昔のコラム語られなかった話
同じ国文学者だった叔父が先日亡 くなった。子どもや孫のいるアメリ カで、家族に囲まれて、八十二歳の 死だった。
アメリカの大学に長く勤め、アメ リカ通?で通っていたが、学徒出陣 でそのアメリカと戦ったことのある 人だった。私の幼い頃、家にはごわ ごわのカーキ色の毛布があり、黒い 星が一つついていた。大陸に戦争に 行っていた叔父の持ち物だったので はと思う。
大分の田舎に一人暮らしをしてい る八十五歳の母は、半年ほど前叔父 に出した手紙にこう書いたと言って いた。
「元ちゃんは知るまいけど、あん たが出征した後ね、あんたを小倉の 兵営まで送って行ったお祖母ちゃん (二人の母のこと)は、あんたが軍 服に着替えるまで着ていた服を、す ぐしまわずに十日ほど部屋にかけて いてね、毎日通りかかっては黙って じいっと見て、時々さわっていたの よ。何も言わなかったけどね」と。
その祖母が九十二歳で死んでから、 もう二十年近くなる。弱々しげだが 気丈で、涙一つこぼしたことのない 祖母のそんな話を、私も今度初めて 聞いた。書くものの中で、いつもさ りげなく戦争を批判していた叔父も 八十二歳になって死の直前に聞くま で、この話は知らなかったことだろ う。
その母は田舎でまだ元気に、老人 クラブや川柳の会に毎日忙しく走り 回っている。「彼岸花いくさやめろ と血の叫び」などという母の作った 川柳を見ていると、何も語らないま ま静かに逝った祖母の穏やかな顔が なぜか思い出されてならない。