民教連サークル通信よりささやかな涙と怒り
先日「むなかた九条の会」が催した、憲法の学習会で講師の方が「最近の若者は海外旅行に行かない。パスポートを持っている者も少ない」と言われてええっと驚いた。経済的に苦しいということもあるのだろうが、何かトラブルにまきこまれたらちゃんとしたジャーナリストでさえ、自己責任みたいに言われてたたかれる世の中が、冒険や挑戦をひるませるのかもしれないと思ったとき、ふとアルカイダに囚われて斬首される映像が公開された福岡の若者香田さんのことを思い出した。
「同情心と正義感が強かった」(ご家族談)という彼の死はネットでひとごとのように猟奇的に語られ、不用心、愚かと批判され、イスラム過激派のそのような行動に影響があったはずの当時の政府の政策を批判する声はなく、ご家族さえも抗議や不満は口にしなかった。
私はやりきれず、彼について書かれた本を買って読んだ。私の近くの町の名も登場する彼の人生は、ごくありふれて、まじめで普通の若者のそれだった。
そしてまた思い出す。戦争法の成立に反対して私たちが集会などしているころに、同じように抗議の意志を示して焼身自殺をした男性がいた。
かつてベトナム戦争に抗議して焼身自殺をしたエスペラントの由布さんについては当時かなり詳しい報道がなされ、決して過激でも異常でもないすぐれた人ということも何となく世間は知らされた。今ネットで調べると由布さんは今の私と同じ七十三歳、やはり福岡県出身である。
だが今回の男性については、彼の名前も年齢もその意図もいっさい報道されることはなく、その人についての情報を私は今も何ひとつ知らない。
それとはちがって、これはとても有名で名前を知られている人だが、やはりその人となりや思いについては完全に黙殺され葬り去られていると私には思えるのが、フランス革命の前にルイ十五世の暗殺を企て、広場で公開処刑されたダミアンという男性だ。
彼は民衆が見物する中、あらゆる残虐な方法で苦しめられた上に馬が手足をひきちぎる八つ裂きの刑で殺された。馬たちが必死に四方に引っ張っても手足がなかなかちぎれずに、見ていた若い娘がわっと泣き出して、馬がかわいそう!と言ったというしょうもない逸話もあったりする。ことほどさように誰かが彼に同情や共感をしたという話は聞かない。フランス革命はあれだけ評価されているのに、その少し前に同じように君主を殺そうとしたこの人の人生も決意も興味を抱く人はいないようだ。
彼は少し精神がおかしかったという記事もどこかで目にしたことがある。時の権力者や体制に反逆する人の多くが精神異常の烙印をおされることが多いのを思うと、私はそれをおいそれとは信じられない。しかし、彼がまともな人で、まっとうに悩み決意して暴君を倒そうとしたのだったら、彼に与えられた運命と、処刑前夜からひきつづいた彼が味わった恐怖や苦痛を想像するのは本当にこちらが気が狂いそうになるほど耐え難い。
だからこそ、人はそれに目をつぶるのか。見つめることなく、忘れ去ろうとするのだろうか。
ダミアンはホラー映画「オーメン」の悪魔の子の名前として使われている。フランスの植民地アルジェリアで抵抗運動をして、フランス軍にビール瓶でレイプされ、フランスの知識人たちの激しい抗議行動を起こした少女ジャミラも、原爆の被害者サダコも、皆、同様にドラマや映画で怪物や悪霊の名として用いられた。そのことが私には、ただ悲しく、ひたすらにおぞましい。最もいたわり、抱きしめてやらねばならない人たちを、歴史の外の暗黒に投げ込み、あるいは異形の怪物としてさらしものにしようとする、この大きな流れに対して、私はあまりに無力である。
せめて、ささやかに、その人たちすべてに、涙をそそぐ。せめて、死ぬまで私一人は、その人たちの受けた苦痛と恥辱に、こぶしを握り、怒りに震える。そのことだけは、決してやめない。