映画「アナと雪の女王」感想集映画「アナと雪の女王」感想-3

また続けます。

王子様との運命の恋を否定するという点で、この映画は「魔法をかけられて」と並べられたりしてるけど、私に言わせりゃ、まったくちがう。「魔法にかけられて」の王子はアホらしいとこもあるけど、物語の世界を体現する、とってもかわいい、いいやつで(王女にキスして目覚めないとき、即座に現代の王女と相思相愛の相手にキスを頼むところなんか、あー、聡明な人なんだって痛烈にわかるし)、しかも現実世界の女性ときちんと結ばれる。その女性は現代的な人ながら一方でロマンティックなものにあこがれていて、だからきっちり自然に王子と結ばれる。ヒロインとは別れるけど、王子にはそれにふさわしい相手がちゃんと現代にいる。どんなに時代が変わっても、こういう恋もまたあっていい、あるべきだと「魔法にかけられて」は描いています。

それに比べて「アナと雪の女王」は、伏線らしい伏線も張らないまま、乱暴に王子をワルモノにして、「会ったばかりの男と恋に落ちちゃいけない」なんて今どきどこのばーさんが言うんだという、しょうもないモラルで、新しい女の生き方を提示するなんて、ほんとに大きなお世話としか言いようがない。
私はアナと結ばれる無骨なトナカイ男も別にきらいじゃないですが、ついでに言うなら、最近のハリウッド映画で気になるのは、「あなたは私のムコになる」だの「噂のモーガン夫妻」だのって、都会のフェミニズムっぽい女性が田舎に行って、そこでの暮らしと野性的な男性との交際で生まれ変わる、って話がよくあることで、やたら「父と息子の愛」が聖域になってるのと同様、これもまた、ハリウッドあたりの最近の好みなのかなと思うと、何ちゅう新鮮味のない陳腐なモラルを持って来るんだと、しんそこ、うんざりするんだよね。
しかも、従来の愛のかたちを否定するやりかたで、それを出して来るというのが、すごくいや。何でもう、こう軽々しく流行にのって、大切な問題を扱うかな。もうその時点で、この映画すべてが信用できない。

もう10年も前のこと、「ピーターパン・シンドローム」という学説みたいなのが流行って、その手の本を読んでみたら大人になれない最近の若者の心理を分析していて、「ピーター・パン」のお話の中の妖精ティンカー・ベルとピーターのお母さん替わりをする少女ウェンディを比べて、これからの女性はティンクのように生きるべきだという学説が延々と書いてあって、私はその乱雑さと無神経さとその他いろいろに唖然としました。
話せば長くなるからはしょるけど(私の本「江戸の女、いまの女」の中に書いてありますので、よかったらそちらを)私は「ピーター・パン」というのは、とても洒落た微妙な小説と思っているし、ウェンディの愛を「母性愛」とひっくくったり、ティンクを新しい女性と決めたりするのは相当に無茶だと思っています。
何よりも、この世に昔からある、さまざまな愛の形を「これも認めて」と訴えるとき、それまでのやそれ以外の愛の形を、まちがっていると否定するやり方を私は理解できません。

私は守られるのが大嫌いで、守るのが好きです。だから強い男に守られるより、弱い男を守る方がずっと性に合っています。そういう愛は異常で不健全と思われていた時代や社会に私は育ちました。さまざまなやり方で、自分のそういう愛し方を私は周囲に認めさせてきましたが、しゃべるにしても書くにしても、私がその時にいつも、のどが枯れるほど、唇が疲れるほど、舌が腫れるほどくりかえしたのは、「しかし、そうでない愛し方もあって全然かまわない。私にはこれが自然だが、他の人には他の愛し方が自然かもしれない」ということでした。

人は、愛し方も生き方も、自分とちがったものを認めてしまえば、やがて自分もそうしなければならなくなるという恐怖にさいなまれているように見えます。それはまた、自分の愛し方や生き方を、皆と同じものという基準で決めているから、そうなるのかもしれません。
けれど自分が「ありのままで」生きようと思うのなら、他者の生き方もまた、簡単に常識や通念で否定や規制をしてはならない、これは最低限の絶対のモラルだろうと思います。それを守れない、守らない「ありのまま」の生き方を、私は絶対に信用しません。

だいたい、「アナと雪の女王」の悲劇のきっかけになるのは、アナが「結婚するう」とあまりにバカっぽく浮かれて報告するのに対してエルサがとまどい、拒否することなんですが、あの時のエルサの反応はいろいろ深くも考えられるんですが、ちょっとよくわからなくもある。
それより何より結局のところは、アナの「一目ぼれ」結婚のような愛のあり方を否定するのを、この映画のあってもなくてもいいけど、まー新しい女の生き方としちゃこんなとこかみたいな安易なテーマのひとつにしたもんだから、そこから逆算して、エルサがあそこでああして否定するのを悲劇のひきがねにするしかなくなってるし、だからアナもあのようにバカな伝え方をすることになるというか、とにかく、根本になるテーマの考え方が浅はかだから、すべてが無理で変てこになってるとしか、もはや私には思えないんですが。

最後につけ加えますと、そりゃこれはミュージカルですが、そんなのは、設定がいいかげんな言い訳には絶対なりません。どんなミュージカルだって、演劇だって、省略や誇張はあっても、ちゃんとつじつまは合うし世界は把握できるように話は流れて行くもんです。
「アナと雪の女王」が、そのへんめためたになってるのは、テーマ自体がいいかげんにしか設定されてないからです。そして私に言わせれば、これは「ありのままに」なんてテーマと、まったく結びつかない心がけで作られている映画だとしか思えません。
歌や映像はたしかによくできていますが、こういうことを考えていると今や私は、あのメロディーを聞くだけでも、そこはかとなく気分が悪くなって来ます。

というところで、一応感想は終わりです。

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カツジ猫