昔のコラムお姫さまはなぜ強い?
井原西鶴「西鶴諸国噺」の中に、 身分の低い男とかけおちして見つけ 出されてつれ戻され、男は死刑にな り自分も自害をうながされた時、毅 然として「私は少しもまちがったこ とはしていない。身分が低い者と愛 し合ったのは縁というものだ。昔か らそういう例はある」と反論し、出 家して男の菩提を弔ったお姫さまの 話がある。西鶴の近代性を示すのに よく例に引かれた。ただし西鶴自身 がそう考えていたのではなく、あく まで面白い話として書いているのだ ろう、と最近では言われている。
それでも「女の男ただ一人持つこ と、これ作法なり」と言い切るお姫 さまの姿はりりしく美しい。そして 彼女が「昔も例がある」と言ってい るのは、「更級日記」にある、関東 から来た宮中の警護の兵士に「おま えの故郷を見せて」と言ってともに 東に行った皇女が、連れ戻しに来た 人々に帰らないと言い、天皇はそれ を認めて男に土地を与えて二人はそ こで暮らし、皇女の死後そこに寺が 立てられたのが今の竹芝寺だ、とい う伝説のことと解釈されている。
人に反論する前に何よりまず、こ の姫は、周囲の「おまえのしたこと は死ぬほどの恥」というまなざしに くるまれながら、必死で「昔にもた めしあり」と皇女の話を思い出して 自分を支えたのにちがいない。そう 思うと私の胸は熱くなる。人はその ようにして周囲とちがう自分の生き 方を守り抜くこともあるのだ。
古典を学び、見も知らぬ遠い時代 の人たちの生き方や心にふれること はそうやって、今の自分や周囲に生 まれ息づくものを大切に守って、豊 かな未来を育むことにほかならない。