映画「アナと雪の女王」感想集映画「アナと雪の女王」感想(おまけの2)

あ、そう言えばまた、しょうもないこと思い出した。
その昔、細川智栄子の「王家の紋章」っていうすごい人気漫画があった。時空物のエジプト物で、なんかもう、私の周辺では皆笑いのネタにしてた。そもそもデッサンが微妙に狂ってて、ワニがワニにも見えなかったりした。じゃワニ以外の何に見えるかっていうと何にも見えなかったけど。だからやっぱりワニと思うしかないんだけど。
と、私が安心して悪口書いてるのは、すごく人気があったからですよ、この漫画。たしか何十巻と出てたんじゃないかな。今もひょっとして続いてたりして、いやまさか。

で、私がこの漫画にどーしてもノレない、はまれない、いつも立ち読みで(わりと欠かさず)読んでたんですが、もう読むたびに感動や恐怖とは無関係に、ただもう背筋がぞくぞくしてぞげぞげするぐらい気持ちが悪くて、なんかもうそれがかえって快感でマゾヒスティックな気分で毎週読むのをやめられなかったぐらい、受けつけなかったんですが、何がそんなにいやだったか、のたうちまわりたいぐらい耐えられなかったかっつうと、もうね、絵柄じゃないのよ。一番まいったのは、ヒロインの発言や行動やその他もろもろに、これでもかっていうぐらい、必然性がないんだよね。

必然性なんていうと、昔の女優さんがよく「裸になる必然性が」とか言ってヌードシーンを拒否してたりしてたけど、まあもうそんな洒落たものじゃなくて、たとえば、拷問にあって白状しないという場面があるとすると、いやしかしあんたもしかしてそれ白状してもしなくても状況に何ら変わりはないんじゃないかいって、立ち読みのななめ読みしててもわかるぐらい明明白白なんですよ。拷問もだけど、キスもそう別れもそう裏切りもそう、もう何もかもが、「ただ、そういう場面を作りたいから、見せたいから」無理やり状況と理由を作ってるとしか思えない(と私も親切な書き方するよな。もうそうでしかあり得ないってのが、わかりすぎ)。

いやそりゃ私だって誰だってそうですよ。そういう場面を描きたいから、そういう理由をでっちあげるよ。それは馬琴でもシェイクスピアでも歌舞伎でも村上春樹でもそうでしょよ。でもね、いっくら何でも、ちょっとはその本音がわからないように、工夫してくれっつうのよね。少々無理な設定でも「あー、これがやりたかったんだよねー」とわかっても、そこまで工夫して努力してくれたら、許すわ認めるわ満足だわとにっこり笑える水準ってのがやっぱりあると思うんですよ。いくら何でもそれはないだろ、ひーもうやめてくれと叫びたくなるぐらい、無理やりの矛盾だらけの理由づけはほんとにもう、見ててこっちが恥ずかしくっていたたまれない(じゃあ見るなよ、と言われるのはまあ百も承知ですが)。

なのにというか、でもというか、この漫画しつこくくり返しますが、ものすごくほんとに人気があったんですよ。昨今の選挙の投票率の低さに私がまだ世の中の一般の方々に絶望しないでいられるのは、きっとその体験のおかげですね。私には耐え難い、許し難い作品が、他の人たちには圧倒的な人気を博すことがあるんだ、ひょっとしてそれは珍しくもないことなんだと、あの毎週の立ち読みで痛感したから、だから私、「アナと雪の女王」が大ヒットしても世の中そんなもんよねと笑ってられるんだと思う。

いやいや自分で納得したら話はおしまいなんですが、つまりこんなこと長々書いたのは、皆がハラハラドキドキし涙し感動し感情移入してた「王家の紋章」に、かけらほども感情移入できなかった気分というか理由というかが、エルサとアナの二人を見てて、何だかちっとも肩入れできない反感さえも持ちようがない、あの気分にとてもよく似ている。

エルサはどこまで自分の意志で妹に会わず魔力を封印しているのか、国や国民に対する責任をどう考えていたのか、自分に代わってそれをしてくれる誰かがいたとしたら(いないわけがないですが)、その人に対しどう思っているのか、そういうことの数々がまったく見えてこないから、彼女が妹と久しぶりに会ってにっこり笑いあっても、その表情の意味するものはとめどなく幅が広すぎて、私にはとてもしぼれない。もちろんそれはアナの方も同じ。

もうこうなるといちゃもんですが、アナはそもそもエルサとの記憶の何を残されて何を奪われているのでしょう?楽しい思い出だけ残したと言われても、何が楽しいのか楽しくないのかそう簡単に区別はできないと思うけど。だいたい彼女の記憶の中では、そもそも「エルサにひどいことされた」はないよね多分。記憶を全部残していても、彼女は姉の危険さは多分知らないままだよね。しかし、姉は幽閉だか隠棲だかされるかするかしているのだから、何かがあるのは感じてるし知ってるよね。じゃそういうことのもろもろをひっくるめて、アナにとってエルサはどういうイメージで、どういう存在なのでしょう? そんなのを示す手がかりがまったくない、二人の表情と声とせりふだから、もう何か感じろと言う方が無理です。「王家の紋章」と同じに、こういう場面がやりたかったから、すごく乱雑に手抜きに設定と筋を作ってるとしか思えない。

手当たり次第に適当に思い出しただけでも、「となりのトトロ」のサツキとメイとか、「トロイ」のパリスとヘクトルとか特にせりふがあるのでもない、説明があるのでもないのに、出てきただけで明らかにどういう関係かははっきりわかった。細かくしっかりわかるのじゃないけど、それでも自然におたがいの役割もそれまでの人生も伝わった。あーもう、「トロイ」なんて、血迷って私がこんな小説書いちゃうぐらいに伝わったんだった、忘れてたけど(笑)。

映画「トロイ」小説・三幅対

それは彼ら彼女らが、それらしいことをきちんとして、それらしくないことは決してしないからです。表情もしぐさも発言も行動も。エルサとアナはその点ものすごくごっちゃごちゃに、ぐっちゃぐちゃに作られていて、要するにまったくキャラが立ってない。適当にかわいらしく、適当に仲良さげに、適当に美しく、適当に対照的で、適当に対立し、適当に融和するだけ。全部、つぎはぎ細工です。
まあでも、いきなりあきらめるけど、「王家の紋章」は大ヒットして、多くの読者が感涙にむせんだんだからなー。世の中そんなもんなんでしょう。(でもまだ続く。笑)

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