昔のコラムファミレスが救うもの

近くの国道沿いに、にょきにょき とファミリーレストランが増えてい る。そういう店の一つに勤めた知人 の話では、えびフライのお皿にのせ るパセリの位置も、きちっとマニュ アルどおりだそうだ。もちろん店員 のせりふも全国同じ規格なのは、客 の私が見てもわかる。
味気ない、芸がない、と嘆く識者 は多い。全国どこへ行っても同じ店、 同じ町になってしまったという嘆き もよく聞く。同感なのだが、しかし 私の心の底にはどこかちがった思い もある。
ギッシング「ヘンリ・ライクロフ トの私記」の中に、労働者風の青年 が高級料理店で食事をしようとして とまどって(お金はあるのに)とう とう食べずに出て行く場面がある。 江戸時代に書かれた名所記「慶長見 聞集」も、江戸の繁華をたたえる描 写の中に、豪華な店と売り手たちに 圧倒されて「ごめんなさい、ごめん なさい」と腰をかがめて通り過ぎて しまう田舎者をしっかり描いている。
田舎育ちで、今も老母がそこにい る身としては、こんな描写は妙によ く理解できる。そして、母のような 田舎の老人が大都会に行った時、故 郷の家の近くの店と、店員の応対や パセリの位置まで同じ店に入って、 いつもと同じ気分で食事できるのも、 それはそれでいいかも、と思ってし まう。なるほど文化は画一化され、 大味になり、何かは失われて行くだ ろう。だが、それを嘆く人たちは、 それによって救われるものもあるこ とをどれだけ実感した上で、嘆き怒 っているのだろう?

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カツジ猫