでしょうさ、はっはっは」だった。実際その通りだったと思う。
エルサみたいな女は、もちろん自分もストレス抱えて生きてるだろうが、周囲にも相当ストレス与えてるんで、まあそれを自分でもわかってるから落ちこむんですが、とにかくいろんな意味で、ごまかしごまかしやって来たのが、とりつくろえなくなって、ぴきっ!と仮面が割れて正体あらわにしてしまって、まずいと思って逃げ出して、せっかくだからこの機会に、もう好きなように自分らしく生きてみようと決意する、その心情も思考過程もわからんわけじゃないですが、「つらかったのは私だけ、がまんしてたのは私だけ」と疑いもなく思いこんでる、その甘っちょろさというか、わきの甘さが私には我慢できない。魔法で万物を凍らせちゃう力持ってるぐらいが何よ、妹をそれで殺しかけたぐらいが何よ、王も女王も死んだあと、後継ぎ王女が部屋にとじこもり、先行きどうなるかわからん国に住んでいる国民や家臣の方がよっぽどつらいし、不幸だよ。自分が一番不幸で被害者で、皆にとけこめないと勝手に決めてる、その思い上がりと思いこみとが、私はほんとに許せない。…あーやだ、ひょっとして私、エルサを愛してないか?(笑)
こんなに話がとっちらかるのは、言わせてもらえば、あの映画のエルサ像がとっちらかってるからですよ。まあ、おいおいと、まとめて行きますから、今しばしのご辛抱を。