民教連サークル通信より困ったもんですわ

この原稿を皆さんがお読みになる頃には、プロ野球の日本シリーズの結果も決まっていることだろう。特にどこのチームのファンということもないのだが、何しろ福岡にいるとソフトバンクのニュースのいろいろは、いやでも耳に入ってくる。柳田選手がときどきマイペースの発言をするのでファンはどきどきしているのだとか、いや彼は表現は不十分でも非常に賢い人なのだとか、そういう噂もよく耳にする。
その彼が工藤監督と二人で、日本シリーズの進出を決めた直後の記者会見をしているのを見た。何か破天荒な発言でもあるかと思っていたら全然そんなことはなく、二人とも実に周囲を慮り、自然にことばを慎重に選び、きちんと質問に応じた回答をするので、私はすっかり驚いてしまい、こういう態度や発言は絶えて久しく聞かなかったと思ったが、つまりそれは、首相や副首相をはじめとした日本の最高権力を持つ方々の発言や対応が、あまりにも乱暴で無体なのに怒りつつ呆れつつ、いつの間にか、すっかりあきらめて慣れてしまっていたのだと、あらためて気がついた。

その前後に、ソフトバンクの孫オーナーがいかに金に糸目をつけず、チームの環境をよくすることに熱心かという番組も見た。「選手の要望は何でも聞け」というのをモットーに、ちょっと不満や希望があればただちに応じて、ロッカールームや食事のサービスを徹底的かつ即座に改善する様子を見て、コメンテーターが口々に「それは強くなるはずだ」と言っている。
これも何か長いこと忘れていた風景というか、姿勢というか発想だった。上に立つ人が、下の者の要望に耳を傾け、快適な環境を作ることで、「生産性」がおのずと向上し、よい結果が生まれるのは、ある意味あたりまえの常識だ。でも、今の日本では、沖縄をはじめとして、当事者の意見は絶対に聞き入れられず、上からの方針を受け入れるまでは、疲れ果てるまでたたいてたたいて、屈服するまであの手この手で押しつけまくる。そんな国に対し、「それはわが国が強くならないはずですよ」と言うコメンテーターは、誰かいないのか。

たかが野球、と言っては失礼だが、その関係者のふるまいを見て、ああ政治とはこうあるべきだったなと思い出す状況も困ったものだと思っていたら、これまたたまたま「マジック・マイク」という、男性ストリッパーたちの映画をDVDで見た。
アカデミー賞をとり、ゲバラの伝記映画も作った、ソダーバーグという監督だからか、ストリップの場面は華やかでみごとなショーで、目の保養にもなるが、全体としては地味でまじめな青春映画である。
で、自分もかつての名ストリッパーの経営者の男性が、メンバーの一人が出られなくなったので、残りの人たちに代わりに何かやって場をつないでくれと頼むのだが、SMショーをと言われたかわいい若者は「あれは罪深いからやらないことにしている」、火吹きショーをしろと言われたもう一人は「火は苦手なので」、メキシコダンスはどうだと言われたラテン系の一人は「まだ練習中で人に見せる段階じゃない」。

しょうがないので、たまたま来ていた素人の若者を舞台に出したら、意外と受けて成功した、という展開なのだが、見ていてこれまた驚いたのは、こんな理由で経営者の要望を断るダンサーたちに、それ以上の強制を経営者がしないことだ。これがどこまで現実の反映かは知らないが、それが特に不自然とは観客も思わない常識はたしかに存在するのだろう。日本のAV映画界や、若者から聞くブラック企業の状況とはあまりにもかけはなれた、人間としてのモラルが守られている。
教育勅語も教材として使える普遍性がどうとか言った大臣がいたが、個人的には、このストリッパー映画のほうが、よっぽど道徳の教科書としてはふさわしいのじゃあるまいか。それにしても、困ったものだ。

(2018年10月)

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カツジ猫